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昌陵の坊と碑亭(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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昌陵は京城(フエ旧市街)から南に直線距離で6km、香江沿岸付近の香水県居正社の順道山の山中に位置する。ミンマン通りを香江に沿って南下したところにある。紹治帝(位1841〜47)の陵墓で、ガイドブックなどでは「ティエウチ帝廟」と称される。
嗣徳元年(1848)に順道山と名付けられ、陵名を昌陵とした(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、憲祖章皇帝昌陵)。
昌陵の特徴は陵墓を構成する要素のうち、祭祀施設である表徳殿と実際の陵墓が東西に並列配置されることである。紹治帝の父明命帝の孝陵では南北に一直線に祭祀施設と実際の陵墓が配置されていた。昌陵の並列式配置はこれ以降の阮朝帝陵に受け継がれることになる。
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昌陵の徳馨楼跡(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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昌陵は坊をくぐると、まず碑亭がある。碑亭には紹治帝の功績を述べた聖徳神功碑が安置される。碑亭の背後に徳馨楼があったが(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、憲祖章皇帝昌陵)、現在は跡のみが残る。
碑亭の後方には池があり、これを凝翠池といった。凝翠池には徳馨楼と対岸の葆城(円形の城壁)を繋ぐ石橋3基が架けられ、中央を正中橋、左(東側)を東和橋、右(西側)を西定橋といった。中央の正中橋の手前には坊がある(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、憲祖章皇帝昌陵)。
凝翠池を渡ったところが昌陵本体である。昌陵の上部は葆城(円形の城壁)で囲み、下部は隧道(トンネル)をつくっていた(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、憲祖章皇帝昌陵)。葆城内は墳丘となっている。
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昌陵の凝翠池と葆城(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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昌陵内部の墳丘(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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昌陵の左(西側)には寝殿(祭祀施設)である表徳殿が建立される。その殿門を鴻沢門という(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、憲祖章皇帝昌陵)。
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昌陵の鴻沢門(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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昌陵の表徳殿(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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