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今日、関西に戻ってきました。
6月は北海道の観光シーズンらしく、空いている便がなかなかなくて難儀しました。
新千歳空港には韓国人がたくさんおり、日本語よりも韓国の言葉の方が多く聞いたような気がします。実際に空港内のアナウンスでも日本語・英語・ハングルの順でしゃべっていました。
飛行機待ちをしている時、となりの中年男性二人が何かをしゃべっていました。しかし日本語ではないようなのでハングルかと思いました。しかしそれとも違うようです。
東北のズーズー弁でした。ヾ(- -;)
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実家に滞在中は一日中、ピアノを弾いていました。一日平均12時間くらい弾いていたのではないのでしょうか?
どうせなら新しい曲を、と『ベートーベンソナタアルバム2』(全音楽譜出版社)をめくって、第26番「告別」に挑戦するも挫折。適当にパラパラとめくっていると、第23番「熱情」があったので、第3楽章を初見で弾いてみると、以外に面白かったので滞在中ずっと弾いていました。フラット記号が4つしかないので「シミラレ〜」といいながら練習してました。端からみるとあやしい〜。
158〜163小節目(第2部展開部)はどうしてもつっかかります。また224〜227小節目(第3部再現部)の左手もうまくいきません。双方とも私の運指法に問題があるようです。楽譜に書いてある運指法にしたがえばいいのですが、何ともしっくりきません。それにしても、運指法を決める人の手の大きさを知りたいものです。
361小節ある曲ですが、以外に指に負担が多いわけではありません。ただしコーダになると若干あわてるのか(速度記号はPresto)バラバラになりますし、また和音打撃が多く両手首に負担がかかるので3日目の夕方にはかなり痛くなりました。もちろんホロヴィッツのようにすんごいスピードで弾けるわけではありませんし、弾きこなせるとは言い難いのです。あとソナタ形式であるため暗譜は比較的容易にできました。むしろ一青窈「アリガ十々」の暗譜の方が難儀したほどです。
「熱情」が弾けたんだから、ベートーヴェンのピアノソナタを全曲なんてついつい考えてしまいますが、難攻不落の第29番「ハンマークラヴィア」のことを考えるだけでもそのようなバカな考えは辞めようかと思います。
まぁ夢は大きく、300年くらいたったら弾けるようになるかもしれませんしo(^∇^)o
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ネコのかげまる君は一日中ごろごろとして、食べる時だけ敏捷に動くので、ひたすら巨大化しています。飼い猫というものはおしなべてそのようなものなのでしょうが、それにしても一日中ごろごろとして暇ではないのでしょうか?
宇多天皇がその日記である『宇多天皇宸記』に自身の飼い猫のことを記しています。『宇多天皇宸記』自体が散逸しており、『河海抄』若菜下に逸文が掲載されています。それを意訳してみると次のようになります(原漢文)。
「寛平元年(889)12月6日、朕はひまな時に猫の消息を述作してみた。黒ネコ1匹、太宰少弐の源精が任期を終了した時に参内して先帝(光孝天皇)に献上したものである。その毛色が類ならざるを愛するのである。ほかのネコはみな浅黒いが、このネコだけは深い黒色をしており、まるで墨のようである。ただその形が犬に似るのは残念である。長さは5寸(15cm)、高さは6寸(18cm)ほどでばかりで、屈するときびの粒のようであり、伸びると張弓のようである。眼は水晶のようで、耳の鋒いことは直竪を立てたようで揺れない。伏せ寝している時は、まるく固まって足や尾がみえず、まるで堀の中の黒い宝石のようである。歩いている時は、静寂として音は聞こえず、まるで雲上の黒竜のようである。性は徳行を好んで自然と鳥のようにして、常に頭を低くして尾を地につけているものの、背中を曲げてそびえさせれば2尺(30cm)ほどにもなる。毛色の光沢が美しいのはおそらくそのためなのだろう。またよく夜に鼠を捕り他のネコよりも敏捷である。先帝は(このネコを)可愛がり、数日の後に朕に賜わった。朕は撫養すること5年で今に至っている。毎朝に乳粥を与えているのは、どうしてただ敏捷であることだけをとるのであろうか。(その理由は)先帝が賜わったことによるもので、とるにたらない物であるとはいえ、とくに愛情をかけて育てているだけなのである。そこでネコに「お前は陰陽の気が含んでいるし、五体があるのだから、心には私のことがわかっているのだろうね」といってみたが、ネコは歎息して首をあげて私の顔を仰ぎ睨み、鳴いて心でわかってはいるようではあったものの、口では言うことはできなかった。」
この文は漢文の美麗字句を用いており、ニュアンスとして含意するところは若干異なりますが、単純に文意だけを抽出すると上のような感じになります。それにしても宇多天皇のネコ(名前不明)とウチのかげまる君とは偉い違いです。宇多天皇の顰みにならって試しにウチのかげまる君のことを述作してみましょう。
「予、閑(ひま)時に猫の消息を述していわく、肥猫一匹、予の姉、吾が妣(はは)に献ずるところなり。その毛色の並(なみ)なこと類なきを愛す。他の猫は皆な美色なり。これひとり斑(ぶち)なること迷彩服の如し。その形容たるや、たぬきに似るをにくむ。長さは20寸(60cm)、高さ17寸(40cm)ばかり、それ屈するや枕の如し。それ伸びたるや丸太の如し。眼は水晶の如し。耳は鋒く直立し、昔日の牛乳紙容器が如し。それ眠る時、腹を上として背を見ず。あたかも酔爺が道に寝るが如し。それ歩行する時、轟くが如く音声響く。あたかも象の活歩するが如し。性は暖房を好み、常に側に低頭して転がり、しかも腹部聳えること2寸(6cm)ばかり、毛は床に落ちて妣(はは)怒る。また夜に鼠を捕らず、他人を見れば則ち逃げること他猫に勝れり。妣(はは)は愛翫して一日も離さず。妣(はは)は撫養すること六年、今において毎朝夕、魚肉を以て給す。あにただ眠りむさぼりたるのみや。まことに妣(はは)の愛翫するところに因り、微物といえども殊に懐育するのみ。よっていわく「汝は肉塊の気を含み、大木の形を備う。心は必ず寧(いづくん)ぞ我を知ることあらんや」と。猫すなわち歎息して首を挙げて吾が顔を見る。一声も鳴かずして、心に満つるも言うことも知ること能わず。」
