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恭宗廟はかつて京城(フエ旧市街)内の順吉坊に南向で位置した。ここに祀られる恭宗とは、阮朝第5代皇帝の育徳帝(位1883)のことである。
育徳帝は嗣徳帝の甥にあたる。嗣徳帝には子がおらず、嗣徳帝の指名により崩じた後に帝位についたが、権臣と対立、わずか3日で廃位され、飢餓によって弑逆された。
このように帝位にありながらも即位式を行なわず、元号も定めることなく3日で廃位となったため、歴代皇帝の中には正式には数えられていなかったが、子の成泰帝が即位すると恭宗恵皇帝の廟号・諡号が追贈された。ところが正式な歴代皇帝には数えられていないこともあって、歴代皇帝が祀られる世廟に合祀されることはなかった。そのため成泰帝の時代になると新たに廟所が建立されたのであるが、皇城(阮朝王宮)内部ではなく、その東南の地に新たに建立を余儀なくされた。
成泰3年(1891)に建立され、当初は新廟と呼ばれていたが、成泰9年(1897)に恭宗廟に改称された(『大南一統志』巻之1、京師、城池、恭宗廟)。
正眷(正殿)と前眷(前殿)がそれぞれあり、内部に恭宗恵皇帝の神龕(位牌)を安置する。祭祀は世廟同様に四辰忌に実施された。前方に左右粛家を、後方に従院を建立し、外部は城壁にて囲んだ。門は4箇所あり、前方には三関を設置し、その上部の楼内に竪塞門を建てた。三関の左右と後方にそれぞれ腋門(脇門)がある(『大南一統志』巻之1、京師、城池、恭宗廟)。
恭宗廟は順吉坊には残存していないが、育徳帝の陵墓である安陵自体は残存している。
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京師図・『大南一統志』巻1より恭廟部分(松本信広編纂『大南一統志 第1輯』〈印度支那研究会、1941年3月〉44-45頁より転載。同書はパブリック・ドメインとなっている)
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