函館の建築散歩3 五稜郭・四稜郭



基坂の案内柱(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 末広町の函館市北方民族資料館は大正15年(1926)に建てられた日本銀行函館支店です。鉄筋コンクリート造三階建の建物です。かつては明治44年(1911)に辰野金吾と長野宇平治が設計した木造モルタル塗の建物がありましたが、大正13年(1924)の大火で焼失し、建て替えられた建物です。古典様式から脱却したセセッション様式の瀟洒な建物です。


旧日本銀行函館支店(函館市北方民族資料館)(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 大町の相馬合名会社は筒井長左衛門の設計により大正2年(1913)に建てられた木造二階建の洋館です。薄緑色に塗られたルネッサンス風の建物で、玄関や一階の窓上にあるペディメント(三角破風)、玄関左右のエンタシス、二階窓の破風など、不思議な魅力に満ちています。


旧相馬合名会社(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 末広町の市立函館博物館郷土資料館は、行商渡辺熊四郎によって明治13年(1880)に建てられた金森洋物店の建物です。茂辺地煉化石製作所で造られた煉瓦を用いた二階建の建物で、外壁面は漆喰で仕上げされています。徹底した防火意識によって大正・昭和の大火を生き残った希有な建物です。北海道の有形文化財に指定されています。


旧金森洋物店(市立函館博物館郷土資料館)(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 ホテルニュー函館は、昭和7年(1932)に建てられた安田銀行函館支店の建物です。設計は安田銀行営繕係で、同係は大正末期から昭和初期にかけて全国に同タイプの支店を設計しており、壁から張り出した付柱を4本建て、柱と柱の間には縦窓を設けています。先立つ昭和5年(1930)には同タイプの小樽支店が完成しています。

 昭和43年(1968)にホテルに改装されています。


旧安田銀行函館支店(ホテルニュー函館)(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 大三坂入口手前の白い建物は、明治40年(1907)に建てられた旧リューリ商会です。木造二階建で、二階部分のバルコニーは半円型三連アーチが意匠されています。昭和59年(1984)に川越電気商会が復元しており、翌昭和60年(1985)に歴風文化賞を受賞しました。


旧リューリ商会(川越電化センター)(右)(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 旧今井百貨店函館支店です。大正12年(1923)に建てられた鉄筋コンクリート五階建の建物です。かつて「函館の日本橋」と称された末広町を代表する建物で、昭和15年(1940)に塔状の四階・五階が増築されました。昭和9年(1934)の火災で内部を焼失したため、構造補強が行われており、内部の柱をクロス状に結ぶ大梁で補強されました。近年再生されています。



旧今井百貨店函館支店(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 チンチン電車に乗って五稜郭に向かいました。


チンチン電車(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)



五稜郭タワー(平成24年(2012)11月30日、管理人配偶者撮影)

 五稜郭につきました。


五稜郭(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)



五稜郭(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)



五稜郭(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)



五稜郭(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)



五稜郭(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 五稜郭には幼い頃から何度も行っており(桜の名所なのです)、ここではとくに書くことがないのですが、幼い時とは異なって、箱館奉行所が復元されています。望楼が印象的な建物ですが、函館戦争の際には望楼が標的となって新政府軍によって函館山から砲弾が撃ちこまれたため、蝦夷政府側が望楼を取り壊したそうです。


五稜郭内箱館奉行所(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 次にタクシーで四稜郭に向かいました。

 前回行った時は近かったような気がしていたのですが、実際にはかなり遠く、かなりタクシー代がかかってしまいました。朝鮮距離で北東3kmほどですが、道程だと結構かかるのです。


四稜郭の案内板(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 陣川町にある稜堡式の要塞で、明治2年(1869)4月に蝦夷政府側の大鳥圭介らによってわずか二週間で建造されましたが、新政府軍の攻撃でわずか数時間の戦闘で陥落してしまいました。

 四稜郭はマイナーな要塞で、箱館沖開戦で新政府軍軍艦「朝陽」を撃沈した弁天台場や、中島父子の悲劇で有名な千代ヶ岱台場はいずれも現存していませんが、全く戦況に寄与しなかった四稜郭が残ったことは一抹の感慨がなきにしもあらずといったところです。


四稜郭(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)



四稜郭(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)



四稜郭(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)



四稜郭(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)

 夕方に旭町の叔父(母の兄)のもとに挨拶に行きました。夕食をいただき、叔父の案内で夜の函館名所廻りをしました。

 写真は中華会館です。朱英表の設計により、中国より工人を招いて明治43年(1910)に完成しました。関帝廟形式の集会場で、中華会館は横浜・神戸にもありますが、いずれも戦災で焼失・再建しているため、戦前遺構として貴重です。


中華会館(平成24年(2012)11月30日、管理人撮影)



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