写真はピアノの上で呆けるかげまるくん。
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今日は妹の結婚式でした。ただし入籍自体は昨年に既にすませています。
結婚式はチャペル式でした。わが家も新郎家もいつからキリシタンになったのでしょうか? 賛美歌を歌った後に南蛮人のバテレンの説法(?)がありました。
賛美歌は式全体で3曲ありました。はじめて歌う曲だったので、楽譜と歌詞カードがあるのは良いことだと思いましたが、楽譜には1番しか書かれていないので、私と父は2番の時に1番を歌ってました。
披露宴の両親への花束贈呈では、母はハンカチで目をぬぐっていました。「泣いていたのか」と聞くと、「暑いから目から汗が出てきた」といっていました。目から汗が出る人なんてはじめて聞きましたが…。ヽ(ー_ー )ノ
披露宴で、妹が両親に一青窈の「アリガ十々」を歌い、私がピアノ伴奏をすることになっていました。妹と通し練習をしたのは当日3回だけだったので若干心配がありました。いつ歌うのかわからなかったので式場の係員に聞くと、直前になって誘導する、との返事でした。それならとカメラを持って写真撮影をしていたのですが、花束贈呈の写真を撮っている時、司会の人が、「新婦さまがご両親に心をこめて一青窈の“アリガ十々”を歌います。ピアノの伴奏をされるのはピアノの前に坐っている…」とピアノの前に坐っていない私を呼んでいるので、あわててピアノまで走って行き、坐って伴奏しました。
まぁ、うまくいったからいいんですけどねぇ〜。
写真はケーキに天誅の斬撃を加える新郎新婦。
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久しぶりに実家に帰りました。
関西は30度なのに、北海道は14度でした。夜寝るときにあまりにも寒いので、ネコのかげまる君を抱いて寝ようかと思いました。
そういえば、寒い時に動物を抱いて寝る、というのは昔から誰でも考えるようです。
中国魏晋南北朝時代の朱セン(センは瞻の右側)という人(6世紀)は、あまりにも貧乏で食べるものがないため、紙を飲み込んで空腹を紛らわせたとか、毛布がないから犬を抱いて寒さをしのいだものの、犬も空腹のため脱走して他人の家のものを盗み食いし、朱センが犬を探す声だけが空しく村々に響き渡るほどであった(『顔子家訓』勉学第八)といいますが、苦学の成果があって学者として大成したといいます。
写真は夕日にまどろむかげまる君。
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昨日、JR山陰線の電車に携帯電話を忘れてしまいました。
今朝気付いて京都駅忘れ物センターに電話しようとしましたが、その電話を落としたので連絡不能(←バカ)。電話は携帯しか持っていなかったのです。それなら知人に携帯を借りるためメールしようと思ったら、知人の携帯アドレスは携帯にしか記録されていないので連絡不能(←大バカ)。
仕方がないので、公衆電話を探そうと市内をウロウロしてましたが、近年の携帯電話の普及によって、公衆電話自体が少なくなり、なかなか見つかるものではありません。結局、公衆電話を見つけたものの、「ここなら直接行った方が速いんでないの?」という距離であったため、直接京都駅忘れ物センターに行きました。
行ってみると係員の人が携帯の番号、色、折りたたみ式かどうか、ストラップの特徴等を聞いてきたので答えると、奥の部屋から持ってきてくれました。受け渡し書類に、本人確認のための電話番号を書く欄がありましたが、その電話を落としたのですから、なにやら可笑しな気分になりました。
以前にノートパソコンを駅に置き忘れた時にも、戻ってきましたので、京都駅忘れ物センターにお世話になったのはこれで2度目になります。それにしても落としたものが戻ってくると、日本はまだまだ捨てたものではない、と妙にパトリオットな気分になります。傘を置き引きされた時には全く逆の感想でしたが…。
ならば恩返しとばかり、帰りに献血をしてきました。(←厳密には無関係)
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この日は土日を利用して福井県の某寺に大般若経調査でした。学生時代の恩師のお手伝いに行ったのですが、5函のうち1函(ホ函)だけが10年以上もかかっているという状態です。
理由は簡単で、ホ函に巻首・巻尾がない経典だけが放り込まれているためで、目録取りができないからです。断簡が多い上に大般若経が600巻という大部な経典であることも災いしています。近年は大蔵経データベースの発達で、経文検索が可能になりましたが、それでも同じ文言が重複しており、例えば「空内外空空空大空勝義空有爲空無爲空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空」という58字におよぶ文言は、大般若経全体で1182箇所(!)もあるです(「大正新脩大藏經テキストデータベース」より)。
大般若経が祈雨祈祷の転読で幾度も用いられ、折本を空中で翻転するため痛みが激しく、剥落・脱落・欠損した経典は新たに書写されて継ぎ足される上、全く違う経典でも継ぎ足されることもあり、それが調査をさらなる困難に追いやっています。
そういえば転読とは、経題と経の一部分だけを読んで全巻の読誦に代えることをいうのですが、「『大正新修大蔵経』100巻!」といいながらCD−Rの大蔵経を指で回したら転読したことになるのでしょうか?
