ウィーン11 美術史美術館2



149美術史美術館内部。ルーベンス「聖フランシスコ・ザビエルの奇跡」がみえる(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 足が疲れてきたので、ところどころに設置されたソファーに座ってふと上を見上げると、ヴァン・ダイク Anthony van Dyck(1599〜1641)の「皇帝テオドシウスのミラノ大聖堂入堂を拒む聖アンブロシウス」です。

 豪華絢爛な歴史絵巻を垣間見るようですが、ヤコブス・デ・ウォラギネ Jacobus de Voragine(1230〜98)の『黄金伝説』によると、「テッサロニケの町で暴動があって、数人の裁判官が住民に石で打ち殺されるという事件が起こった。皇帝テオドシウスは、非常に怒って、罪のあるなしを問わず、住民をみな殺しにせよと命じた。こうして約五千人が惨殺された。この事件のあと、皇帝は、ミラノへ出かけた。ところが、教会に入ろうとすると、アンブロシウスが教会の扉のところまで出迎えるなり、皇帝のまえに立ちはだかって、(中略)」「皇帝は、この言葉におとなしくしたがい、ため息をつきながら宮殿に帰った。」(前田敬作・山口裕『ヤコブス・デ・ウォラギネ 黄金伝説2』〈平凡社ライブラリー、2006年6月〉73・74頁)とあり、さらに日を経て懇願した皇帝は許されたものの、聖務へ加わる際には会衆と同様の場所へのみの参加となり、皇帝と司祭の違いが奈辺にあるかを知るという説話なのです。

 この絵では、皇帝テオドシウスの背中は慈悲を請うかのように、卑屈に曲がっており、足元は古代ローマらしくサンダルを履いています。それに対してアンブロシウスは毅然として背筋はまっすぐに、かつ彼の手のひらはテオドシウス帝の腕と平衡上に押さえるかのようになっています。またアンブロシウスが着る法衣は、顎下や足元を隠して、粗野なテオドシウスと対比するかのようになっています。

 またアンブロシウスの目線はテオドシウスやその部下達よりも高いところにあって、威厳を見せつけていますが、懇願するかのような皇帝に対して、部下達は若干冷ややかな眼で傍観しています。教会の権威が、皇帝の俗権を上回ったことの記念碑的題材なのです。


 翻って見れば、質素な皇帝と、豪華な法衣を着たテオドシウスは対比となって、俗世間に対する教界への皮肉とも受け取られます。


150ヴァン・ダイク「皇帝テオドシウスのミラノ大聖堂入堂を拒む聖アンブロシウス」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 オランダの画家サミュエル・ファン・ホーホストラーテン Samuel van Hoogstraten(1627〜78)の「窓の男」です。

 1653年にウィーンで描かれたこの絵は、ユダヤ教のラビであるヨン・トプ・リップマン・ヘラー Jom-Tob Lipmann Heller(1579〜1654)であるとされています(ただし1653年にはウィーンにはいなかった)。

 壁の石枠まで描かれ、だまし絵のようになっています。


151サミュエル・ファン・ホーホストラーテン「窓の男」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 いよいよフェルメール「画家のアトリエ」です。

 入り口を通って部屋に入ろうとすると、薄暗い部屋の中に、そこだけスポットライトが当てられており、すぐにわかりました。私にとって平成16年(2004)の兵庫県立美術館の「栄光のオランダ・フランドル絵画展」以来の出会いです。


152フェルメール「画家のアトリエ」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



153フェルメール「画家のアトリエ」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 ここから美術史美術館のハイライトといえるブリューゲルです。


154ブリューゲル「バベルの塔」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



155ブリューゲル「農民の踊り」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 ソチオリンピックでオランダ勢のスケートが強い理由がこのブリューゲル「雪中の狩人」の中に隠されています。

 といっても、スケートをしている人が描かれているだけですが、ルネサンス時代からオランダ人はスケートを楽しんでいたのですね。


156ブリューゲル「雪中の狩人」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 最近「怖い絵」として話題になっているブリューゲル「ベツレヘムの嬰児虐殺」です。

