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京城内の西端の道路を北に進んでみました。一旦西南門に出ましたが、再度京城内に入って、そのまま西城水関に向かいます。
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京城西端の道(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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西南門(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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御河(グーハー)は人口に造られた運河で、京城(フエ旧市街)を東西に通っています。もとは西側しかなかったのですが、悪臭がするため、東側も通して水の循環を良くしました。ところが現在では東側はほとんど水がありません。
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御河(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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御河(グーハー)の西端には西城水関があります。明命7年(1826)に建造されたもので、『大南一統志』には閘門と砲台が設けられていると記述されています(『大南一統志』巻之1、京師、城池、京城)。
『大南一統志』の記述を読んで、河関というのは一体どのようなものなのだろう、と思っていたのですが、見ての通り、河の出口に橋と城壁が設けられ、城壁の上に砲台を設けた、いたってシンプルなものです。
上にあるコンクリート製のトーチカは阮朝時代のものではなく、近代のものです。登って内部を見てみたのですが、ゴミと注射器が散乱しており、地元民が覚醒剤をうっていた場所だったようです。現代におけるフエの一面をかいま見たような気がしました。
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城内からみた西城水関(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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御河には石造の橋が3つ架かっています。東から御河橋、慶寧橋、永利橋です。いずれも自動車が通れるようになっています。
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慶寧橋(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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フエの御河東側の北には南北に斜めに通る道路があります。碁盤の目のように十字形に通る道路をもつフエとしては異例のものですが、これはもと米軍飛行場跡地で、管制塔の跡も残っています。
ヴェトナム戦争中、1968年のテト攻勢の際に激戦地となりました。
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もと飛行場跡の道路(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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管制塔跡(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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御河橋です。フエ旧市街にかかる石橋のなかでは最も規模が大きく、また自動車や原チャリの交通量が多い場所です。かつては屋根がかけられていましたが、現在では屋根はありません。
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御河橋(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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御河(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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正東門から京城を出て、東嘉橋と、護河にかかる鉄橋を通過して、城外に出ます。正東門も結構交通量が多いところです。
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正東門と東嘉橋(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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護河にかかる鉄橋(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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バクダン通りの北端付近に、名称不明の古い祠がありました。この付近は古名を春禄邑といい、『大南一統志』には妙諦寺と関帝廟があることになっていますが、妙諦寺はこの南にあるので、残るは関帝廟ということになりますが、どうみても関帝廟にはみえません。
あるいは郡祠のようなものかもしれませんが、最後までこの祠の正体はわかりませんでした。
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謎の祠(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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謎の祠(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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やはりバクダン通りを南下して妙諦寺に向かう途中に郡祠のようなものがあります。華表柱が二本たち、黄色を中心とした彩色が行なわれています。
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名称不明の郡祠(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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妙諦寺です。旅行ガイドブックに「デューデ寺」「ジエウデー国寺」とか書いているので、どのような寺なのかと思い行ってみたのですが、山門をくぐって碑亭内部の碑文をみてみると、これが『大南一統志』にも記載されている妙諦寺であることがわかりました。姉妹編「妙諦寺」もどうぞ。
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妙諦寺(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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妙諦寺をみた後は、チャンティエン橋を通って香江(フォン川)を渡り、ガイドブックに「ザックハイ寺」とある寺院に行ってみることにしました。
途中、嘉興郡公祠がありました。紹治帝(位1841〜48)の第8皇子の阮福洪休を祀る祠です。
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嘉興郡公祠(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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嘉興郡公祠(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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ドンバ市場です。この日は行かなかったのですが、最終日におみやげを買おうと立ち寄ってみたところ、豚の首だの生きたニワトリだのが路上で売っていて、ドン引きして這々の体で出てしまったので、結局何も買いませんでした。
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ドンバ市場(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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チャンティエン橋を渡り、レロイ通りを北東に直進し、再度ダー・ダムから香江(フォン川)を渡ります。時間が現地時間で16時くらいでしたので、急に交通量が多くなりました。
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ダー・ダム(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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トゥアンアン通りを北上すると、綏理王祠があります。明命帝(位1820〜41)の第11皇子の阮福綿宝(1820〜97)を祀る祠で、成泰戊戌(1898)に建立されました。現在は地元民の祭祀の場所となっています。
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綏理王祠門(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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綏理王祠(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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ザック・ハイ寺に向かうため、再度香江を渡ります。ザック・ハイ寺は中洲にあります。途中宏宣寺なる小寺があり、そこを過ぎるとボロい鉄橋があります。
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宏宣寺(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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鉄橋(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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ザック・ハイ寺は魅力がある寺院ではありませんが、培祠が多く、アジアンな雰囲気を楽しみたい人にはいいのかもしれません。
このザック・ハイ寺は「法海寺」と書きますが、『大南一統志』に記載がある寺院ではありません。このお寺の小僧さんが、前髪のみを剃った、いわゆる童行(ずんなん)の格好であったのには驚きました。
寺の前の竹橋は情緒があります。
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法海寺培祠(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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法海寺山門(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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法海寺本堂(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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法海寺手前の竹橋(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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法海寺手前の竹橋(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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帰りは帰宅ラッシュにあい、道路の混雑のため横断が困難でした。
今回の旅行では、宿泊ホテルを1日くらい創立100年の老舗サイゴン・モリンにしようかと思ったのですが、お金が無くて断念しました。実際にサイゴン・モリンの前の交通量をみたら、「夜うるさくて眠れないのでは?」と思い、閑静(?)なホテルでよかったと自分を慰めていましたが、所詮はとれない葡萄なのでしょうか?
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サイゴン・モリン(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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夕食はブンボー・フエで食べました。このブンボー・フエはたいていの旅行ガイドブックに掲載されている人気店で、名物はまさにタイトルロールのブンボー・フエ。牛肉入のフォーです。日本でブンボー・フエを食べた時、香草類が苦手な私には全く食べられなかったのですが、「せっかく本場に来たのだから、食べられなくても我慢して口に入れてみよう」と思いました。
実際にブンボー・フエが運ばれてくると、麺と香草は別になっており、各自のお好みで盛り合わせるものでした。そのため香草が苦手な私でも食べることができ、香草を徐々に慣らすことによって、多少は香草が苦手ではなくなりました。
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ブンボー・フエ(平成23年(2011)3月18日、管理人撮影)
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