似たような話で、法華経書写の硯に何気なく水を入れた人が、閻魔大王の前で、硯に水を入れた功徳によって地獄行きを免れたという説話がありますが、水を入れただけで功徳になるのでしたら、法華経を文字入力したら功徳になるのでしょうか?
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朝(8時頃)に園部行きの電車に乗ろうと太秦駅へ。
京都行の電車が通過してしばらくもしないうちに、園部方面に向かって電車が入ってきました。
「もう来たのか〜」
と思ったら、周囲でざわざわ騒ぐ声が。
何か様子がおかしいと思ってよくみてみると、テールランプ先頭に進んできました。文字盤には「京都行」の文字が…。
どうやら京都行の電車が太秦駅を通りすぎてしまったため戻ってきたようです。
写真は改めて太秦駅を出発して京都に向かう電車。
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大覚寺に行って来ました。
ここは江戸時代、日本で最も治安が悪く、毎週のように人が殺されています。
2月11日の嵐山と同じで、時代劇での話です。
風光明媚な大覚寺は、時代劇でのロケ地となることが多いようです。ただしランドマークのようなものがないので、一見して大覚寺とわかるわけではないのが悲しいところです。
逆に姫路城の天守閣は、時代劇ではいつも「江戸城天守閣役」で出てます。江戸城天守閣は明暦3年(1657)の明暦の大火で焼失して以来再建されていないはずなのですが、時代劇ではそんなことはお構いなしで出演(?)しています。そういえば大覚寺にせよ姫路城にせよ、時代劇で「大覚寺」「姫路城」として使われたことは私はみたことがないのですが、本人役で出演(?)したことはあるのでしょうか? ないでしょうねぇ〜。マイナーな舞台ですし…。
よく「本人役で出演」する歴史的建造物は、京都御所か、皇居(とくに二重橋付近)か、横須賀で記念館になっている戦艦「三笠」位なものかもしれません。もちろん、地域を示すのに当地のお城が出てきます。
あとエイゼンシュテインの名作「戦艦ポチョムキン」の撮影の際に、実際に舞台となった戦艦「クニャージ・ポチョムキン・タウリチェスキー」で撮影されたとも、別の艦で撮影されたともいいます。実際に1924年まで解体されていなかったソ連の戦艦は同艦だけのようですが、どちらが正しいのかわかりません。
(後日註)
後輩によると、「水戸黄門」再放送で、姫路本多家のお家騒動の設定で姫路城が「出演」していた、とのこと。
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今日、たまたま国郡の話から『倭名類聚抄』諸本についての話になりました。
『倭名類聚抄』を試しに『国史大辞典』あたりで軽く見ておこうと思っても、10巻本と20巻本があり、さらに諸本多いという一見してではどれを使っていいのかということがわからなくなります。さらには『倭名類聚抄』という呼称も、『和名類聚抄』・『倭名抄』・『和名抄』と一定してないので混乱します。
20巻本は、10巻本よりも国郡部等が多く、双方とも源順の撰にかかることはわかっているのにもかかわらず、どちらの撰述が先行するのか(つまり増補か精撰かということ)諸説紛糾して決着をみていません。
刊本となっているのは若干数ありますが、いずれも写真複製・影印本で、活字になっているのは『日本古典全書』本(元和古活字版)くらいなもののようです(活字?)。そのなかで『諸本集成倭名類聚抄(本文篇)』(臨川書店、1968年)は基本となるものです。20巻本は那波道円本と高山寺本が納められていますが、高山寺本は東京大学史料編纂所の影印本を用いています。この高山寺本はのちに天理大学付属図書館に入り、『和名類聚抄 三宝類字集(天理図書館善本叢書和書之部)』(天理大学出版部、1971年11月)に写真版として出版されています。同本は巻6〜10までの零本ですが律令下の駅が記載されているので貴重です。馬渕和夫『和名類聚抄古写本・声点本本文および索引』(風間書房、1973年)には真福寺本(零本)と高山寺本・元和古活字版が掲載されています。
それと忘れてはならないのに『名古屋市博物館資料叢書2 和名類聚抄』(名古屋市立博物館、1992年6月)がありますが、これは永禄9年(1566)書写の新出本で写真版です。
