ウィーン10 美術史美術館1



132美術史美術館内部の階段踊り場の天井(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 美術史美術館の踊り場上の階段支柱にはクリムトの「パラス・アテネ」が描かれています。


133美術史美術館内部の階段支柱のクリムト「パラス・アテネ」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



134美術史美術館内部の階段支柱のクリムト「パラス・アテネ」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 美術史美術館内部の作品は、フラッシュさえたかなければ撮影自由なのです(欧州の美術館は撮影自由のところが多いようです)

 写真はラファエロの「草原の聖母(ヴェルヴェデーレの聖母)」です。


135ラファエロ「草原の聖母(ヴェルヴェデーレの聖母)」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 アンドレア・マンテーニャ Andrea Mantegna(1431〜1506)の「聖セバスティアン」です。かなり痛々しい絵ですが、聖セバスティアンは疾病の聖人とされているそうです。


 ヤコブス・デ・ウォラギネ Jacobus de Voragine(1230〜98)の『黄金伝説』には彼の最期について以下のように描写しています。
 「(前略)皇帝ディオクレティアヌスは、彼(セバスティアヌス)を野原のまんなかの杭にしばりつけ、兵卒たちに矢を射かけるように命令した。兵卒たちは、大量の矢を射かけた。そのために、彼は、はりねずみのようになった。兵卒たちは、彼を死んだものとおもって、彼を置いて帰っていった。ところが、その数日後、皇帝の宮殿まえの階段のうえに、彼が元気な姿で立っていた。ディオクレティアヌスとマクシミアヌスの両皇帝がやってきたとき、彼は、彼らがキリスト教徒たちにくわえた拷問のことを憤激の言葉でなじった。ふたりの皇帝は、「これは、このあいだ矢で射殺すように命じておいたセバスティアヌスではないか」と言った。セバスティアヌスは、答えた。「あなたがたに直接会って、あなたがたがキリストのしもべたちにくわえた迫害を責めるようにと、主がわたしを死から呼びさまされたのです」そこで、両皇帝は、彼を長いこと棍棒で打たせて、ついに殺してしまった。そして、キリスト教徒たちが彼を殉教者として崇敬することができないように、死体を暗渠に投げこませた。しかし、その夜、聖セバスティアヌスは、ルキナというキリスト信女の夢枕にあらわれて、自分の遺体のありかを教え、使徒たちの足もとに埋葬するようにたのんだ。ルキナは、言われたとおりにした。聖セバスティアヌスが殉教したのは、二八七年ごろに帝位についたディオクレティアヌスおよびマクシミアヌス両皇帝の治下のことであった。」(前田敬作・山口裕『ヤコブス・デ・ウォラギネ 黄金伝説1』〈平凡社ライブラリー、2006年5月〉285−286頁)

 「ランドバルド人の歴史書に書かれていることだが、グンベルトゥス王の時代に、イタリア全土に黒死病が大流行したことがあった。つぎつぎに死者が出て、ろくすっぽ埋葬できないありさまであった。とりわけローマとパヴィアにおいて猖獗をきわめた。そのころ、多くの人々が肉眼で空に守護の天使を見た。天使は、槍をもったひとりの悪魔をつれていた。悪魔は、天使に命じられるたびに槍を突いて、死をもたらしていた。悪魔がある家を槍で叩くと、その叩いた数だけ死者がその家からはこびだされた。そのとき、ある善良な人が、この黒死病は聖セバスティアヌスにささげる祭壇がパヴィアに設けられないかぎりは終息しないという神のお告げを受けた。そこで、ローマの鎖のサン・ピエトロ大聖堂でその奉献がおこなわれると、たちまちペストはおさまった。そして、聖セバスティアヌスの聖遺骨は、ローマからパヴィアに分骨された。」(前田敬作・山口裕『ヤコブス・デ・ウォラギネ 黄金伝説1』〈平凡社ライブラリー、2006年5月〉287頁)

 このように聖セバスティアンは矢によって射られるものの奇跡によって死ぬことが無く、黒死病(ペスト)の厄災から人々を救う守護者であったことがわかります。当時の欧州ではペストのたびに多くの人が死んだことから、彼の姿が好んで描かれることになったのです。


136マンテーニャ「聖セバスティアン」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 ジュゼッペ・アルチンボルド Giuseppe Arcimboldo(1527〜93)の連作の「四季」と「四大元素」です。奇妙奇天烈な肖像を書く人ですが、それにしても気持ち悪い。


137アンチンボルド「夏」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



138アンチンボルド「火(四大元素うち)」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 カラヴァッジョ Michelangelo Merisi da Caravaggio(1571〜1610)の「茨の冠をかぶったキリスト」です。

 モチーフに陰影を用い、劇的な構成を示した力作であるにもかかわらず、真作であるかどうか議論されていたそうです。近年、初期のカラヴァッジョのパトロンのヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニ(1564〜1637)が所有していたことが確認されたため、カラヴァッジョの真作であることが確定したそうです。


139カラヴァッジョ「茨の冠をかぶったキリスト」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



140美術史美術館内部(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 ルイ十六世とマリー・アントワネット像を通過すると二階ホールがみえます。


141ルイ十六世とマリー・アントワネット像(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 二階ホールにはカフェ・ゲルストナーが入っています。美術史美術館自体が美しい装飾が施されていることもあり、「ウィーンで最も美しいカフェ」といわれています。


142美術史美術館二階ホール(カフェ・ゲルストナーの真上)(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



143美術史美術館二階ホール(カフェ・ゲルストナーの真上)(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 美術史美術館の二階の半分(イタリア・スペイン・フランス絵画)を見ただけで、かなり疲労困憊しており、前日からの足の疲労もピークに達していたこともあり、カフェに行って見たのですが、カフェ・ゲルストナーには行列が出来ており、疲れた顔した人々が列をなしていました。

 日本人観光客らしき団体客がカフェ・ゲルストナーの一角を占めていたにもかかわらず、飲み物・食べ物にほとんど手をつけずに残していたので、同じ日本人ながらかなり憤慨いたしました。

 カフェ・ゲルストナーはかなり忙しいらしく、ウェイターがきびきびと働いていました。ピシッとした格好をしており、現地ではステータスなのでしょうか。さすがゲルストナーだけあって、とてもおいしかったです。疲労も何やら回復したような気がします。


144美術史美術館二階ホールのカフェ・ゲルストナー(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



145美術史美術館二階ホールのカフェ・ゲルストナー(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 カフェに行った後、次はオランダ・フラマン・ドイツ絵画を見学です。いわゆる「北方ルネサンス」です。


146クラナッハ「アダムとイブ」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 デューラー Albrecht Durer(1471〜1528)の「聖三位一体(諸聖人の絵)」です。アウグスティヌスの『神の国』に基づいた絵画で、教皇・皇帝・諸階級と祭壇の寄進者からなるこの世のキリスト教団と、マリア、ヨハネに率いられた天国の共同体が一緒になった三位一体をあらわしています。

 美術史美術館のコレクションを大成したルドルフ2世がこよなくデューラーを愛したため、美術史美術館のデューラーコレクションは充実しています。


147デューラー「聖三位一体」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



148デューラー「若きヴェネチアの貴婦人」(左)と同「ヨハンネス・クレーベルガーの肖像」(右)(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)。



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