バンコク巡り

 バンコクでまず最初に観光したのがジム・トンプソン・ハウスです。文字通り、ジム・トンプソン(1906〜?)の旧宅でした。

 この人はもとはアメリカ人で、タイ・シルクを世界的に広めた人として有名ですが、第二次世界大戦中はOSSに属して、インドシナ半島で終戦を迎えています。このOSSとは、アメリカの諜報機関CIAの前身で、映画なんかではよく陰謀を企んでいるあの組織ですね。

 戦後はタイに留まってタイ・シルクの普及に尽力したのですが、1967年にマレーシアの友人の別荘で突然行方不明になってしまいました。この時期、東南アジアはベトナム戦争の真っ最中で、また共産主義の防波堤としてアメリカから大量の資金がタイ流れ込み、タイの周辺国でビルマ・ベトナム・カンボジア・ラオスが次々と社会主義・共産主義国となる中で、タイは最後まで西側に留まり続けました。そのような背景があるため、過去にアメリカ諜報機関の人間であったジム・トンプソンが失踪するというのは、何らかの出来事が彼の身の上に起こったのではないかと、ミステリアスな想像はつきません。

 このジム・トンプソン・ハウスは、タイの古民家を移築したものだそうです。当初はバンコクの大工に移築工事をさせていたそうですが、彼らに古建築の知識がないのを知ると、わざわざアユタヤから大工を呼び寄せた程の入れ込みようだったそうです。内部には多くの古美術品が展示されており、ドヴァラヴァティ様式の七世紀の仏像、清朝の染付磁器、アユタヤ時代の仏画といった多くの貴重な展示品で溢れています。

 ジム・トンプソンのミステリアスな失踪に思いを馳せる人が多いのか、多くの外国人が訪れています。ジム・トンプソン・ハウスは英語・フランス語・日本語の案内があり、非常に詳しくかつ丁寧に説明してくれるのでありがたいです。


ジム・トンプソン・ハウス(平成22年(2010)4月14日、管理人撮影)

 次に行ったのがワット・アルンです。直訳すると「暁の寺」で、三島由紀夫の小説の『豊饒の海』のタイトルロールです。乱世の梟雄にして一代で滅びた王朝を築いたタークシン王(位1767〜82)ゆかりの寺院です。塔は高さ81mあるそうです。


暁の寺(平成22年(2010)4月14日、管理人撮影)



暁の寺(平成22年(2010)4月14日、管理人撮影)

 この暁の寺で、僧が信徒に水をかけている場面にあいました。もしかするとソンクラーンの水掛け祭りは、もとはこのようなものであったのかもしれませんね。…今では高性能水鉄砲はおろか、バケツの水をかけられたり、練られた小麦粉みたいな白い物をかけられたり、果ては川からポンプで水をひいて、巨大ホースで噴射されたりと、凄まじいことになっています。


暁の寺の僧(平成22年(2010)4月14日、管理人撮影)

 次にチャオプラヤー川の東岸に渡ります。渡るには舟に乗る必要があるのですが、運賃は3バーツ。日本円にして9円です。といっても1分もかからないのですが…。


チャオプラヤー川の東岸をみる(平成22年(2010)4月14日、管理人撮影)



チャオプラヤー川(平成22年(2010)4月14日、管理人撮影)



チャオプラヤー川の東岸(平成22年(2010)4月14日、管理人撮影)

 対岸すぐのワット・ポーは釈迦涅槃像で有名です。この涅槃像はラーマ3世(位1824〜51)が建立したものです。足の裏だけでも高さ5mあります。


ワット・ポーの釈迦涅槃像(平成22年(2010)4月14日、管理人撮影)

 ワット・ポーの釈迦涅槃像の足の裏には螺鈿細工が施されており、前述の『暁の寺』にも、「その蹠はみごとな螺鈿細工で、こまかく区切られた黒地の一区切ごとに、虹色にきらめく真珠母が、牡丹、貝、仏具、岩、沼から生い出でた蓮の花、踊り子、怪鳥、獅子、白象、竜、馬、鶴、三帆の船、虎、鳳凰などの図柄を以て仏陀の事蹟をあらわしていた。」(三島由紀夫『暁の寺 豊饒の海(三)』〈新潮文庫、1977年10月〉19頁より部分引用)と描写されます。


ワット・ポーの釈迦涅槃像の足の裏(平成22年(2010)4月14日、管理人撮影)

 その後インド人街をへてチャオプラヤー川のカフェにて休憩しました。


インド人街(平成22年(2010)4月14日、管理人撮影)



インド人街(平成22年(2010)4月14日、管理人撮影)



チャオプラヤー川(平成22年(2010)4月14日、管理人撮影)



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