これらの刊本のうち、『諸本集成倭名類聚抄(本文篇)』はまだ発売されているようですが(高いけど…)、『名古屋市博物館資料叢書2 和名類聚抄』(写真)は最近品切れになったようです。
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最近購入したコンラッド著/中野好夫訳『闇の奥』(岩波書店、1958年1月、2005年8月版)を読み終わりました。
この『闇の奥』はアフリカの奥地に象牙採集をする人々の上に起こった事件をマーロウの言葉によって語られていくという形式をとる中編小説ですが、作者のコンラッド自身もアフリカ奥地コンゴ河上流まで行ったことがあることから、その経験を生かした極めて特異な小説となっています。
映画「地獄の黙示録」の原作(というよりはモチーフ)として有名ですが、映画を先にみていたこともあり、印象が随分違うな〜と思って読んでいました。
とくに終盤でマーロウがクルツの縁者の女性にあい、クルツについての話をする場面(映画にはなし)があります。アフリカの密林でマーロウがみたクルツ像と、女性の中でのクルツ像が完全に食い違っているのですが、そこには当時のアフリカ等(作中で「原始」と表現される場所)でのヨーロッパ人の行動原理と、ヨーロッパ(作中で「文明」と表現される場所)でのそれ自身の行動原理が二重基準となっていることを暗喩・諷刺しているようにみえました。
中編小説にも関わらず、以外に読み終わるのに時間がかかりましたが、岩波文庫にしては読みやすいのかもしれません。
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神護寺と高山寺に行って来ました。
山道がすんごかったのです。
バスで来られて道もある現在ならともかく、建立当寺の鬱蒼とした山林を思い浮かべれば、こんなところに寺を建てるなんて修行マニアの坊さんは別としても、建立した和気氏は絶対に頭悪いと思いました。
ところで、途中に老夫婦が
「上醍醐の道よりは大したことないな」
といって去っていきましたが、数奇者もいるものです。
写真は高山寺本堂への境内山道です。
最近、お寺の写真ばかりなので、たまには違うものも。(←同じだろさ)
ではまた(。・_・。)ノ~
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妙心寺を通りかかると、時代劇のロケをしていました。
題名は…、
(・_・?) ハテ?
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二日酔いです。
最近更新していませんでした。
ネタもなかなかないものですね〜。
そういえば昨日、母の誕生日だったので電話しました。
私「最近ふとってねぇ〜」
母「何さっ、兄弟3人ともお腹大きいのかい!」
私「妹はともかくとして(妊婦さんです)、姉もおめでたなの?」
母「アンタと同じだよ!」
妹思いの姉と私は、妹がお腹を大きくして
心苦しくないようにしているのです。
…心苦しいのは両親ばかりなり
(↑姉のダンナも)
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B研究会に潜って奈良国立博物館の重源展に行って参りました。
風邪はまだ治りません。前から行くといっていたので、進むも地獄、進まざるも地獄なら、いかでか進まざらん(←おおげさ)とばかりに行ってきました。
知り合いが冗談で「あの気持ち悪い像(リアル重源像のこと)みに行くのか!」いっていましたが、重源像も含めて展示物が思ったより多く(あまり関係のないものもあったけど…)、大変見応えがありました。(←疲れた)
午後から新薬師寺(写真)に行くという話でしたが、近鉄奈良駅より歩いて新薬師寺に(爆!)
新薬師寺見学の後は、「白毫寺にも行こう」ということで、新薬師寺から歩いて白毫寺まで(大爆!)
このまま山林斗薮でもするかと思いました。「円成寺まで7q」の看板がみえた時には「まさかここにも行くのか」とあせりましたが…。結局、白毫寺から歩いて帰りましたが、さすがに疲れたのか、大乗院付近よりバスに乗りました。
バスを降りる時、運転手さんに「“するっと関西”って使えますか?」
と聞いたら使えないとのことでした。
使えないのか〜、と思っていたら、後輩の一言、
「奈良って関西じゃないですから」
奈良に何か怨みがあったのでしょうか?
