翼宗英皇帝謙陵



謙陵の小謙池(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 謙陵は京城(フエ旧市街)より南に下ること直線距離で4km、香茶県の場春社の謙山に位置する。嗣徳帝(位1847〜83)の陵墓で、旅行ガイドブックなどでは「トゥドゥック帝廟」と通称される。

 嗣徳帝存命中は謙宮という離宮であったが、嗣徳帝が崩じた嗣徳36年(1883)に陵名を謙陵とした。玄宮(墓室)の下に隧道(トンネル)を掘り、その上に石棺を置き、石棺の前方に石几(石の机)設けた(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、翼宗英皇帝謙陵)。玄宮に嗣徳帝の亡骸が埋葬されるため、石棺自体に嗣徳帝の亡骸はない。

 陵墓は葆城で囲み、前方に銅扉を設ける。葆城の外側に碑亭を建てており、その左右には花表の柱を設置する。拝庭に階段があり、前方に侍衛・象・馬の石像を並べる(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、翼宗英皇帝謙陵)

 外側に小謙池という池があり、湖水を引いている(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、翼宗英皇帝謙陵)


謙陵の小謙池(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



謙陵の拝庭と碑亭(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



謙陵葆城内の石棺(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

 中国では古代より陵墓に祭祀施設の建物として寝殿を併設しており、明代では寝殿の後方に陵墓を直列式に配置している。ヴェトナム阮朝では明命帝(位1820〜41)の孝陵が明代の陵寝制度にならって直列式配置としたが、紹治帝(位1841〜47)の昌陵では、陵墓と寝殿を並列配置する方法がとられ、以後、啓定帝(位1916〜25)の応陵が直列式をとるまで定式となった。

 寝殿は陵墓の右側に位置し、塀で囲まれる。三門あり、正面の謙宮門の上部は楼閣とする。その門内中央に和謙殿があり、嗣徳帝の神御(位牌)を安置する。左右の廊は礼謙廊・法謙廊といい、和謙殿の北に良謙殿がある(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、翼宗英皇帝謙陵)

 良謙殿は正眷(正殿)・前眷(前殿)が一殿をなすヴェトナム特有の二重連結式の建物となっている。良謙殿の東側に鳴謙堂、西側に温謙堂があり、良謙殿後方の左右に従謙院・用謙院がある(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、翼宗英皇帝謙陵)

 良謙殿の後方に益謙閣があり、また宮門の左に至謙堂がある。至謙堂の右に依謙院・持謙院の二院がある(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、翼宗英皇帝謙陵)

 大宮門の前方に謙湖がある。この湖の上にシャ(きへん+射。UNI69AD。 &M015272;)があり、愈謙シャ(きへん+射。UNI69AD。 &M015272;)・冲謙シャ(きへん+射。UNI69AD。 &M015272;)がある。謙湖の中に謙島があり、謙島の上に雅謙亭・標謙亭・楽謙亭がある。湖の左に循謙橋・践謙橋・由謙橋が架けられる(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、翼宗英皇帝謙陵)

 謙陵は城壁に囲まれ、務謙門・尚謙門・自謙門がある。城外に官署・軍舎などがあって謙陵を護るものとされ、衛軍が守備にあたった(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、翼宗英皇帝謙陵)


謙陵寝殿の謙宮門(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



謙陵寝殿の和謙殿(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



謙陵寝殿の和謙殿内部(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



謙陵寝殿の良謙殿(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

儷天英皇后謙寿陵

 謙寿陵は謙陵を囲む城壁内にあり、謙陵の右に位置する。嗣徳帝の皇后である儷天英皇后武氏の陵墓である。

 成泰14年(1902)に陵名を謙寿陵とした。陵に玄室や隧道を設け、葆城で囲むのは、謙陵の制度と同様である。葆城の前を拝庭として階段を設け、左右に花主柱を建てる。周囲は石造の欄杆を設け、花盆を置く(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、儷天英皇后謙寿陵)


謙寿陵(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)

簡宗毅皇帝陪陵

 陪陵は謙陵を囲む城壁内にあり、謙寿陵の右に位置する。嗣徳帝の甥で養子となった建福帝(位1883〜84)の陵墓である。

 謙陵を囲む城壁には左山という人工の小山が築かれており、その上に位置する。「陪陵」の名の通り、謙陵に付属するような形であり、規模も小さい(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、簡宗毅皇帝陪陵)

 建福元年(1885)に陵名を陪陵とした。陵に玄室や隧道を設け、葆城で囲むのは、謙陵の制度と同様である(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、簡宗毅皇帝陪陵)

 寝殿は陵墓と並列配置される。正殿を執謙斎といい、前方に前殿を建てた。執謙斎には建福帝の神御(位牌)が設けられる。執謙斎は寝殿としては執謙殿というが、後方に弥謙楼という楼閣が建てられる(『大南一統志』巻之1、京師、山陵、簡宗毅皇帝陪陵)


陪陵執謙斎(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



陪陵(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)



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