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国学場は京城(フエ旧市街)外、香江をはさんで南側に位置する学校である。当時阮朝(安南)はフランス保護領であったから、主にフランス語を教える場となっていた。旅行ガイドブックなどでは「クオックホック」と称され、ホーチミンが青年期に学んだため、多くの観光客が訪れる。現在は共学の高校となっている。成泰8年(1896)に開校した(『大南一統志』巻之1、京師、官署、国学場)。
3間2厦(桁行3間の左右に1間の庇がつく)の督教堂と、2間の規模の助教員住所が2箇所あった。成泰10年、場屋を2連増築しており、前連は30間、後連は16間の規模であった。これら場屋は学徒を教育する場であった。また督教堂の後方に四方家を建設している(『大南一統志』巻之1、京師、官署、国学場)。
周囲は羅城(城壁)で囲み、正面には二層の門楼があった。その上層には扁額が掛けられ、法字(フランス語)で国学場とあった。門楼は朱漆塗であり、成泰9年(1897)に建設された(『大南一統志』巻之1、京師、官署、国学場)。
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国学場(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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