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(292頁上段)
壬生寺縁起下
目録
一貧尼に代て債を贖給ふ事
二女人腹の病平腹の事
三番勾當高遠が身に代給ふ事
四火災をまぬかるゝ事
五咒咀の難をまぬかるゝ事
六地藏菩薩の引導に依て臨終正念を得る事
七本尊の茶湯を乞請て病患を免るゝ事
八絹を焦せる難をまぬかるゝ事
九當寺の砂を受て産婦平安を得る事
十當寺壇供の功徳付小兒急難を免るゝ事
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第一貧尼に代て債を贖給ふ事
第八十六世四條院の御宇建應年中都に家貧し
き尼あり。人に錢をかりけるが。つくなふ事
かなはずして年重りければ。利足をくはふれ
ば一倍にも過たり。かしたる人もさまヾヽこ
ひしへたぐれども。本より貧しくてかりぬる
錢のますヽヽかさなり侍れば。せんすべなく
て此本尊に祈奉ることいとせち也。有時通夜
してよりもふさす寳號をとなへひとへに菩薩
の利生をのみョみ奉りけるが。いたくふけて
しばしまどろみたるに。いとけだかき僧の來
りて。いたくなわびそ。汝が家に歸りなん道
に逢たらん僧をかたらへと宣ひて失給ふ。夢
覺てうれしさいふばかりなくョもしくて。曉
御寺を出る道にてはたして一人の僧にあひた
り。是ならんと思ひて立よりて。夢のやうを
かたる。僧聞て不便の事にも侍るかないかば
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かりの事にかと問給ふ。さればよもとかりた
るにそこばくの利をくはへ侍れば。今十貫文
ばかりになり侍るといふ。僧のいはく。我そ
れ程の錢を持たり。汝が家にをくりてんとて
其後あやしき童二人に携へ持せて尼にあたへ
ゆき方しらずなりぬ。呼財寳盈溢の誓ひ空し
からずと見聞人たうとみあへりける。
第二女人腹の病平腹の事
第八十五世後堀河院の御宇貞應年中ある田舍
女房腹の病を煩ひて太秦の藥師に祈り詣侍り
けるが。夕だちにあひてゆくりなく此寺に入
雨の晴間待ほど。やゝ日も暮ければ。心の外
に御堂に通夜しをりけるを。其時の執行蓮文房
といふ人本尊の御前にさぶらはれけるが。
いかなる願望有て通夜し侍るぞととふ。此女
房しかヾヽのことになんと語る。やがて東の
局へ請じ入。いたはりて本尊の靈驗などを語
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る。かの女房かくたうとき御佛ともしらざり
つるにいとたうとくも侍るかな。かしこくも
雨やどりしけることよ。いかさまにもすくせ
のえんによるにこそと心ことに信をとり。御
名を唱へてひたすら病苦平愈せん事をぞ祈り
奉りける。夜たけなはにしてしばしまどろみ
たるに。墨染の衣き給へるやごとなき御僧御帳
の内より立出させ給て。うれふる事なかれ
いやしてとらせんずるなりと宣ふと見て夢さ
めぬ。いとョもしくうれしくて七日參籠して
いよヽヽ悲願をョ奉りける。すでに七日にみ
ちぬる夜の夢にかの御僧おなじさまにて御帳
の内より出させ給ひ。御手をのべて此女房の
腹を按摩せさせ給へば。身の毛よだちたうと
くて夢さめぬ。翌朝より所勞たちまちいゑ。
すくよかに成て古郷になん歸りける。
第三香勾當高遠が身に代り給ふ事
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第九十七世光明院の御宇康永年中備後三郎高徳
むかし新田義貞に與して足利尊氏といどみ
けるが。猶新田義治を大將として尊氏をかた
ぶけんと。究竟の忍の者を四條壬生の邊に隱
し置て時節をうかゞひけるに。京兆尹都筑入道
もれ聞て二百餘騎にて壬生の宿に押寄る。
義を守る兵は先程の有かぎりは射盡して皆腹
切て死にけり。殘る與黨は皆散々に落失ぬ。