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何となく体はダルく、鼻もズルズルいうので、
「すわ、遂に花粉症か!。。''((;・ ・)」
と思いましたが、頭痛と腹痛と喉の痛みもあったので、どうやら風邪のようです。
毎年この季節には例外なく風邪をひくのですが、去年は長引いてヒドイ目にあいました。
長引かないといいものですが…。
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だいぶ前の話ですがある日、祖父や祖母が「○○のババ」というので、何のことなのか母に聞いたことがあります。
母「それは親戚のおばあさん連中のことさ」
私「“下のババ”って誰さ?」
母「最近亡くなった大おばあちゃん、あんたのひいばあさんでしょ」
私「何で“下のババ”っていうのさ?」
母「前住んでた家からみて下に住んでるからさ」
なるほど
私「じゃあ、“上のババ”は?」
母「Kのばあさんのこと。上の方に住んでるでしょ」
“ババ”とは婆さんの略称で、“上”とか“下”というのは、どうやら住んでいた場所からの地勢をさしていたようでした。
そこでもう一つ、昔どこかで聞いたことがある気になる“ババ”が…。
私「じゃあ“高田のババ”って誰さ?」
昔、東京の体育会系の大学に通っていた母は、一瞬キョトンとして、その後大笑いして曰く、
「それは親戚のばあさんじゃない!」
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最近一週間ほど、運動不足を解消するため、早朝にジョギングしています。昔は嵐山までは走れたのですが、桂川までが限界のようです(ちょっとの差なのですが…)。
同じコースを走っても面白くないので、違うコースをたどっています。右京区の小さい神社を通り過ぎながら、その由緒を想像するのも楽しいものです。
ところで先日、斎宮神社を通過すると神職さんの嫁さんらしきご婦人に呼び止められました。
ご婦人「散歩ですか?」
私「ジョギングです」
ご婦人「朝から偉いですね〜」(←何が?)
私「はぁ…?」
ご婦人「じゃ、この本をあげます」
と本をもらいました。
内容はいかにも、というようなアヤシイ本(思想系)でしたが…。
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東寺宝物館のチケットを提供されたので、東寺に行きました。晴れて穏やかな陽気が漂っていました。
その後、京博の「大絵巻物展」夜間拝観に行きました。
「大絵巻物展」は初日には行ってきたのですが、人が多かった上に、他の見学者のマナーの悪さ(横入りetc.)かったため、あまりいい印象はありませんでした。(でも常設は素晴らしかった!)
今日の夜間拝観は人があまりいなかった上、マナーの悪い人がいなかったこともあって、落ち着いて見られました。
ところで、18時頃に岩佐又兵衛「堀江物語絵巻」をみていると、左横からカウントする声が。
「うるさいな〜」と思って左側をみると、そこには私(と展示物)をみつめるテレビカメラが… Σ(ノ°▽°)ノ
NHKの生放送でした。
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何かをググって出たのか忘れましたが、誰かのブログでオーストラリア国営放送ABC発として、
「オーストラリアのダーウィン交響楽団指揮者でダーウィン大学助教授の Martin Jarvis という人の研究。 J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲は妻アンナ・マグダレーナが書いたと主張しているそうです。アンナ・マグダレーナはバッハの弟子で優れた音楽家でもあったとされる女性。当時女性は作曲家になれなかったためバッハの名で楽譜を遺したのではないか、と。 」
↓↓↓< ( ..) >↓↓↓
http://yoshioka.blogtribe.org/entry-9bb158f7cd6d1fc5b992927cb843dbf7.html
というニュースがでてました。
おぉ〜、本当かな〜?
でも「無伴奏チェロ組曲」の作者が大バッハ本人だろうが、大バッハの嫁はんだろうが、優れているものは優れているとしかいいようがないのではないのでしょうか?
と身も蓋もないことを…。 「(^ ^; )
とはいえ、ベートーヴェン作とされる「さらばピアノよ」やモーツァルト作とされる「モーツァルトの子守歌」は、さすがに違うだろ〜、と思いますが…。もしモーツァルトについて会話している最中に「モーツァルトの子守歌」を真作だぁと言い張る日にゃ〜、即誅殺ですね。(←誰が?)
聴けばわかりますように、モーツァルトか否か何てことは歴然としていますし…。結局、許せる範疇と、ダメなものがあるようですね。
ところでモーツァルト「レクィエム」の「ラクリモサ」(映画「アマデウス」で最後に流れていた曲)以降は、モーツァルトが作曲途中に死んでしまったため弟子のジュスマイヤーが完成させたというのは有名な話ですが、「レクィエム」は「ラクリモサ」以前と以後では音楽の質が全然違うので、ジュスマイヤーは師匠亡き後頑張ったのに、後世の人にボロクソいわれてます。それなのに不思議なことで、「ラクリモサ」以降がカットされずに演奏されることが多いようです。
聴けば全然違うことはわかっていますが、それでも「レクィエム」を音楽として完成させたジュスマイヤーの功績は忘れるべきではないと思います。。「形式がそぐわない」というものでも、「音楽」として完成させ、モーツァルトの劣化コピーに陥らなかったということは評価に値するのではないのでしょうか?
とまぁ、何故か話が「無伴奏チェロ組曲」からジュスマイヤー弁護に飛んでしまいました。
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「ファイナル・エンペラー 悲劇の皇帝」という映画をレンタルDVDで視ました。
パッケージに「ローマを占拠され、隠遁を余儀なくされた西ローマ帝国の皇帝ホノリウス。現状を憂い、市民の平和を取り戻すためにローマ市長長官ルティリオはその地位を捨て、ある使命のもと、旅へと出た。その先でルティリオを待ち受けていたものとは…。」とありました。
…うそつき
パッケージ(タイトルも)と内容があまりにも違いますね〜。
じゃあ面白くないかというと、面白かったです。15世紀に発見されたというルティリオの手記『帰郷』(誰か翻訳して!)に基づいたそうですが、ドキュメンタリータッチで淡々と進んでいきます。ネタバレになるので内容はいいませんが、スペクタクルなところを期待すると、かなりがっかりするのではないのでしょうか?
