愛宕山水尾道



渡猿橋(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 愛宕山水尾道を歩いてみました。

 最初は水尾の六斎念仏を見学しようと思っていたのですが、水尾に行くには保津峡駅から行く他はなく、またお盆休みのためバスはお休み、そうなれば車で行くか歩いて行くかしかないのですが、水尾道はかなり狭いため車で行くことはかなりしんどいらしいので、歩くしかありません。

 保津峡から水尾までは4kmあるのですが、そこからまた保津峡駅まで歩いて戻るのは馬鹿馬鹿しく、ならばいっそのこと愛宕山水尾道を歩いて水尾分かれまで歩いて、そこから清滝まで下山してみようと思いました。


渡猿橋の左側(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 そうなると清滝に自転車を駐輪しなければならず、自然に清滝から保津峡まで歩かなくてはなりません。一周14kmの道程です。

 まずは清滝まで自転車で行きました。暑くなる前に歩きたかったので、早朝5時に出発、清滝の渡猿橋の手前左側に階段があり、そこから川辺に降ります。ここから東海自然歩道を清滝川に沿って下ります。


清滝橋(青龍橋)(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 すぐに歩道橋のような清滝橋(青龍橋)が見えてきます。そこを渡ると右岸を歩いて行きます。清滝川のうち、清滝から上流を金雲渓、清滝から保津峡に至るまでを金鈴峡といいます。

 金鈴峡は屈折・奇岩の多い風光明媚な地で、夏の蛍と秋の紅葉で知られています。


東海自然歩道(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



金鈴峡(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



金鈴峡と東海自然歩道(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



金鈴峡(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



金鈴峡(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 約1kmほど歩くと、金鈴橋が見えます。金鈴橋は増水水位時には水面下に沈んでしまう潜没橋で、すなわち同一の高低差である東海自然歩道自体が増水時に危険であることを示しています。

 ここから表示に従って落合橋まで登ります。


金鈴橋(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



落合橋へと向かう道(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



落合橋と落合トンネル(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 落合橋を渡り、落合トンネルをくぐると、あとはひたすら舗装された自動車道(京都府道50号線)を歩いてJR保津峡駅を目指します。この道は一応対面通行可能なのですが、かなり狭いので、実際には両方から車が来てしまった場合は、いずれかが車が双方向出来る場所までバックしなければなりません。


保津峡(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



保津峡(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



京都府道50号線(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 落合橋から900mほど歩くと対岸にトロッコ保津峡駅が見えてきます。この駅は旧国鉄の保津峡駅で、「第2回近畿の駅百選選定駅」に選ばれたそうです。


トロッコ保津峡駅(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 トロッコ保津峡駅付近から約300m歩くと、壁岩という地帯に到達し、鵜飼(うこう)トンネルをくぐります。トンネル上の「鵜飼隧道」のプレートがいい味を出しています。


鵜飼隧道(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 鵜飼隧道をくぐるとJR保津峡駅がみえます。写真の通り、橋の上にある駅です。ちょうど電車が停車していました。


JR保津峡駅(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 JR保津峡駅付近に三叉路があり、ここを北西に歩くと4kmほどで水尾につきます。


水尾道(京都府道50号線)(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 三叉路を南側に振り向くと、真っ赤な保津峡橋が見えます。

 この橋はJR保津峡駅移転に際して、京都市が駅と府道を結ぶため新しく掛けた全長54mの橋だそうですが…、

 案内板には「この橋はフィーレンディール桁部及び鈑桁部でできており、フィーレンディール桁は1911年にベルギーのフィーレンディール教授によって提案されたラーメン構造(桁材と柱材を剛結した構造)であります」とあるのですが、一体何のことだかわかりません。

 恐らくは主桁と橋脚・橋台は剛結構造(ラーメン構造)で、フィーレンディール桁が一見してトラス構造にみえるけど、実は剛結構造なんだよ、みたいなことを言いたいのでしょうか?