其中に武藏國の住人香勾當新左衞門高遠とい
う者。さしも十重廿重に取卷ける軍勢の中を
打破りて此地藏堂に走り入。いづこに身を隱
さましと。かなたこなたを見まはす所に。寺
僧かとおぼしき法師一人堂裏より出て高遠に
いふやう。左樣の體にてはかなふまじ。其太
刀に此念珠をとりかへて持給へと云ければ。
げにもとて此法師のいふに從て以大神通方便
力勿令墮存諸惡趣と高らかにとなへ居たりけ
(294頁下段)
る所へ。寄手四五十人堂の大庭へ走り入。門
門をさしかためて殘る所なく捜しけるが。是
を見て只尋常の參詣の人と思ひ敢てとがめあ
やしむ者なし。然る所に只今物切たるとおぼ
しくて鋒に血のつきたる太刀を袖の下に引そ
ばめて持たる法師堂の傍に立たるを見つけて
すはやこゝに落人はあなれとて。二三人走り
寄て打倒し高手小手にいましめて侍所に渡せ
ば。都筑入道うけ取て詰籠の中にぞ入たりけ
る。警固の武士目も放たず。籠の戸をきびし
くとざして守り居たるに。翌日に成て此囚く
れに失にけり。預りの武士驚きあやしみて其
跡をしたひもとむるに。馨香芬郁として座に
とゞまり。恰も牛頭栴檀のごとし。しかのみ
ならず此囚を搦捕し者ども左右の手鎧の袖草
摺まで異香にそみてかつて失ずとなんいひあ
へりける。是たゞごとにあらずとて當寺に來
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り御圖子の戸を聞かせて拜し奉れば。かたじ
けなくも地藏菩薩の御身所々刑鞭のために&M048131;
みくろみ高手小手にいましめし繩の御衣のう
へにかゝりたるこそ不思議なれ。いましめ奉
りし武士三人いとおそろしくて發露涕泣して
罪障を懺悔すれども猶たへず。忽ち髻切て發
心修行の身とぞ成にける。彼高遠は順縁に依
て命をたすかり。此武士は逆縁に依て菩提の
道に入事むべなる哉。今世後世の引導の誓願
ョもしくこそおぼえ侍れ。
第四火災をまぬかるゝ事
洛下錦小路猪熊の邊に工匠を家業とするもの
ありける。當寺の地藏菩薩を信じて常に歩み
をはこびけるが。或夜まさにいねんとする時
燈臺の火をけさんと思ひながらつかれしまゝ
覺えす寐入ける程に。燈臺の火燃さかりて燈
臺半やけてあたりへひろごりなんとする時。
(295頁下段)
此本尊夢中に來らせ給ひて。やう今出火せん
とするにいかでかくゆたかにはふすぞとあら
らかに驚し給ふと見で夢覺ぬ。此男あはてさ
はぎ起あがれば。火の光り烟々として晝のご
とし。いそぎうちけちてことゆへなんなかり
き。令百由旬内無諸炎患の御誓唐捐ならずと
聞入信心深厚になり侍りける。
第五咒咀の難をまぬかるゝ事
洛陽二條わたりに住ける者の妻常に當寺の地
藏菩薩を信じ奉りけるが。或時平産して七夜
もたゝざるころ。心ちなやましうなりて身體
はなはだ苦痛しけり。醫療さまヾヽにし侍れ
どもかつて效驗なく。時をまつばかりに見え
ければ。親類眷屬などつどひてひそかに愁歎
の袖をしぼり。せんかたなく終焉に心まふけ
などするに。程なきに此女きと目をひらきて
いへるは。有がたや只今しばしまどろみたる
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に壬生の地藏菩薩來らせ給ひて仰らるゝは。
汝かく思はぬ苦痛をする不便さよ。是は汝を
のろふ者有て壬生の本堂の左の柱に釘をうち
又寺の井の中へも水神に祈念して竹釘を沈め
たり。此怨念のなすわざによりてかゝる苦痛
をなんうけ侍るなり。人をして此釘をとらし
めば病苦遂に平愈すべしとあらたに示現をか
うぶりしなり。いそぎ誰にても彼の寺に行て
兩例の釘をとりでたべと云ければ。座中の八
人半信半不信にて。あるは産後の苦痛にたへ
す譫語なるべしといへるもあり。あるは又か
かるためしは昔も今もおほく見聞事に侍れば
ひたすら譫語とも定めがたし。たゞ行てみん
にはしかじとて。やがて壬生寺にいたりて點