このような映画、日本でもつくらないかな〜?
例えばどこかの映画会社に依頼して『入唐求法巡礼行記』を「ファイナル・エンペラー 悲劇の皇帝」風に映画化するとか?
そんなことしたら破産するのは目にみえてますが… (0;゜▽゜)0
ところで最近、映画「カサブランカ」をレンタルDVDで視ました。ニュースで「米脚本家組合が1400以上の歴代の映画脚本からベスト101を発表し、最優秀作品に「カサブランカ」が選ばれた」ということから興味を持ったからみたのですが。
面白いですね〜。あまり時代を感じさせません。視ながら「制作年は戦後10年後ほどかな」と思っていましたが、見終わった後にドキュメント(DVDの特典)を視ると、1942年制作とあって仰天しました。
この映画は、何よりも署長がキャラが素晴らしかったです。ラストの10秒がなければ、『オセロウ』のイアーゴを抜いて私の好きなキャラ第1位になったかもしれません。
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京都コンサートホールでの
「京都市交響楽団創立50周年記念演奏会〜ブラームス ツィクルス〜」
に行って参りました。
ブラームスの交響曲全曲(4曲)を演奏するというプログラムで、開演が午後二時、コンサート終了が午後七時という、濃ゆいものとなっています。交響曲全曲って、いくら私がブラームス好きとはいえ、全曲聴き通すのことを想像するだけで、しんどくなってきます。
まぁ、マーラーとかブルックナーの交響曲全曲よりはマシですし、ハイドン全曲なんて想像すらつきません。どうせあまり人がいないだろうと思い、先月の23日に京都コンサートホールにチケット状況を問い合わせたところ、「5.000円のS席しかチケットがございません」ということでしたので、慌てて購入しました。まだ4月に入っていないのにこの状況なので仰天しました。日本人はブラームス好きが多いというのは本当なんですね〜。
う〜む、ブラームスなんて聴きたいか、普通!(←私は聴きたい!)
さて、指揮は第1番と第3番が大友直人さん、第2番と第4番が井上道義さんです。
お二人の指揮は対照的で、大友さんが全体の構成を重視しているのに対して、井上さんは各楽章ごとに歌うことを重視しているような気がします。私は大友さんの方がしっくりきました。
席は最前列の指揮者とコンマスの中間あたりでした。最終楽章(両方とも)で大友さんのうなり声が聞こえてきました。坐っている時間が長かったので、お尻は痛かったのですが、うまく休憩がはさまれていたので、時間のわりにはそんなに長いコンサートだったとは思いませんでした。またドリンクサービスという粋な計らいがありました。私は赤ワインをいただきました。
アドリブで市長があいさつした時、「次回の演奏はシェーンブルクの…」というと、大友さんがすかさず「シェーンベルクです」とつっこみを入れてました。そんなに無鬼にならなくても、と思いました。とはいえ、もしブラームスを、ブルックナーとかブルッフに間違えているサイトやブログがあったら、私はF5攻撃をするかもしれませんので人のことはいえませんが…。
(↑しません!)
アンコールはハンガリー舞曲の第1番でした。第4番の練習の時に、クラ奏者の人がふざけてハンガリー舞曲の第5番の主題を吹いていたので、第5番だと思っていました。(クラで主題演奏するかな?)