 あと案内板には日本でも数少ない形式の橋だと案内板に書いています。


保津峡橋(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 あとはひたすら4kmほど、舗装された道路を登ります。左側には水尾川が視界に入ったり、木々に隠れたりします。


水尾道(京都府道50号線)(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



水尾川(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



水尾道(京都府道50号線)(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



水尾道より高瀬山方面をみる(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 水尾に到着しました。

 水尾は30戸ほどの小さな集落で、南側には水尾川が流れる南低北高の地です。北へは愛宕山水尾道が、北西には丹波へ抜ける道があり、街道沿いの集落でした。その地勢を生かして段々畑がつくられ、柚子や枇杷の果汁栽培を行っています。民宿では柚子風呂や鳥の水炊きを提供していますが、予約制なのでお風呂には入りませんでした。


水尾(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



水尾(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



水尾の石仏(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 まずは清和天皇陵に行ってみました。地図上では500mもないようにみえるのですが、参道が曲がりくねっているため行程は約1.5km、しかも山の上にあるので、意外にしんどかったのです。

 柚子栽培の畑を横に通過します。


清和天皇陵参道(左)(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



清和天皇陵参道(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



清和天皇陵参道(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 清和天皇は平安時代前期の天皇で、譲位後、水尾の地を愛してここに住み、ここを終焉の地とすることを願いましたが、隠棲していた水尾山寺改装のため嵯峨に移住した時に発病、水尾に戻ることなく粟田で崩御しました。

 清和天皇の遺体は水尾山の上に葬られましたが、水尾の人々は清和天皇の遠忌を度々執り行い、朝廷が衰微した戦国時代も、水尾の人々が遠忌を執り行いました。水尾では集落すべてが清和天皇およびその従者の子孫と伝えられており、かつ古くからこの地に住む者は、「五姓」と呼ばれ、5つの苗字をもつ者がその由緒を継いでいると伝えられています。


清和天皇陵(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 水尾集落の北側には、産土である清和天皇社が鎮座し、その西側に円覚寺が位置しています。さらにその西側には京都市立水尾小学校がありますが、現在は廃校となっています。

 清和天皇社はその名の通り、清和天皇を祀った神社ですが、近世には「四所権現」といい、天皇の神輿をここから円覚寺に運んで御旅所とする祭礼が行われていましたが、今は廃絶しています。


清和天皇社(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 9時少し前に円覚寺に到着しました。インターネットでは六斎念仏は11時頃に行われるものの、日程や時間は変更になる可能性があるとあったので、念のため近くを歩いていたお婆さんに聞いてみたところ、「六斎は一昨日やったでぇ〜」と言われてしまい、がっかりしていました。

 しばらくすると、何人か集まってきたので、どうやら六斎念仏をするのは本当らしいということがわかりました。見学に集まってきたのは私も含めて四人で、私以外は、撮影機材をてんこ盛り持ってきたどこかの大学の講師か院生らしき人や、全国の六斎念仏をほとんど見たという強者ばかりでした。


円覚寺(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



円覚寺正面の宝篋印塔と板碑(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 円覚寺で行われる水尾の六斎念仏は、8月14日の地蔵盆、16日の施餓鬼に円覚寺内陣手前の6畳の空間にて行われます。他にも新仏さんが出た時にはそれぞれの家にて六斎念仏を行うそうです。

 六斎念仏は明治期に大衆化し、保守的な念仏六斎と、娯楽的な芸能六斎に分かれており、現在は京都市内で行われる六斎念仏の大半が芸能六斎に種別されます。ところが円覚寺は数少ない念仏六斎で、鉦鼓と太鼓と「南無阿弥陀仏」の発声を中心としたかなり地味なもので、時折太鼓をひねる他はほとんど動きがありません。見物に来ていた人が、その六斎念仏が古様であるかどうかは、躍る足のひねり方でわかるみたいなことを言ってましたが、水尾の六斎念仏はそもそも躍っていなかったので、どのように判断されたのでしょうか?

 念仏六斎と芸能六斎がどれほど違うものなのか、下の写真で一目瞭然かと思います。


円覚寺六斎念仏(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



(参考)上善寺の小山郷六斎念仏(平成23年(2011)8月22日、管理人撮影)

 当日行われた六斎念仏は内陣を後ろとして南側に施餓鬼棚を設けて行われました。これはかなり珍しいことだそうですが、14日の地蔵盆では内陣(北)を正面として六斎念仏が行われるそうです。


円覚寺の施餓鬼棚(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 六斎念仏が終わったので、円覚寺の西隣の京都府立水尾小学校の西側の水尾道から愛宕山へと向かいます。

 ここから愛宕山の水尾分かれまで、約1.4kmほどの道程ですが、かなり急坂なので体力を消耗します。


水尾道(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



水尾道(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



水尾分かれ(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)

 歩くこと1時間強で水尾分かれに到着しました。ここから頂上の愛宕神社まで1kmほどです。前回表参道から歩いた時にはそれほど大変ではなかったのですが、今回は水尾道の急勾配で体力を奪われ、疲労困憊でした。帰りは表参道から清滝まで降って戻りました。


水尾分かれ(平成23年(2011)8月16日、管理人撮影)



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