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安定宮(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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安定宮に行ってみました。
安定宮は啓定帝(位1916〜25)が即位以前に居住していた洋館で、後に子の保大帝(位1925〜45)の邸宅となりました。
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安定宮(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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安定宮の門(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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安定宮内部(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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安定宮内部(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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次に虎園に行くため、現地語の「ホークエン」に行きたいとタクシーの運ちゃんに言ってみると、写真の場所に連れてこられました。
虎園は本来ならばコロッセウムのような形をしているはずなのですし、扁額には「宝春寺」とあるので、どう考えても虎園とは違いますが、また発音が悪かったため聞き間違えられたのかと思いタクシーに戻ってみると、「間違えた。1km戻った場所だった」といわれ、再度虎園に向かいました。
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宝春寺(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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虎園(ホークエン)は虎と象を闘わせる円形闘技場で、明命11年(1830)に建造されました。正面の入口からは象が入り、園内にある小さな穴から虎が出て、闘ったそうです。ちょうど天姥寺とは香江をはさんで向かい側の山の麓にあります。
最も、象はヴェトナム、虎は中国に見立てられていたため、虎の牙や爪は抜かれて、常に象が勝利するように仕向けられていたそうです。
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虎園(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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虎園(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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ガイドブックなどには、内部には入れないが、上には登れると書いてあったのですが、実際には上には鉄柵があって登れず、近所に管理しているおっちゃんがウロウロしているので、その人に鍵を開けて貰って中に入れます。一応上に登っていいか聞いてみたのですが、「転落した人がいるからダメ」といわれました。
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虎園内部(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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虎園上部(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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虎園の後は国学場に行ってみましたが、単に観光名所だから見てみただけで、別に何があるというわけではありません。
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国学(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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次に天姥寺に行きました。天姥寺は旅行ガイドブックなどには「ティエンムー寺」とあり、「天女の寺」という意味であると最もらしく説明されており、羽衣を着たうら若き乙女のような天女のイメージがありますが、漢字表記の「姥」からわかりますように、天女といってもお婆さんなのです。
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天姥寺(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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天姥寺前の船着場(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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天姥寺福縁塔(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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天姥寺からみた香江(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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天姥寺からみた香江(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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天姥寺から西に600mほどのところに文廟跡があります。今は大成門や亀趺石(顕彰碑の下にある贔屓という亀の形をした台座)の上に石碑がある位です。
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文廟大成門(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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文廟の碑文(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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文廟付近からみた香江(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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文廟前の道を走る帰路を急ぐ人々(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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夕食はフォー・サイゴンで食べました。「フエなのに何故サイゴンという名なのか」と思いましたが、サイゴンはおしゃれな街の代名詞みたいなものだそうで、まあ日本でも「何とかパリス」という節操の無い店名がよくあるようなものだそうです。
フォー・サイゴンは若い女の子がてきぱきと働く店で、大衆料理屋の代名詞みたいなところです。ブンボー・フエや春巻などを食べました。
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フォー・サイゴン(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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フォー・サイゴンのブンボー・フエ(平成23年(2011)3月19日、管理人撮影)
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