&M012779;(檢)するに。果して本堂の柱にふかく打入たる
釘二本あり。くぎぬきをもてぬき出し。此う
へは井の中にも必定あらんと。とかくして井
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の内をさがしもとむれば竹釘二本をえたり。
スびいさみかのくぎを持て病家に歸りけるに
産婦身心の苦痛たちまちやみて。程なくすく
よかになり侍りけり。經に厭魅咒詛起屍等も
還て本人につかんと説給へる誓約空しからん
や。仰ぎたうとむべし。
第六地藏の引導に依て臨終正念を得る事
下京邊に當寺の地藏尊を信じて年ごろ歩みを
はこぶ二人の俗士あり。同信の友といひ住家
も程近ければ。互ひにむつみかたらひて。
壬生に詣侍るも必二人ともなひてなんし侍りけ
る。あらかじめ道すがらもいひかはして。此
二人が中一人先立て此世さりなば。なにくれ
と臨終さはりなきやうをよろしく見はからひ
て。心よく往生をとげなんともろともに契り
て。地藏菩薩にもたゞひとへに極樂淨土に引
導し給へとぞ祈り奉りける。有時一人の男同
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行の男をいざなひ壬生にまふでんとて立より
けるに。俄に病にふしてえ思ひもたゝず。お
どろき近付ていかゞし給ひたるにやととひな
ぐさめければ。此男いふやう。我年ごろ御邊
とともに壬生に歩みをはこび。かやうの時は
かの菩薩の御前にてともかくも成なんと願ひ
しに。すでに今をかぎりとなり侍れば。身心
いとくるしく一足もひかるべしとも覺えず。
今はひとへに御邊をョみ奉るなり。いそぎ壬
生にまふでて我年ごろの願ひのごとくあやま
ち給はで極樂淨土に引導せさせ給へと祈りて
たべかしと。雙眼に涙をうかべ掌を合せ誠に
思ひ入たるさまことはりにも又哀にも覺えて
袖をうるほしながら。其有樣遲々すべきにあ
らざれば領掌して壬生にまふで侍りけり。道
すがらもかく世のはかなきことを思ひつゞけ
てやうヽヽ詣つき香花まいらせ。かの男の願
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望をいと念比に祈念して。すぐに病家にいた
りて樣々心をつくしてあつかひけり。夜に入
病すこしおこたりて見えければ。かならずこ
よひ事きれ侍らんとも思ひたえねば。我住家
に歸りしばしまどろみたるに。夢ともなくう
つゝともわかで門をたゝく音す。たぞととへ
ば。あやしき聲にて只今汝が同行の男こそ臨
終近付たれ。我もとしごろかれに約せし事あ
れば引導に行ぞ。汝もいそぎゆけと云すてゝ
過ぬ。むねうちさはぎいそぎ走り出て四方を
尋ね求むるに人なし。さては疑ひもなき地藏
菩薩の御告にこそ。猶豫すべきならねばはせ
行てかの病人の體を見るにさきに見しにかは
ることなし。思はずげにてまもりゐたるに病
人のいふやう。今はとならばこなたよりつげ
しらせ侍らんによくこそ夜更てかくとぶらひ
給ふ有がたさよ。まづかへらせ給ひてつかれ
(298頁上段)
をやすめ給へといへば。かの男つゝみかねて
日比そこの心ざしあさからぬをよくしり侍れ
ばはゞからす申侍るなり。只今來ることはし
かじかのこと侍りてなん油斷有べからすとい
へば。病人是を聞いてさては我年比の願望成
就して菩薩の接引し給ふにこそ。此上は淨土
往生疑ひなしとてスぶことかぎりなし。半時
ばかり有て病人のいふやう。今ははや臨終の
時いたりぬと覺ゆとて端坐合掌し正念も亂る
る事なく地藏菩薩の寳號をとなへながら眠れ
るがごとくにて往生を遂侍りける。見聞の道
俗男女いよヽヽ信仰をなして臨終正念往生極
樂の願望ひとへに此本尊にぞ祈り奉りける。
第七本尊の茶湯を乞請て病患を免るゝ事
下京邊に家まづしき男あり。世わたるたつき
もなく朝夕の煙も絶々にていとわびしきに。
瘧をさへ久しくわづらひて醫療もとやかくし
