旗台

 


旗台(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)

 旗台は京城(フエ旧市街)の南側中央の裏面、皇城(阮朝王宮)の正門である午門の南に位置する台であり、文字通り旗を立てる台である。体仁門と広徳門にはさまれた稜堡である南昌台のすぐ北に位置する。旅行ガイドブックなどでは「フラッグ・タワー」と表記され、午門とならんでフエのシンボルである。

 旗台は三層からなり、下層は高1丈4尺(5m12cm)、中層の高さは1丈4尺5寸(5m80cm)で、中層にある月門は広さが1丈(4m)ある。上層は高さ1丈5尺(6m)あり、上層にある月門の広さは5尺(2m)ある。旗柱は2層からなり、旗台の全高は7丈1尺5寸(28m60cm)ある(『大南一統志』巻之1、京師、台シャ、旗台)


皇城図・『大南一統志』巻1より旗台部分(松本信広編纂『大南一統志 第1輯』〈印度支那研究会、1941年3月〉44-45頁より転載。同書はパブリック・ドメインとなっている)

 現在の旗台は紹治6年(1846)に建造されたが(『大南一統志』巻之1、京師、台シャ、旗台)、嘉隆年間(1802〜20)に京城にはすでに旗台があったらしい。明命12年(1831)2月には修理が実施されている(『大南寔録正編』第2紀、巻之71、聖祖仁皇帝寔録、明命12年2月条)

 紹治6年(1846)に建造された旗柱の上には望斗(展望台)が設けられ、また台の上に砲台・八旗柱が設置されている。成泰16年(1904)に台風のため倒壊したが、再建された(『大南一統志』巻之1、京師、台シャ、旗台)

 旗台は1968年のテト攻勢において激戦地となり、米軍・ベトコン(南ヴェトナム解放戦線)の間で、幾度も主が入れ替わり、掲げられた旗もそのたびに替ったという。テト攻勢で破壊されたが、翌年再建され、現在に至っている。


体仁門の南側よりみた旗台(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)



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