フエはヴェトナム中部に位置する都市で、ヴェトナム最後の王朝阮朝(1802〜1945)の都であった。漢字表記では
順化と書くが、フエの名称はこのうち「化」字の訛であるという。 フエは17世紀に広南阮氏が根拠地を富春城を置き、後に富安と改称された。富安は正和8年(1687)に風水を参考 にしていたが、都城として機能したのは18世紀になってからのことである。景興35年(1774)に鄭氏政権の攻撃によ って陥落、さらに西山朝の支配下に置かれたが、広南阮氏の王族の嘉隆帝(位1802〜20)によって阮朝の都に定め られた。 この時以来、フエは単に京師と呼ばれ、都域を含む地域全体を承天府、都城を京城、宮殿部分を皇城と称した。広 南阮氏以来の風水による立地を踏襲しながら、皇城は古代中国の『周礼』にのっとり、京城の城壁には西洋築城の 影響を受け稜堡・中提が設けられた。 阮朝は嗣徳36年(1883)にフランスに屈服し、建福元年(1884)以後ヴェトナムはフランスの植民地となったが、ヴェ トナム中部に関しては阮朝の外交権を奪い、軍隊の駐留を認めさせた上で、名目上間接統治の形式をとったから、 亡国して実態がないにもかかわらず阮朝は存続し続けた。そのためフエは安南保護国としての阮朝の都であり続け た。 安南保護国となってから、歴代皇帝のうち咸宜帝(位1884〜85)、成泰帝(位1889〜1907)、維新帝(位1907〜 16)のようにフランスに反抗的となって廃位された皇帝もいたが、皇帝はフランスに監視され皇城から出ることなかっ た。それでも名目上は皇帝であったから、宮殿や祠廟の改築などは行なわれており、また政令(フランスに都合の良 いものも)は皇帝の名で発布されており、ファン・ボイ・チャウをして慨嘆させた。 日本軍の仏印進駐と仏印処理によってフランス支配に空白があり、保大20年(1945)ヴェトナムは独立すると保大 帝(位1926〜45)は午門上にて退位を宣言。ここに143年にわたる阮朝の歴史に幕を閉じた。 その後フエは1948年のフランス軍の攻撃と、1968年のテト攻勢によって甚大な被害を受け、宮殿施設の大半を失 った。しかし世界遺産に登録されたこともあり、着々と復元が行なわれつつあるる。 京城 内務府 国史館 六部 都察院 通政使司 国子監 国学場 宮監院・平安堂 馬厰・象厰 砲厰 霊佑観 妙諦寺 天姥寺 国恩寺 |