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京師図・『大南一統志』巻1より京城図(松本信広編纂『大南一統志 第1輯』〈印度支那研究会、1941年3月〉44-45頁より転載。同書はパブリック・ドメインとなっている)
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昨年、タイのアユタヤ・バンコクに旅行に行きましたが、その時下調べのため布野修司編/アジア都市建築研究会執筆『アジア都市建築史』(昭和堂、2003年8月)を何気なくみてみると、上のような図がありました。
私の母の実家は函館にあり、かつて幼い頃、何度も五稜郭(桜の名所なのです)に行きましたが、まさにその都市の周囲が五稜郭のような稜堡に囲まれているのです。同書のキャプションをみてみると、その都市はヴェトナム中部の都市フエであることがわかりました。中国的城郭都市と稜堡式のミスマッチさに興味が湧いてきました。
フエはベトナム最後の王朝である阮朝の古都ですが、さらにそのキャプションをみると、この図は『大越史記全書』からの引用であると明記されていました。しかし『大越史記全書』は以前に関心があったのでみたことがあったのですが、このような図があった記憶はありませんし、しかも『大越史記全書』の記述は阮朝まで到っていないので、何かの間違いではないかと思っていましたが、それを調べる手段のないまま、数ヶ月が流れました。
ある日、石澤良昭・生田滋『世界の歴史13 東南アジアの伝統と発展』(中央公論社、1998年12月)を読んでいると、397・398頁に「阮朝の王朝文化は中国文化を多く採りいれ、それを一部模倣する形ではじまった。膨大な史料集の『大南寔録』、法令集の『大南会典事例』、地理・歴史書として『大南一統志』や『越史通鑑綱目』が編纂された。」という箇所があり、「もしやあの図はこの中のどれかに収録されているのでは…」と思い、ビールを呑みながら何気なく京都府の図書館の蔵書検索で調べてみると、『大南寔録』の第1巻と『大南一統志』が所蔵されていることがわかり、後日調べに行ってみると、上の図が『大南一統志』の図であることがわかりました。
『大南一統志』は阮朝の地誌で、嗣徳18年(1865)に『大清一統志』を模して編纂され、嗣徳35年(1882)に一旦完成しましたが、その後も増補が行なわれ、成泰18年(1906)に完成、維新3年(1909)に刊行されました。松本信広編纂『大南一統志(全二冊)』(印度支那研究会、1941年3月)に影印されています。その記述対象は風土や気候、都城や学校、田賦や山川、古蹟・祠廟・陵墓・寺院・道観、関所や港、橋や市場など広範囲にわたっています。『大南一統志』の巻之1は「京師」としてフエ旧市街の記述にあてられており、巻之2・3・4は「承天」(上・中・下。うち巻之3は「人物竝土産上」、巻之4は「土産下」)として、トゥアティエン・フエ省全域をカバーしており、これらが事細かにわかるのです。
「『大南一統志』を片手にフエを歩いてみては面白いのでは…」
単純ながら今回の旅行の動機はこれでした。また2月は勤め先が繁忙期で、何と32日連続勤務(!)となったので、3月にはその分の代休が一週間とれることが判明しました。
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関西国際空港(平成23年(2011)3月17日、管理人撮影)
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出発日の関空は、平日にもかかわらず人でごったがえしていました。あまりの人の多さに頭をかかえたくなりましたが、ちょうど前の人がウンザリして頭をかかえていたので、思わず上の写真を撮ってしまいました。
10時30分に関空を出発し、現地時間の14時20分にホーチミン・タイソンニャット国際空港に着きます。時差は2時間なので、おおよそ5時間ほどのフライトです。
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関西国際空港で待気するベトナム航空の搭乗機(平成23年(2011)3月17日、管理人撮影)
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現地時間14時20分にホーチミンに着いたのですが、ホーチミン・タイソンニャット国際空港は、国際線と国内線の建物は全く違うため、乗り継ぎのカウンターの場所がわからず、しかも旅行会社が手配してくれた乗り換えチケット発行方法が、乗り継ぐ本人には全く意味がわからないもので(カウンターの方で予約番号から遡及して乗り換えチケットを発行する方法だったらしい…)、ひたすら途方に暮れていました。
英語で空港職員に聞いても、向こうのヴェトナム訛り英語が聞き取れず、向こう側こちらの日本語訛り英語(しかも私は英語が大の苦手)が聞き取れず、困り果ててしまいました。
たまたま親切な女性空港職員(←後日このような奇特な人はかなり珍しいことが判明)のおかげで難無きを得ましたが、もし乗り換えできなかったら予約した旅行がすべて無駄になってしまうところだったので、かなり焦りました。
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ホーチミン・タイソンニャット国際空港(平成23年(2011)3月17日、管理人撮影)
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とりあえず、乗り換えチケットを入手して、あとはフエ行きの飛行機に乗るだけだったのですが、出発まで時間があったにもかかわらず、ホーチミン観光などをする気力も失せてしまいました。まずは安心したのかお腹が減ったような気がしました。
「ヴェトナムといえばフォー」だと思い、空港の食堂にそれらしいものが売っていたので、指さして注文してみると、「フォーじゃない、インスタントラーメンだ」といわれ、仕方なくヴェトナム最初の食事はインスタントラーメンを食べるはめになりました。何故空港の食堂にインスタントラーメンがメニューにあるんでしょうかね〜?
現地時間19時20分にホーチミンを出発、20時40分に到着しました。小さな飛行機での移動でしたが揺れもほとんどなく、快適な移動でした。
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空港で食べたラーメン(平成23年(2011)3月17日、管理人撮影)
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ホーチミン・タイソンニャット国際空港(平成23年(2011)3月17日、管理人撮影)
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