(298頁下段)
あるはまじなひなどし侍りけれども其しるし
もなく。身心次第につかれていとゞせんかた
なく打ふしつゝ日を送りける。有時日比むつ
ましくかたらひける友來りて。かくてのみお
はせばいつ病のおこたる期有べしとも覺えず
今はたゞ佛菩薩の利生をョみ給へ。壬生の地
藏菩薩こそ古今の靈驗あらたにましヽヽて朝
野の信敬年月を逐てさかんなり。御邊も思ひ
たちかの御寺にまふでて拔苦與樂の悲願をョ
み本尊の御茶湯などを乞請て頂戴し給へ。ま
のあたり利uを蒙りしことかぞふるにいとま
あらずとねんごろにすゝめければ。病人けに
もと思ひてやうヽヽ杖にすがり御堂に參り樣
樣祈誓し。御茶湯を乞請至心頂戴して家に歸
りけり。此上は瘧もおちぬべしとョみをりけ
るに。例の時節に成しかば又はなはだ寒けだ
ちてたへがたければふしぬ。かくて熱氣いた
(299頁上段)
くせめて例よりもくるしきやうに覺えければ
地藏菩薩の利生もなかりけるよとョみずくな
くて惘然として寐入たる夢に。やごとなき御
僧の來り給以て。汝我をョみ樣々祈誓し茶湯
を服すといへども病の愈ざる事は先の夜汝虱
をとりてつみたる咎によれり。ゆめヽヽ我を
恨むべからず。又我前にまふできて茶湯をい
たゞき心念を凝して罪障を懺悔せよと宣ひて
歸り給ふと見て夢さめぬ。病人思ひあたりあ
さましく悲しく思ひて。夜明ければいそぎ壬
生にまふで殺生の罪を懺悔し又御茶湯を乞お
ろし奉り頂戴して服しければ。次の日にいた
りて瘧氣かげもなかりけり。つらく思ふに
諸佛菩薩は慈悲をもて體とし給ふ。しかるに
其悲願をョみながらかく殺生の業をなさばい
かで御心にかなひ侍らん。今世放生をなして
諸病の愈るを思へぼ。殺生して其苦しみのま
(299頁下段)
さること必然の理なり疑ふべからず。
第八絹を焦せる難をまぬかるゝ事
下京邊に或女中年の比より人につかへて物ぬ
ふわざをして世をへけり。すくせの善因にや
有けん。四威儀の中怠らず地藏菩薩の名號を
唱奉ること年ごろなり。わきて當寺の本尊を
信仰していさゝかもいとまあれば必御寺にま
ふでて二世の悉地をなん祈り奉りける。ある
時身をよせたる主人の親類の中に子うみたる
を祝して産ぎぬつかはすとて此女にぬはせけ
るが。すでに明日七夜になれば今日の内に縫
たてゝつかはすべしといへば。夜ふくるまで
燈をかゝげてやうヽヽぬひをはり。火熨をか
くるとてあやせちて焦しけり。おどろきても
しやと白粉やうの物などぬりつけすり付さま
ざまにし侍れども。雪よりもげに白き絹のこ
がれ色つきたる更にまざるべくもなければ。
(300頁上段)
せんかたなさのまゝ日比ョ奉りしことなれば
地藏菩薩にうたへうれへて此難をはなれさせ
給へとて。折しも年の暮しかも曉がたさらで
も寒気にはだへもこゞえたるに水をくみ垢離
をとり壬生の方に向ひて南無地藏大菩薩大慈
大悲を以て此難を救はせ給へと一心にョみを
かけ奉る。かくしつゝあまたたび水あみて禮
拜する程に身もこほり骨にとをりて命も絶な
んとす。かくて夜も明がたになればしばらく
休息し心をしづめて一心に名號をなんとなへ
をりける。すでに夜明はなれぬれば。主人の
方よりかの産衣縫はてつやと尋ねおこせたれ
ば。むねうちさはぎながら産衣を取出し見る
に。かの焦れたる所餘の所にいさゝかかはら
ず白くうるはしかりける。此女たゞ惘然とあ
きれて歡喜の涙せきかへるばかりなるを。さ
らぬ體にて主人の使にわたしければ。主人う
(300頁下段)
ち返しみれども何の心にかゝることもなく今
日の用に立ぬる事を稱美し侍りけり。其後此
尊の冥助を感じてますヽヽ歸依信仰し奉りけ
るとなん。むべなるかな牟尼世尊此菩薩を摩
頂して。汝神力不可思議なり。汝慈悲不可思
議なり。汝智慧不可思議なりと讃歎し給ふ。
かの世智辨聰の輩は是等の靈應を見聞て却て
誹謗しあざけり侍るぺけれど。十方の諸佛千
萬の刧を經ても此菩薩不可思議の功徳は宣つ
