1日目 上海→寧波



上海国際空港(平成22年(2010)8月15日、管理人撮影)

 突然ですが3泊4日のツアーで中国に行ってきました。

 朝10時の飛行機で関空を出発。上海空港に到着すると、旅行会社の用意したバスで一路寧波へ。

 かつて上海から寧波に行くには、上海→杭州→寧波と杭州湾を大回りする必要があったのですが、全長36kmの杭州大橋の完成によって上海から寧波へ直接行くことができるようになり、時間もかなり短縮されたのです。


杭州大橋のはず(平成22年(2010)8月15日、管理人撮影)

 上海から一時間半で寧波に到着します。

 寧波は甬江河口から少し遡行した場所にある河川都市で、かつてはギン県・四明・明州・慶元府と呼ばれた国際貿易港でした。

 かつてはここは遣唐使が到着し、また勘合貿易の舞台でした。


寧波市(平成22年(2010)8月15日、管理人撮影)



寧波の公園(平成22年(2010)8月15日、管理人撮影)

 途中、天后宮がみえました。

 天后宮は媽祖信仰の廟で、媽祖は航海の神として信仰を集める道教の神です。もとは同様に航海者の信仰を集めた観音信仰が変化したものです。日本にも沖縄に上天妃宮があり、長崎や青森・茨城・横浜などに媽祖が祀られているそうです。

 ところで寧波の天后宮は慶安会館の中にあります。慶安会館は清代の1850年代に商業ギルドの会館として設置されたのですが、古い国際貿易港寧波としては天后宮の建立が新しいような気がします。伝説では紹熙2年(1191)に寧波の天后宮が建立されたといいますが、道光年間(1821〜50)の寧波の方志(地誌)『寧波府志』には天后宮の記載がないので、実際に寧波に天后宮が建立されたのは慶安会館の設置と同時期なのかもしれません。

 寧波の天后宮の建立が遅れたのは、寧波の沖合に観音(航海者に信仰された)信仰の霊地・普陀山があることも関係するのかもしれません。


寧波の慶安会館の天后宮(平成22年(2010)8月15日、管理人撮影)

 道元上陸の記念碑があります。

 道元は嘉定16年(1223)5月に慶元府、つまり現在の寧波に船で到着しました。そのまま上陸せずに船に滞在していましたが、この時、阿育王寺の典座(てんぞ)という禅寺における食事を司る職掌にある人物と出会います。
 詳細は『典座教訓』(講談社学術文庫で現代語訳されています)をどうぞ。


寧波の道元禅師上陸の碑(平成22年(2010)8月15日、管理人撮影)

 この日の夜は寧波市内に宿泊しました。

 夜に延慶寺跡や夜も活気のある寧波の中心街をみてきました。かつて国際貿易港であった寧波は、現在紡績業で栄え、500万人を超える大都市となっています。


寧波の夜景(平成22年(2010)8月15日、管理人撮影)



「2日目 寧波→普陀山」へ進む

「雲は行客の跡を埋む」に戻る
「とっぷぺ〜じ」に戻る