聖祖仁皇帝孝陵



孝陵の大紅門(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 孝陵は京城(フエ旧市街)から南に直線距離で9km、香江沿岸付近の香茶県安憑社の錦鶏山の山中に位置する。ミンマン通りを香江に沿って南下し、三叉路で橋に向かって右折し、香江を渡ったところにある。明命帝(位1820〜41)の陵墓で、ガイドブックなどでは「ミンマン帝廟」と称される。

 明命帝は中国古代における陵墓の形式である隧道(トンネル)をつくって、地下の深い場所を地宮(地下宮殿)とする墓所の形式を模してこの陵墓を造営した(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、聖祖仁皇帝孝陵)。明命帝期においてヴェトナムでは儒教が国教化に近い状態にあり、あらゆる物事が儒教倫理に則って考えられていた。明命帝の陵墓も、『周礼』などで理想とする陵墓の形態に倣おうとした。孝陵のコンセプトは中国における地宮をそのまま現出したものといってよい。

 孝陵の特徴は陵墓施設をなす部分、とくに礼拝施設である拝庭、陵墓に付属する祭祀のための建築施設(一般的にはこれを「寝」という)である崇恩殿、実際の陵墓が南北の正中線上に配置されることで、その東西には庭園の小山がそれぞれ南北方向に向かって序列的に配置される。このようなシンメトリー制は中国において好まれたもので、陵寝制度と称される。とくに孝陵の配置は中国明代の帝陵に近似する。しかし陵墓施設を正中線上に配置することは、その後の帝陵では継承されず、実際紹治帝の昌陵では寝殿(祭祀施設)の崇恩殿と、陵墓が東西に並列配置となっており、以後嗣徳帝の謙陵、同慶帝の思陵では、昌陵の並列配置形式が受け継がれ、孝陵の正中線上での配置は行なわれなかった。そのような意味では孝陵は阮朝帝陵において過渡期的存在であるとみなすことができる。

 造営は明命帝在世中から開始されており、明命21年(1840)に孝山の名を賜った。明命帝が崩ずると、紹治元年(1841)に陵名を孝陵とした(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、聖祖仁皇帝孝陵)


孝陵の右紅門(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



孝陵拝庭の碑亭(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



孝陵拝庭の碑亭前の石像(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



孝陵の顕徳門(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 孝陵の外側は城壁で囲まれる。城壁の周囲は433丈(1,732m)ある。正面の門を大紅門、東側を左紅門、西側を右紅門という。左紅門の内部に福聚山があり、山上に追思斎がある。その外側に左右直房・左右守護兵舎があった(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、聖祖仁皇帝孝陵)

 大紅門から進むと拝庭があり、石で重台を築いて碑亭を建てる。碑亭内部には聖徳神功碑があり、明命帝の業績が述べられる(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、聖祖仁皇帝孝陵)

 碑亭後方の中央の小山を奉宸山という。その上には崇恩殿があり、崇恩殿の前方には東西配殿を、後方には東西従院を建てた。塀には門が四箇所あり、南側を顕徳門、北側を弘沢門、東西にそれぞれ掖門があった(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、聖祖仁皇帝孝陵)

 崇恩殿の背後に澄明湖があり、中央に中道橋、左に輔橋、右に弼橋が懸けられる。橋の傍らに釣魚亭がある。中道橋を渡ると三才山があり、この上に明楼が建てられた。明楼の左を成山、右を平山という(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、聖祖仁皇帝孝陵)

 明楼の後方には新月池があり、中央は聡明正直橋、右側は偃月石橋という。聡明正直橋を渡ると孝陵本体がある。周囲は石壁に囲まれ、階段を登ったところに葆城門があり、この背後の墳丘が陵墓自体となる(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、聖祖仁皇帝孝陵)


孝陵の崇恩殿(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



孝陵の明楼(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



孝陵(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



孝陵の葆城門(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



孝陵内の墳丘(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 孝陵は美しい庭園となっており、中央の陵墓施設の東西を池や小山や四阿が取り巻いていた。

 園沢山上には霊芳閣があり、徳化山上に馴鹿軒、道統山上に観瀾所、西鎮水島上に虚懐シャがあり、その後方に神庫が建てられた。静山には左従房が、懿山には右従房が建てられていた(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、聖祖仁皇帝孝陵)


孝陵の園沢山(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



孝陵の園沢山上の霊芳閣跡(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



孝陵の道統山付近よりみた池庭(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



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