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030シェーンブルン宮殿(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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シェーンブルン宮殿はウィーン中心部の南西に位置する夏の離宮で、1749年に完成したロココ様式の宮殿です。
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031シェーンブルン宮殿東棟(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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032シェーンブルン宮殿西棟(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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シェーンブルン宮殿の入場チケット売り場は西棟にあります。チケットには「インペリアルチケット」「グランドチケット」「シシーチケット」があります。このうち「シシーチケット」は、ホーフブルク王宮と、やはり王宮にある宮廷家具調度コレクションの見学チケットと併用で、大抵の観光客は王宮にも行くので、こちらの方がお得なのです。
ちなみにチケット説明パンフは、日本語とスペイン語が兼用になっています。
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033シェーンブルン宮殿案内パンフレット(日本語・スペイン語)
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034シェーンブルン宮殿(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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手荷物は宮殿に入る前に預けなければなりません。あと日本語の音声ガイド機が無料で借りられます。こことホーブルク王宮は、日本語の音声ガイド機がないと全く意味がわからないので、たくさんある部屋や調度品の歴史的意味などを知るなら是非借りるべきかと思います。
例えば、皇帝フランツ=ヨーゼフ1世(位1848〜1916)の部屋はあまりにも質素なので、音声ガイド機がなければ普通に通りすぎてしまうかもしれません。
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035シェーンブルン宮殿(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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ちなみに最初の見学地をシェーンブルン宮殿にしたのは、ウィーンの南西には他に行く予定の場所がなかったため、最初に日程消化してしまいたかったのと、この日はシェーンブルン宮殿でクリスマスバザーが開かれていたためです。
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036シェーンブルン宮殿(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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037シェーンブルン宮殿のバザー(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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バザーではホットワインやクリスマスアイテムなどが売っていました。ここで木彫りの鹿とソーセージを購入しました。
ソーセージは日本のよりもやや固くて塩っ辛く、若干酸味があります。酸味がなかなか美味しく、癖になりそうなのですが、日本は肉類の持ち込みを検閲で禁止しているため、オーストリア滞在中に食べてしまいました。
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038シェーンブルン宮殿のバザー(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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039シェーンブルン宮殿のバザー(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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さて今回の旅行の目的に「聖地巡礼」があります。
「聖地巡礼」とは、本来は宗教において聖地に行く宗教的行為を指しますが、近年ではアニメなどで登場したゆかりのある土地を訪問することをも「聖地巡礼」といっています。
私の場合はアニメ等ではなく、私がこよなく愛するクラシック音楽の作曲家ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms(1833〜97)に関連するウィーン市内の場所を巡るというものです。
ブラームスはバッハ、ベートーヴェンとならんで「ドイツ3B」に数えられている作曲家で、人生の後半はウィーンで過ごしたにも関わらず、現在では冷遇され、日本のガイドブックではハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ヨハン・シュトラウス2世は紹介されていますが、ブラームスはもちろん、ブルックナー、マーラーですら紹介されていません。
ちなみに少し古いデータですが、1988年の日本のオーケストラの定期演奏会における交響曲の演奏回数ですが、ベートーヴェン24回、ブラームス20回、モーツァルト19回、マーラーとブルックナーがそれぞれ13回、シベリウス12回となっており、上にあがっているハイドンは5回、シューベルトにいたっては4回だったのです。
そこでブラームスに関する史跡を訪れて彼の事蹟を称揚するとともに、ささやかな紹介をしてみようと思います。
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040ハイドンハウス(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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まずはウィーン西駅付近にあるハイドンハウスです。ここはハイドン Franz Joseph Haydn(1732〜1809)が晩年を過ごした家で、現在では彼に関する記念館となっています。ウィーンには我らがブラームスの記念館はありませんが、ハイドンハウスの一室が「ブラームス室」として、ブラームスの記念室となっています。
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041ハイドンハウス(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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ブラームス室には、ブラームスが用いた洗面台や、若き日のブラームスを描いた肖像画が展示されています。この肖像画は本来ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツに所蔵されており、ここにあるのは寄託されているからのようです。
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042ハイドンハウスのブラームス室(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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ブラームスは若い頃、なかなかの美男子だったようですが、後年、髪の毛が後退し、髭もじゃの肥満体となったため、肖像画をみると全くの別人にみえます。おでこと鼻の形だけがかつての容貌を保っているだけです。
若い頃のブラームスにピアノを習っていたフローレンス・メイ Florence May(1845〜1923)は、1882年のピアノ協奏曲第2番のリハーサルで10年ぶりにブラームスに会った時、どこにいるのかわからず、しばらくして最初から舞台にいたことが判明して、「ところが「この人がブラームス」とわかって見つめても、その人物が十年前に親しかった男性だと、まったく認識できなかったのだ。これは決して誇張ではない。たしかに立派な頭部と、後ろにとかしつけた髪は昔どおりだ(以前のほうがきちんとしていた)。しかし体形はずんぐりしていて、口は濃い口ひでに、顎はぼうぼうの灰色ひげに隠れて、若きブラームスは見る影もなくなっていたのである。」(天崎浩二編・訳、関根裕子共訳『ブラームス回想録集1 ヨハネス・ブラームスの思い出』〈音楽之友社、2004年2月〉181頁)と回想しています。
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045ハイドンハウス中庭(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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ハイドンハウスの付近にはハイドンの葬儀が行われたグンペンドルフ教区教会があります。この教会は1244年に建立され、1360年にシトー派修道会に組み込まれました。16・17世紀に衰退しましたが、1700年までに再建。最終的に現在みる形となったのは1792年のことだそうです。1807年にはハイドンの葬儀が行われています。
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046グンペンドルフ教区教会(平成25年(2013)12月26日、管理人撮影)
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