 現在は修復が行われているのでブリューゲルの意図したことがわかるのですが、近年まで、殺された嬰児達は、家畜だの荷物だのに書き替えられていたので、それがかえって怖いのです。


157ブリューゲル「ベツレヘムの嬰児虐殺」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



158ブリューゲル「農民の結婚式」(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 美術館見学を終えて外に出ると既に真っ暗です。昼前から美術館にいたので、彼これ7・8時間ほどいたことになります。

 疲れたのでカフェに行きます。


159ロースハウス(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



160デメル(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)。隣はマンツ書店。



161デメル内部(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 デメルはミヒャエル広場からロースハウスの右側のコールマルクト通りを直進いてすぐのところにあります。かつてはハプスブルク家御用達の菓子店で、皇帝主催の舞踏会の出席者には、ハプスブルク家の双頭の鷲の紋章がついたチョコレートの小箱がお土産として下賜される慣習がありました。

 デメルの名物といえば、「トルテ戦争」で有名なザッハートルテです。正直言うと、デメルのザッハートルテは砂糖質が口の中でジャリジャリするほど甘味が強すぎ、私は後日食べたザッハーの方に軍配を上げました。


162カフェ・デメルのザッハートルテ(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 アドルフ・ロースの建築で有名なマンツ書店は、デメルの隣にあります。


163マンツ書店(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 夕方にカフェでケーキを食べただけ(といったもかなり胃にもたれる)なので、ウィーンらしい食事を食べてみたくなりました。昨晩はイタリアンレストランでまずいパスタだったので、何としてもウィーンの伝統料理を食べたみたいものです。

 まずはグラーベンにふらふら行って見ると、クリスマスの屋台があちこちで開かれています。ウィーンの大晦日にはピンクのブタを飾る風習があるらしく、様々なピンクのブタのアクセサリーが売っています。

 いくつかブタを買ってみましたが、ちなみに帰りにウィーン国際空港の売店で、スワロフスキーのクリスタルのブタを指さして「ください」と言ったところ、よっぽど売れない商品だったらしく、大声で「リアリー!?」と聞かれたあげく、箱が見つからず、もう一人応援を呼んで箱を探していました。


164グラーベンのクリスマス出店(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



165ハースハウス(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 まずはシュニッツェルで有名なフィグルミューラーに行ってみましたが、40分並んだにもかかわらず19時くらいで売り切れにつき食べられず。

 他にいろいろな店に行ってみましたが、伝統料理店は予約必須のところが多く、ほとんど入店すらできず、他にはイタリアンレストランなので、諦めかけていましたが…。


166フィグルミューラー(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



167ケルントナー通りとアンナガッセ通りの交差点(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 ケルントナー通りとアンナガッセ通りにドイツの外食チェーン店ヴィエナーヴァルトがあります。


168ヴィエナーヴァルト(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



169ヴィエナーヴァルト店内(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 このヴィエナーヴァルトはチェーン店でありながら、ウィーンの伝統料理が一揃え置かれています。ただし味はかなり大味。

 グラーシュはハンガリー由来の煮込み料理です。


170グラーシュ(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 ターフェルシュピッツは茹でた牛肉をソースと一緒に食べるもので、ほうれん草のペーストやりんごのペースト、近年日本でもおなじみになった西洋わさびをつけます。

 ヴィエナー・シュニッツェルは仔牛の肉を薄くのばして揚げたもの。


171ターフェルシュピッツ(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



172ヴィエナー・シュニッツェル(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)

 お腹がいっぱいになったので徒歩でホテルに戻ります。美術史美術館はかなり疲れましたが、行ってよかったと思いました。


173ウィーン国立歌劇場(平成25年(2013)12月27日、管理人撮影)



「ウィーン12 楽友会館」に進む
「ウィーン10 美術史美術館1」に戻る
「雲は行客の跡を埋む」に戻る
「とっぷぺ〜じ」に戻る