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南浦洞(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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金井山城から下山すると空腹になりました。私は山登りの後はカレーか焼き肉を食べるのが楽しみなので、せっかく韓国に来たこともあり、焼き肉を食べることにしました。
最終日の今日は14時までにホテルに集合して空港に向かうので、あまり時間がありません。観光をしながら食事をと考えた時、焼き肉といえば国際市場が有名で、その付近にある倭館跡を訪れてみればちょうどいい時間になるのでは、と思い、行ってみることにしました。
地下鉄1号線の梵魚寺駅(駅番133)から南浦駅(駅番111)まで30分近くかかります。南浦駅に着いた時、11時30分になっていました。
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倭館跡の案内板の図(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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南浦洞や龍頭山公園にかけて、江戸時代を通じて「草梁倭館」という倭館がありました。倭館とは、朝鮮版出島みたいなもので、オランダ人が日本人になったようなものですが、規模はかなり大きく、東西580〜750m、南北450〜560mに及びました。
名著『書き替えられた国書』(中公新書)で有名な田代和生氏の『新・倭館-鎖国時代の日本人町』(ゆまに書房、2011年9月)を読んで、行ってみたいと思っていたので、今回の旅行を期に行ってみることにしました。
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南浦洞(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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といっても、今では倭館があったことを示すようなものは何もありません。人手の多い光復路の繁華街の中に、誰も足を止めることのない案内板だけがその事実を示しています。
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南浦洞(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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南浦洞の倭館跡案内板(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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次に国際市場の焼き肉屋さんを探してみました。
光復路を南に向かうとやがて大きく西側に曲がります。そこをさらに龍頭山公園と平行するように北に向かうと、すると大覚寺がみえるので、今度は西に小さな路次を入ります。
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大覚寺大雄殿(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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国際市場(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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とりあえず入った焼肉店「釜山カルビ」。サービスはよかったのですが、少し高い…。
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釜山カルビ(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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釜山カルビ(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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空腹も癒え、ビールを呑んでほろ酔いなので、動き回るのが面倒になりました。
少し歩くと釜山近代歴史館がみえてきました。入場料は無料です。この建物は東洋拓殖株式会社の釜山支店だったもので、レトロな建物好きな私には堪りません。
戦後アメリカに接収され、アメリカ文化館となりましたが、反米学生によって焼討ちされ死傷者を出したこともあるそうです。その後1993年に返還され、今に至っています。
展示内容には少々鼻につくところもありますが、日本語も併記されており、なかなか面白いところです。
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釜山近代歴史館(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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龍頭山公園付近よりみた釜山港(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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龍頭山公園下のエスカレータ中段(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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龍頭山公園は南浦洞の小山で、倭館時代にはこの中腹を切り開いて館守屋が置かれていました。その下には開市大庁(私貿易会所)、裁判屋(外交交渉官)が置かれていました。
また現在のロイヤルホテル付近には茶碗窯が設置され、対州御本と呼ばれる高麗茶碗を模した焼物が生産されていました。
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龍頭山公園(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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13時30分頃にホテルに戻って空港に向かい、16時40分に搭乗した釜山航空BX122便が関西国際空港にむけて離陸しました。
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釜山金海国際空港(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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釜山金海国際空港(平成25年(2013)3月17日、管理人撮影)
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