ところで、会場にH大学のY教授夫妻がいらしてました。Y教授は井上さんの方がよかったとの旨を仰っていました。
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むかし学生時代、バイト先で友人Yが映画を視に行った、という話をしていました。
私も「それみたことある」というと、
社長が「俺もそれ視たぞ!」と話に加わってきました。
というわけで三人で映画の話になったのですが、
どうもそれぞれ言っていることが食い違っているようです。
私「何で今頃映画館で?」
社長「船が凄かった!」
友人Y「…?」
友人Yが視たのは「戦場のピアニスト」、
私がいっていたのは「戦場のメリークリスマス」、
社長がいっていたのは「海の上のピアニスト」
でした。
ある日後輩が「戦場のピアニスト」について
「私ピアノ弾けますけど、あんなに長い間弾いてなかったのに(弾けるのは)ありえませんよ!」
といっていました。
どのような映画か気になったので、私も最近ようやくレンタルDVDで「戦場のピアニスト」をみました。主人公のシュピルマンはユダヤ人ピアニストで、彼は1939年、ドイツに侵攻されたポーランドの首都ワルシャワで、ユダヤ人を隔離するゲットーでの苛酷な生活を強いられ、家族とは絶滅収容所に送られる途中ではぐれ、再びゲットーに戻りますが、脱走して地下組織に匿われ、1944年8月のワルシャワ蜂起の時に廃墟となった家屋でドイツ軍将校の前で、ショパンの「バラード第1番ト短調 作品23」を弾くのです。はじめは長い間弾いていなかったためたどたどしく、徐々にピアニストの腕が蘇り、最後は見事な演奏を行うというものです。確かに後輩のいう通り、長く苛酷な生活をして、長い間ピアノから離れていた人間がこのようにうまく弾けるのかな?と思いました。
ところで、私も実は高校の時までピアノを弾いていて、このショパン「バラード第1番ト短調 作品23」を練習したことがあります。しかし大学に入ってからは部活にかまけてほとんど実家に帰らず、ピアノは何と7年間もまともには弾いていなかったのです。
今日たまたま友人Nの家に行った時、ピアノがあったので、ピアノを何年も弾いていない人間がショパン「バラード第1番ト短調 作品23」を弾けるかどうか、ということを実験してみました。
被験者は私。ドイツ将校がわりに友人N。
期間は7年ぶりですが、実際にはたまに友人Nのピアノを弾いていることもあったので、2年ぶりになります。しかしショパン「バラード第1番ト短調 作品23」を本物のピアノで弾いたのは7年ぶりになります。
椅子に座ってピアノにむかい、まず序奏から。ユニゾンで始まる序奏の音はかなりはずしていました。この部分は昔ピアノの先生に「君の演奏には何かモヤモヤしたものが篭っている」といわれたことがあり、簡単ではありますが表現としては昔から不得意な部分でした。しかし、序奏の後、第1主題ではそれほどのミスはなかったと思います。しかし、その後の展開部への接続部分は指が全く動きません。特に左手の薬指は少し動きが早くなると、かなりじゃまになります。また、指もさることながら、動体視力が全く指の動きについていけず、結局、指が曲を覚えていることが幸いしました。そこから第2主題に入り、この主題を右手のオクターブで爽快に演奏する部分となります。昔は得意としていた部分ですが、右手よりも左手が音をはずしていました。この部分が終わるところで、曲を忘れてしまい、一旦演奏を止めています。第2主題の左手がアルペジオの部分では、右手のトリルが全くできていませんでした。
終結部にむかって、曲は劇的に展開していきます。映画ではシュピルマンが徐々にピアノの腕を取り戻し、華麗に弾いていく…、はずなのですが、実際には、10分近い大曲なので、パッセージの部分に突入する頃には腕の疲労はピークに達し、それどころではありません。長い間弾いていないので、10分演奏するということは非常に困難でした。かなり悲惨な状況です。録音しなくてよかった…。その後、上昇下降音階の連続と両手オクターヴの下降音階を無事に乗り切り、演奏を終了しました。
友人Nのコメント
「長いこと弾いていない割にはいいんじゃないの?」
友人Nは優しいので、そのようなコメントではありましたが、私がシュピルマンだったら少なくとも4回銃殺されていました。友人Nはさらに「徐々に集中力が途切れていく」ことを指摘していました。私はアマチュアですので、プロのピアニストが弾いた場合は数年ぶりに弾いたといっても、不可能ではないのではないのでしょうか?
さて、実験結果の結論から申しますと、
「長年ピアノから離れていた人間がショパン「バラード第1番ト短調 作品23」を突然演奏することは不可能ではない。ただし、長年演奏をしていないため、徐々に腕に疲労が蓄積していく。また動体視力の低下や集中力の欠如なども重要な問題点である」
ということになりそうです。
その後、ベートーヴェンのピアノソナタ「テンペスト」の第1楽章と第3楽章、ショパンのノクターン13番、ムソルグスキー「展覧会の絵」の「ビドロ」と「キエフの大門」、ラフマニノフの「前奏曲嬰ハ短調」と「前奏曲ト短調」、カスキ「夜の海辺にて」を弾きました。久しぶりなので指が痛くなりました。
さて映画「戦場のピアニスト」はシュピルマン自身の回顧録をもとにしたものでして、『ザ・ピアニスト』(春秋社、佐藤泰一訳、2000年2月)の題で邦訳され、映画のあとは『戦場のピアニスト』(春秋社、佐藤泰一訳、2003年2月)の題で再版されています。近所の図書館にあったので借りて読んでみますと、映画化されるにあたって若干改変されていた事がわかりました。
