愛宕山参詣



渡猿橋付近よりみた愛宕山(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 愛宕山に行ってきました。

 標高924mの山で、京都中に貼られている「火迺要鎮」のお札はここでしか入手できません。そのためてっきり京都の人なら例外なく登る山だと思っていたのですが、京都の人に聞くとそんなことはないそうです。

 まず清滝バス停付近まで自転車で行き、そこから徒歩でまず渡猿橋へ向かいます。朱色の欄杆の渡猿橋は清滝川にかかる橋で、ここから鳥居につきます。


渡猿橋(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 鳥居は愛宕山表参道の玄関口です。この道がただの登山道ではなく、信仰のための巡礼路であることをあらわしています。


鳥居(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 表参道の脇にはところどころに石碑があります。これは「丁石」と呼ばれるもので、ここから山頂までの距離を示しています。

 一見親切なようですが、「まだこんなにあるの!?」と気力を失せさせる霊石(?)です。


愛宕山表参道の丁石(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 表参道の右側には、かつて存在したケーブルカーの跡があります。


愛宕山表参道とケーブルカーの跡(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)



愛宕山表参道(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 しばらく行くと「お助け水」という水飲み場につきます。ところが行程はまだまだ先が長く、しかもここから急坂になるので、ここでお助け水にすがっているようでは、とてもではありませんが上まで登ることはできません。


愛宕山表参道のお助け水(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 しばらく歩くと火燧権現につきます。位置的にはお助け水と二十五丁目茶屋跡の丁度真ん中くらいでしょうか。


火燧権現(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)



二十五丁目茶屋跡(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)



愛宕山表参道の地蔵と丁石(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 さらに歩くと五合目の休憩所につきます。ここでようやく半分です。半年ぶりの山登りであったこともあり、体が慣れずしんどかったのですが、ここでようやく体が慣れてきました。

 休憩所で休憩していると、若い夫婦が赤ちゃんを抱いて登ってきました。


五合目休憩所(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)



愛宕山表参道(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)



愛宕山表参道(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 五合目をすぎてしばらく行くと、右手に大杉権現がみえます。


大杉権現(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 七合目からは京都市の景色の眺めが優れています。


愛宕山七合目からの京都市の景色(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 七合目から250mほど登ったところで、水尾別れにつきます。愛宕山には表参道(清滝道)のほかに、JR保津峡駅から北上して水尾別れで表参道と合流する水尾道と、鳥井脇を右に行って表参道の東側を通る月輪道があります。

 水尾別れは前に述べたとおり表参道と水尾道との合流地点です。 


水尾別れ(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)



愛宕山表参道(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 水尾別れを右側に行き、ここから700mほど歩くと黒門に到着します。

 頂上まではあと一踏ん張りです。


黒門(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 愛宕山の山頂付近には5月中旬であるにもかかわらず桜が咲いていました。5月中旬で桜が咲くのは、だいたい北海道と同じくらいなので、愛宕山はそんなに気候が厳しいのかと驚きましたが、この桜は遅咲きの桜だったようです。


愛宕山の桜(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 ようやく愛宕神社の石段につきました。愛宕神社は眼の先です。

 ちなみにこの石段の麓を右に行くと月輪道に行きます。


愛宕神社本殿へと続く石段(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)



愛宕神社鳥居(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)



愛宕神社拝殿(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 ついに愛宕山の頂上、愛宕神社につきました。

 愛宕神社は寛政10年(1798)焼失後の再建であるようですが、拝殿の装飾は華美であることから、明治頃の建立かもしれません。


愛宕神社拝殿(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)



愛宕神社拝殿の装飾(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)



愛宕神社拝殿の桜(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 帰りは表参道(清滝道)とは別の道を通って下山してみました。

 神社の石段の麓を右に行くと月輪道に行きます。


月輪道入口(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 この道を通る途中、京都市内の展望が開けた場所がありましたが、ここで大学のゼミ(地学?)らしい一行のフィールドワークに出会いました。


京都への展望(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)



月輪道(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 途中、月輪寺を通過しました。

 この月輪寺は空也以来の古刹ですが、不便な山中にあることから、存亡の危機に立たされているようです。ここに尼僧とその老母が住んでいたようですが、斜面側の建物は崖崩れのため崩壊寸前で、居住困難となっていたようです。

 今尼僧とその老母がどこにいるのかわかりませんが、月輪寺に若いお坊さんがいたので、何らかの方法で存続の道がはかられたのかもしれません。


月輪寺(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)



京都市への展望(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 道を降りていくと、やがてアスファルト舗装された道路に出ます。そのまま道路を進むと下山となるのですが、石橋を渡って空也滝に行ってみました。


空也滝への分岐(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 空也滝は分岐から200mほど登ったところにあります。

 たかだか200mだと思って走って登ってみたのですが、体力はまだあると思っていたのにあっというまにバテてしまいました。愛宕山はとくに険しい山ではありませんが、往復5時間半かかるため、以外と体力を使います。

 愛宕山は明智光秀が本能寺の変の前に連歌を催した場所として有名ですが、山崎の合戦の後に逃げ切れなかったのは、愛宕山に登って疲れ果てていたからと妄想してしまいました。


空也滝(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)

 あとはアスファルトの道を歩いて渡猿橋まで戻るだけですが、この舗装道路は意外と長く、分岐から渡猿橋まで2kmほどあります。


月輪道(平成23年(2011)5月15日、管理人撮影)



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