霊佑観



霊佑観(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)

 霊佑観はかつて京城(フエ旧市街)内の御河の北の殷成坊に位置した道観である。道観とは道教の寺院のことである。

 阮朝は建国時にシャム王国・カンボジア人・フランス人のほかに華僑勢力の助力を得ていた。そのため阮朝において道観が建立されたのである。また明命帝(位1820〜41)中華文明に傾倒して、儒教を阮朝の事実上の国教とするほどであったが、霊佑観が建立されたのはその明命帝の時代であり、儒教のみならず道教もまた関心があった可能性を物語る。なお霊佑観は『大南一統志』の寺観の項目では筆頭にあげられている(『大南一統志』巻之1、京師、寺観、霊佑観)

 明命10年(1829)に建立された。中央は重霄殿、左は慈雲閣、右は祥光閣、前方に門が建てられた。また正面に御河を臨んでいるが、そこには櫺星門(坊門)が建てられた(『大南一統志』巻之1、京師、寺観、霊佑観)。霊佑観は道観として建立されたが、その住持には仏教僧が任命されていたらしく、明命14年(1833)には一定性天(1784〜1847)が霊佑観の住持となった(「安養庵一定和尚行寔碑記」)

 紹治3年(1843)に紹治帝(位1841〜47)が「神京二十景」の一つとして「霊観磬韻」を詠んでおり、碑文が門の左に建てられていたが、やがて霊佑観自体が廃観となった(『大南一統志』巻之1、京師、寺観、霊佑観)

 現在霊佑観は再建されており、フエ旧市街外の東、東嘉鉄橋を渡ってグエンチータイン通りを直進した左側に位置している。





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