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覚運廟(平成24年(2012)12月31日、管理人撮影)
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覚運廟(かくうんびょう)は比叡山延暦寺の東坂と悲田谷道の合流地点付近に位置する、檀那院覚運(953〜1007)の廟所です。
檀那院覚運
覚運(953〜1007)は洛陽(京都)の人である。延暦寺に住して幼い頃より才能豊かで、比叡山の手本ともいうべき人と称された。早くから菩提を求め、念仏を業としていた。これをみた天台座主良源(912〜85)らは、「このような人が大業(竪義)をとげなかったら、道の恥である」といって竪義に推薦し、四種三昧の義を出題した。覚運は布衣を着て堂に入った。見物の大衆たちは歎息しない者はいなかった。「こころに止観を論ずる者は、西方阿弥陀仏を念ず」という出題が読まれた時、覚運は不覚にも涙を流してしまった。これは覚運が道心の者であるため、出題者である探題がこの設問をつくったのであった。竪義は9題を無事に終え、第10問目も懸案はないようにみえたが、今度は出題者である探題の禅芸がいきづまって覚運に試問することができなかった。そこで天台座主良源みずから「私が精義(問答の可否を判定)しよう」といい、「六観世音を広うすれば即ちこれ廿五三昧」の出題について、良源は六観音のそれぞれの種子は何か問いかけると、覚運は「密教を習っていないので正しく解答できません」といった。良源は「すでに広学であるのに、どうして真言の教を知らないというのか」といった(『続本朝往生伝』権少僧都覚運)。
密教を不得手としていた覚運であったが、静真(生没年不明)より密教を学んだ。静真が臨終の際、覚運に対してその後は皇慶(977〜1049)に師事するよう命じた。皇慶は当時まだ30歳にもならず、覚運よりも24歳も年下であったが、その遺言通り覚運は皇慶に師事した(『続本朝往生伝』権少僧都覚運)。皇慶は入宋を志して大宰府に向かうため、藤原道長邸に赴いたが、道長邸にいた覚運は皇慶が去る時、地に跪き、自らその笠を取って門に送迎した(『谷阿闍梨伝』)。覚運は藤原道長の法華三十講において証義者となり、唯識・因明の奥儀に通じていたため、本場法相宗の僧侶は皆驚いた(『続本朝往生伝』権少僧都覚運)。
覚運の背中に重度の腫物ができ、多くの医者が診断して完治したとみなしたが、重源阿闍梨が後に腫物のかさぶたに水を注いで、水を診断すると、まだ治癒していないことが発覚したものの、すでに手遅れであった。示寂に際して仏を念じて乱れることなく、結跏趺坐して示寂した(『続本朝往生伝』権少僧都覚運)。寛弘4年(1007)11月1日の事であった(『権記』寛弘4年11月1日条)。治安元年(1021)5月27日に贈大僧正を追贈された(『日本紀略』治安元年5月27日条)。
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覚運廟(平成24年(2012)12月31日、管理人撮影)
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檀那院
檀那院は覚運が住していた住坊である。もとは良源の弟子の律師興良(912〜88)の坊であったが、天元2年(979)8月10日より同年10月18日までの期間、檀那院で如意秘法が修された。天元3年(980)6月1日に皇太子が降誕したため、この堂を御願所とし、10口の僧を交名注進することとなった(『阿娑縛抄』第201、諸寺略記下、延暦寺三塔諸堂、東塔、檀那院)。
建物は桧皮葺の3間4面の堂があり、1尺5寸の釈迦・阿弥陀・薬師如来、如意輪観音・五大尊・毘沙門像が安置された。他に桧皮葺3間4面の堂、5間1面の大衆屋、8間4面の庇板葺の僧房、納殿があり、極めて大規模な子院であった(『阿娑縛抄』第201、諸寺略記下、延暦寺三塔諸堂、東塔、檀那院)。
後に覚運が檀那院に住し(『続本朝往生伝』権少僧都覚運)、寛和3年(987)3月6日に御願寺となったが(『阿娑縛抄』第201、諸寺略記下、延暦寺三塔諸堂、東塔、檀那院)、これは覚運の遺奏によるものであった(『続本朝往生伝』権少僧都覚運)。康和元年(1099)11月18日に焼失したが、康和3年(1101)12月までに再建された(『僧綱申文』第3、凡僧申僧綱)。
檀那院堂の近世期の本尊は本尊は薬師如来で、最澄の作であったという(『比叡山堂舎僧坊記』東谷、檀那院)。檀那院は後に仏頂堂と合併して聖尊院となり、廃絶した。覚運墓は檀那院が廃絶した後も存在しており、近世期には墓のみが残っていた。近世期に石碑を建立されている(『近江国輿地志略』巻之22、志賀郡第17、比叡山、檀那院覚運墓)。この整備は白毫院二世の貞暁によって行われたものである(『東塔五谷堂舎並各坊世譜』東谷、檀那贈僧正廟)。
[参考文献]
・景山春樹『史蹟論攷』(山本湖舟写真工芸部、1965年8月)
・武覚超『比叡山諸堂史の研究』(法蔵館、2008年3月)
・清水擴『延暦寺の建築史的研究』(中央公論美術出版、2009年8月)
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覚運廟(平成24年(2012)12月31日、管理人撮影)
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覚運廟(平成24年(2012)12月31日、管理人撮影)
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