くす事あたはじととき給へれば。凡智をもて
うかゞひしるべきところにあらず。たゞ仰で
信ずべし。
第九當寺の砂を受て産婦平安を得る事
當寺地藏尊の御前にて砂を加持して平産の守
りとする事往古より傳へきたり。されば延命
地藏經の中に衆生に十種の福をあたへ給ふに
も女人泰産の願を第一に説給はれば。懷胎の
(301頁上段)
女人是を頂戴して身にたづさふれば必平産す
ること古今の靈驗あげてかぞふべからず。日
數へて産床をたちぬれば當寺に返しをくり侍
ることにて。或は乞うけ或はかへし。花洛邊
土の願人日夜に絶ることなし。ちかきころ
上京に家とみさかへぬれどたゞむすめ一人をも
てる者あり。本より寵愛あさからざれば他n
嫁せんことをさへひたぶるに思ひもたゝで有
しが。やむことをえずして他につかはし侍り
けるに。程なく懷胎し侍れば。かつはよろこ
びかつはおぼつかなく心もやすからねば。父
母ひとへに佛神をョみ奉らではとて所々に願
立し祈誓し侍るほどに。十月をみたずして臨
産の體に見え三日ばかりが程身心もたへく
るしみていくべきやうなく見え侍りければ。
父母親族つどひて醫療はさる事にて。いたら
ぬくまなく佛神ほ祈り足を空にしてさまヾヽ
(301頁下段)
いたはり侍れどもいさゝかしるしも見えず。
せんかたなくたゞにまもりゐたるなり。しか
る所にめしつかふ下女のいひけるは。かく樣
樣にせさせ給ふうへなまじゐの事いひても詮
なしと思ひてやみぬれども。此上は壬生の御
砂を頂戴せさせ給へ。見及び聞及びぬる異驗
あまた侍るとまめやかにいふ。親類などの中
にもかねて見聞し者も有てよくこそ思ひより
ぬとていそぎ當寺に人をつかはして砂を乞請
産婦の手に持せ戴せければ。心ちいとすがす
がしくなりて程なく平産し母子ともにつゝが
なかりけるとぞ。元來薩&M005190;の誓願深重なり。
信力堅強に受持し奉らば此靈應なくてやは。
第十壇供功徳の事付小兒横難を免るゝ事
當寺におゐて毎年正月本尊地藏菩薩の御前に
鏡餅をそふる事あり。しかるを洛中の商を家
業とする者乞請て身にたづさへ護持し。願望
(302頁上段)
成就しぬれば米そこばく燈明料そこばくを身
の分際に隨て返しつくのひ奉る。〔此間を本尊の御借錢となづく。〕
かくすれば他の債を負ずしかも財寳豐饒にし
て諸願成就す。是に依て邊土遠境にいたるま
で男女老少頂戴受持する者年月を逐ていやま
されり。其外此壇供の功徳に依て或は無實の
讒をのがれ。刀杖等の難をのがるゝ事諸方に
記録し。萬人の口牌に普き事あげてかぞふべ
からず。其中に洛陽に岐黄の術を業として住
人あり。元は武州江府の産なり。京都に住つ
きてむすめあまたまふけけれども男子なし。
やゝ年たけて一人の男子をまふく。容儀群に
すぐれまたいはけなき物からおひさき見えて
聰明なりければ。父母寵愛あさからで養びそ
だて侍りける。此子三歳になりける秋のころ
客人のまふけにとて鬼燈の實をもとめて器に
をきたりしを。此子なにとなくとりて口に入
(302頁下段)
けるが。やゝといふ程に呑こみければ。のん
どにふたがりて出も入もやらず。父母まとひ
てさまヾヽにし侍れどもいよヽヽせまりふさ
がりて息も絶かほの色もかはり身もひえぬれ
ばいかゞせんとあきれをりけるに。あねなり
けるむすめやうヽヽ十歳にて何の思ひ辨ふる
事はなけれど。此ていを見るにいとかなしみ
母にいふやう。か樣の事は神や佛の御利生を
ョみ給ふ外はあらじ。かの壬生の地藏菩薩の
壇供とやらんをあたへて見給へかし。我鏡の
底に入をきたりとてとり出す。げにもとて是
をけづり水にうかべて飲せければ。水一口二
口喉に入よと見れば。かの鬼燈の實有しまゝ
にて喉より出たり。其後何のわづらはしき事
もなかりければ。父母うれしくたうとくて。
當寺に詣でながく信仰をなしけるとぞ。
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