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八瀬秋元町の長谷出(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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黒谷道(くろだにみち)は、比叡山延暦寺西塔の黒谷青龍寺を経由して西塔へ向う山道です。約3.7kmほどの行程です。
京都バス17系統のバス停「比叡山登山口(横川方面)」で降車すると、下写真のような場所(外部リンク)につきます。ここは八瀬秋元町の長谷出(はせだし)と呼ばれるところで、黒谷道は、長谷出(走出)の名から別名「走出道」とも、「八瀬道」とも呼ばれています。
下写真の右側の橋は「脇ヶ原橋」で、高野川にかかる橋です。その左側の石柱は明治37年(1904)に建てられたもので、「円光大師(法然)旧跡黒谷青龍寺 是ヨリ十五町」と刻まれています。その道を夾んで左側の石柱には「横川元三大師」「御旧蹟叡山横川香芳谷定光院迄四十町」と刻まれています。
ちなみに黒谷道と同じように西塔へと向う山道に八町坂がありますが、ここから南に200mほどの八瀬天満宮に入口があります。
長谷出から少し歩くと折れた浄刹結界趾の石碑につきます。この浄刹結界は、比叡山の境界線で、かつてはここから先には女人が入ることが禁じられていました。浄刹結界碑にしては若干位置が低すぎるような気がするので、もとは違う場所にあったのかもしれませんが、判然としません。
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折れた浄刹結界碑(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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黒谷道(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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長谷出から300mほど歩くと正面に「べんてつ観音」の小祠がみえます。この「べんてつ観音」は如意輪観音の石仏であるようですが、この小祠の手前に石板があり、真っ直ぐ進むと横川へ向う道で、右に進むと黒谷に向う道であるとの旨が刻まれています。
真っ直ぐ(左)に進むと横川への八瀬越横川道に、石板の正面を右に曲がると黒谷青龍寺に向う黒谷道となります。
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べんてつ観音(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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べんてつ観音の手前から黒谷道へ(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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黒谷道からみた山麓(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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ところで黒谷道は、入口の長谷出から第一の目的地の青龍寺まで、高低差400mを約1.5kmの道で登るわけですから、133‰ということになり、かなり急勾配なものとなっています。ここは回峰行者の行者道で、同じく200‰近い急勾配を誇る悲田谷道のとともに行者道としての双璧となっています。また行者道であるため、よく整備されており、石段のような場所が点在しています。
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黒谷道(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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黒谷道(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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黒谷道の石段(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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石段を登って行くと、途中写真したのような稜線があります。ここを左に行くと目的地黒谷青龍寺に向う道なのですが、右に行くと八町坂への連絡道となります。
ここから一直線に黒谷青龍寺に進むことになります。右手には大黒山(標高604m)を意識しながら進みます。
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黒谷道(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)。上にみえる稜線は左に行くと青龍寺方面へ、右へ行くと八町谷道へと出る。
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黒谷道(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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黒谷道(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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「べんてつ観音」から1.5kmほどで黒谷青龍寺に到着します。青龍寺については別の機会に譲って、さらに黒谷道を進んでみましょう。まずは青龍寺の正面の急勾配の石段を登ります。
ちなみに青龍寺の大黒滝の東側の急斜面を500mほど登ると修禅峰道に到着しますが、今回は登っていません。
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黒谷道(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)。左にみえるのは青龍寺。
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青龍寺前の石段(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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青龍寺の正面の急勾配の石段を登って右に曲がると、しばらくは直線的な道となります。この道の周辺には西塔北谷の墓地があります。
この付近は北谷と称され、比叡山十六谷の一つで、西塔に属していました。かつては瑠璃堂・如法経堂・東陽坊・地蔵堂(和労堂)・法然坊・正観院・行泉院・正教坊・乗実院・弁才天社・栄泉院・浄泉院(定泉坊)・金光院・正蔵院(起教坊)・金台院・瑞雲院(教光坊・瑞雲院)・行琳坊・大行事社・宝蔵・天満宮社が軒を連ね、比叡山焼き討ち後も江戸時代に多くの堂宇が再建されましたが、現在では瑠璃堂・正教坊・瑞雲院が現存し、行泉院・金台院・乗実院が北谷所属の里坊として山麓の坂本に残っているほかはすべて廃絶しました。
ここを真っ直ぐすすむと「浄泉院跡」のところで大きく左に曲がるのですが、かつては左に曲がらず、直線を進んでいました。
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黒谷道(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)。左側に北谷墓地がみえる。
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黒谷道の浄泉院址碑(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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かつて、黒谷道は北谷一帯を直線700mほど進むと瑠璃堂付近に抜けることができたのですが、現在では崖崩れのため寸断され、この浄泉院跡石碑付近で大きく迂回して修禅峰道に行かなければならず、かつて直線で繋がっていた瑠璃堂へは1.5kmほど余分に歩かなければならなくなってしまいました。
今でもかすかに黒谷道の痕跡をみることができるのですが、この道は崖崩れのため寸断されてしまい、現在では通ることはできませんから、まずは崖崩れの痕跡をみてみましょう。
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旧黒谷道(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)。斑紐の向こう側にかすかに道となっていた跡がみえる。
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黒谷道(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)。中央に白く塗装された橋欄がみえる。
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黒谷道から瑠璃堂への道は崖崩れのため放棄され、現在では荒れ果てています。そのため、その後出来たと思われる崖崩れがさらに二ヶ所あります。この崖崩れは(キャプションで「第一」「第二」としています)端に道路の痕跡が残ってるので、通ることはできます(危険なので推奨しません。自己責任で通過してください)。
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旧黒谷道の第一のがけくずれ(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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旧黒谷道の第二のがけくずれ(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)。向こう側にみえるのは正教坊。
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黒谷道の崖崩れはコンクリート製の橋を寸断するほどの威力であったようで、寸断された部分はわずかに20mほどですが、もはや再建は不可能な状態となっています。自然の猛威の前に歴史ある古道もついに途絶えてしまいました。
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旧黒谷道の第三のがけくずれ(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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旧黒谷道の第三のがけくずれ。正教坊方面よりみる(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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実際には修禅峰道で寸断された場所を迂回していますが、寸断される前の黒谷道の状態を復元的に(つまり実際の行程とは逆順に)歩いてみましょう。
この旧黒谷道を寸断された場所から少し歩くと、右側に瑠璃堂が見え、その北側には正教坊があります。この正教坊にいた詮舜(1540〜1600)は比叡山焼討後の復興に際して、豊臣秀吉の庇護のもと西塔に釈迦堂を復興させた人物で、彼の業績を讃える碑文が瑠璃堂の北側に鎮座しています。
瑠璃堂から400m歩くと、黒谷道は奥比叡ドライブウェイにぶつかって消滅します。ここから奥比叡ドライブウェイを横断すると100mほどで釈迦堂に到着します。
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旧黒谷道(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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旧黒谷道(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)。左側は瑠璃堂。
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旧黒谷道(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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旧黒谷道の出口(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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旧黒谷道からみた京都市街(平成22年(2010)7月19日、管理人撮影)
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[参考文献]
・武覚超『比叡山諸堂史の研究』(法蔵館、2008年3月)
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