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興廟(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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世廟の次に、北側にある興廟に行きました。世廟よりも小規模な廟で、阮朝初代の嘉隆帝(位1802〜20)の父興祖が祀られています。
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興廟(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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興廟内部(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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興廟内部の位牌(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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興廟内部(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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興廟の碑亭(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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興廟の石碑(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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興廟を出て西に向かうと、極彩色でモザイクが施された派手な門があります。これは彰徳門で皇城(阮朝王宮)の西門になります。啓定8年(1923)に改築されています。
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彰徳門(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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顕仁門のすぐ北に西台の廃墟があります。台とは皇城に張り出した防備施設で、東西南北の中央に一つづつ4箇所あります。皇城は堀で囲まれているため、皇城に入るには東西南北一つづつある門から入らなければなりませんが、橋は門ではなく、台に架かっているため、皇城内部に入るためには一旦台の前を通らなければなりませんでした。
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西台(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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西台の上にはかつて建造物がありましたが、戦火で破壊され、現在は礎石のみが跡を留めています。
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西台の上(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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興廟の北側には奉先殿の跡があります。これは皇族たちの私廟で、戦火のため現在は門や障壁などしか残っていません。
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奉先殿跡(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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寿址門から寿址宮をみる(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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寿址宮の内部にはフレンチ・コロニアル風の静明楼があります。保大7年(1932)に建造されたもので、当初は医院として使われましたが、後に保大帝(バオ・ダイ)がここに居住しました。
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静明楼(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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寿址宮(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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寿址宮(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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寿址宮の北側には長寧宮があります。長寧宮のさらに北側には瀛洲という園地が広がっています。
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長寧宮(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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寿址宮の東側には西安門があり、内部には工厰のようなものがあります。内部で瓦を焼いているようです。
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西安門(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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工厰らしきもの(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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