ヴェトナム・フエ14 清水正甲瓦橋



ドンバ市場(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)

 ドンバ市場です。この日は最終日で、フエ滞在も残り数時間となったので、お土産を買おうと立ち寄ってみたのですが、豚の首だの生きたニワトリだのが路上で売っていて、ドン引きして這々の体で逃げて出てしまったので、結局何も買いませんでした。 


ドンバ市場(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)

 お土産を買わなかったため、時間が1時間半余ってしまいました。そのまま自転車をホテルに返却してぼぉ〜っとしているのでもよかたのですが、やはりもったいないような気がします。

 ならどこか行く場所がないかと、旅行ガイドブックの定番「地球の歩き方」をみてみると、市街から7km東へ行ったところに、ゴイ・タントアン橋という屋根付の橋があり、ホイアンの日本橋に似ていることから、欧米人の間で「ジャパニーズ・ブリッジ」と呼ばれているとありました。


ゴイ・タントアン橋へ向かう道(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)

 ところがドンバ市場からだと、ゴイ・タントアン橋まで10kmあり、往復すると20kmになります。自転車で1時間半で往復できるか賭けだったのですが、行ってみることにしました。


ゴイ・タントアン橋へ向かう道(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)

 ところでゴイ・タントアン橋へ向かう道は、最初の直線のみガイドブックに記載されていて、あとは全く記載されていないので、かなり不安になりながら進みました。

 舗装された広い直線の道がしばらく続いたのですが、農家の人と牛以外誰も通る人はいません。


ゴイ・タントアン橋へ向かう道の牛(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)

 道は途中でドン着きにぶつかり、これ以上進めないのかと途方に暮れましたが、周囲を見渡してみると、右側に並行して走る道があり、畦道を通ってその道を東へ進みました。


ゴイ・タントアン橋へ向かう道の牛(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)

 道はのどかな田園風景が広がっています。写真下のような輪中みたいな祠もあります。


ゴイ・タントアン橋へ向かう道の輪中のような祠(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)



ゴイ・タントアン橋へ向かう道(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)

 ゴイ・タントアン橋へ向かう道には多くの寺・廟・祠があり、この付近が信仰あつい地域であることを物語っています。


ゴイ・タントアン橋へ向かう道にある坊(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)



ゴイ・タントアン橋へ向かう道(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)

 道はいくつか分岐があるのですが、ひたすら東へ向かって進みます。そして写真下のような南北へのT字路があるのですが、ここを左(北)に曲がるとゴイ・タントアン橋につきます。


ゴイ・タントアン橋へ向かう道の牛(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)

 ゴイ・タントアン橋は漢字では「清水正甲瓦橋」といいます。『大南一統志』では明命年間(1821〜40)に建造され、成泰18年(1906)に修復を行なったとあるだけですが、ヴェトナム語版のウィキペディアには、17世紀に中国系の寡婦が私財を投げ打って建造したとあります。


ゴイ・タントアン橋(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)



ゴイ・タントアン橋(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)

 このゴイ・タントアン橋は屋根付の橋で、屋根付の橋といえばホイアンの来遠橋が有名です。フエにも旧市街の御屏橋に、かつて屋根がかけられていたそうです。あとヴェトナムにある屋根付橋で有名なものは、他に貝庵寺(チュア・タイ)の廊下橋があります。

 近所のおばちゃんが「博物館があるよ」といっていましたが、時間がなかったので行けませんでした。


ゴイ・タントアン橋(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)

 ゴイ・タントアン橋を見学した後、猛スピードで自転車をこいでホテルに戻りました。結局、往復20kmを1時間20分ほどで行き帰りしたことになります。

 ホテルから車でフーバイ空港に向かいましたが、途中、二人乗りしているバイクの後部座席の人が眠っているのをみたので、思わず下の写真を撮ってみました。


二人乗りしながら寝ている(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)



フーバイ空港(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)



搭乗する飛行機(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)

 ところでフーバイ空港からホーチミンまで国内線を乗り、そこで乗り換えて日本に帰る日程だったのですが、フーバイ空港のターミナルでは空港バスが来るまで、フランス人だの、日本人だの(私)、中国人(の我慢強い人)がしんぼう強く待っていたのですが、やはり中国人の一部が横入りしようとするのには閉口しました。

 もっとも、空港バスに早く乗れたからといって、下の連続写真のように、空港バスに乗っていた時間は15秒ほど、30mの距離だったので、歩いて誘導してもらった方が早かったのですが…。

 そぉいえばこの国は本来は社会主義国家でしたね。一般人は儲けようとして一生懸命働く思いが強いのですが、公務員(とくにホーチミン空港の売り子や職員。初日に尽力してくれた職員はかなり異質な人かも…)などはかなり仕事をさぼっていて、その温度差には愕然としました。ターミナルから飛行機までの30mの距離をバスが運行しなければ、一人の人が職を失うということなのでしょうか。


ターミナルで空港バスを待つ(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)



空港バスを降りて飛行機に乗る(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)



眼下にみえるフエ(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)



眼下にみえるホーチミンの夜景(平成23年(2011)3月20日、管理人撮影)



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