シュピルマンは1942年9月に演奏会にて演奏したのを最後にピアノを弾いておらず、7ヶ月後、ソ連軍の「ハリコフ奪還」(1943年2月)したニュースが流れた頃、地下組織の人の家で弾いたものの、その間の苛酷な労働のため指が硬直して思うように動かなかったとあります。その後ハリコフは奪還された(1943年3月)というので、1943年2月から3月の間を最後にピアノを弾いていません。ワルシャワ蜂起がドイツ軍に鎮圧された後の1944年11月にドイツ軍将校(ホーゼンフェルト大尉)の前でショパン「ノクターン嬰ハ短調」を演奏したとあります。最後にピアノを弾いてから二年近くたっています。
映画が「バラード第1番ト短調 作品23」にしたのは「ノクターン嬰ハ短調」では劇的要素に欠けると判断したからなのかもしれません。ショパン「ノクターン嬰ハ短調」は訳者あとがきによると遺作の方だそうで、この曲は難易度はそれほどの高くない割には演奏するととってもうまく聞こえるので、私も高校の時はよく弾いていました。「バラード第1番ト短調 作品23」とは難易度がかなり違います。
私がシュピルマンのように、「何か弾いてみろ」といわれたら、演奏を間違って銃殺される、なんてことがないように、ジョン・ケージの「4分33秒」を演奏(?)します。
いや…、その場で即銃殺か…。(^^;)
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この「かげまるくん行状集記」のファイル数が、未公開のファイルを含めて78あるので、私のノートパソコンではメモリがおっつかなくなってきました。
何せデータ保存の時にフリーズするので…。
更新が困難になってきたかも…。
心なしか「メモリ買う?」という悪魔(化猫?)の声が聞こえてきます。
無理!!!!?????(゚Д゚||)
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「だいあり〜」の配置を逆順にしました。
編年(?)の方がよいと思っていましたが、逆順の方が見やすいとの指摘を受けての変更です。更新も少ないので、こちらの方がよいでしょう。
「だいあり〜」は一応日記としての体裁はとっていますが、とくに日記としてのコンセプトがあるわけではないので、今後もよく変更するかもしれません。単なる備忘ですし、大層な事件に遭遇しただの、重要な儀式に参加したということはないので、後世の人がこれを読んで参考にするということもないでしょう…。
ところで、日記はその時代を示す指針となるのですが、当然のことながら、日記の備忘録的性質として、当たり前のことというのは書きません。そのため、後世の第三者にとって、本当に必要な情報というのはなかなか得ることができません。後世の人に役立つ日記というのは、常々当たり前のことが記されているものこそが重要なのですが、一般的に日記というものは、普段とは違う出来事を記すのです。まさに『春秋穀梁伝』がいうところの「何を以て書す。異を記すなり」という語は日記の性質を示しているともいえるかもしれません。
例えば、数千年たって、現在我々のいる時代の史料が何もなかったとしましょう。その時に、ダイエットや糖尿病対策のために、毎日つけていた食事日記のみが残ったとします。すると後世の歴史学者は「この時代の食事はなんて貧相なんだ!」と思うでしょう(思わないかな?)。逆に北大路魯山人の『魯山人味道』のみが残ったとすると逆のことがおこるでしょう。
後世にみられることを覚悟で日記を記していくのも大変ですし、自身の世情に対する観察眼も問われます。しかしそれを乗り越えて毎日根気よく書いていくと、『小右記』・『中右記』・『玉葉』・『満済准后日記』・『看聞日記』・『実隆公記』のように、まるで年代記であるかのように何度も引用され、「この時代における貴重な史料」なんでことになるかもしれません。(偉くならないとならないな〜)
では、後世の人が読んで喜ぶ日記というのはどのようなものなのか、考えてみましょう。
@毎日普段どおりの事をかく。(普通の日記ですな)
Aかわいい飼い猫の行動を書く。(『宇多天皇宸記』)
Bみた夢はすべて書く。(『夢記』)
Cぷいぷいのために毎日書きましょう。(『明月記』)
Dお父さんに教えてもらったことをメモする。(『九暦記』)
E現代史を書くための備忘録として鋭い観察眼で書く。(『暗黒日記』)
F転勤先までの道順を書く。(『時範記』)
G読んだ本はすべて書く。(『台記』)
H目の前で人が殺された様子を書く。(『蔭涼軒日録』)
I市場の相場と物価を書く。(『入唐求法巡礼行記』)
だからといって、あまり気合を入れて書くとこのようになります。
@上等な紙を使ったため、すべて再生紙にされる。(『外記日記』)
A儀式に役立つので孫に記事を切り張りされる。(『清慎公記』)
B名筆のため、古筆切として珍重され、ズタズタにされる。(『明月記』)
逆に変なことを書くと、後世の人に嫌がられたり、バカにされます。
(↑いや、喜ばれてる?)
@嫌いな人のことはとことん罵詈雑言を浴びせる。(『行暦抄』)
A文章ではなく、すべて漢詩にする。(『老松堂日本行録』)
Bくずし字で書いて、後世の学生を苦しめる。(『原敬日記』)
C誤字脱字だらけで後世の人にバカにされる。(『御堂関白記』)
D女性を買い、寝た時のことを書く。(『鸚鵡篭中記』・『ローマ字日記』)
E…だから暗号で書く。(これも『鸚鵡篭中記』・『ローマ字日記』)
Fついでに男色者との情事のことも…。(『台記』)
G秘かに暗殺した人のことを書く。(これも『台記』)
H精力絶倫薬について大臣に相談したことを書く。(『宇多天皇宸記』)
I旅先で人に食べ物をたかったことを書く。(『入唐求法巡礼行記』)
J…食べ物くれない人には罵声を。(これも『入唐求法巡礼行記』)
…こうやってみると、すべて日記にすると大変(?)ですね〜。
というわけで、「だいあり〜」は後世の人に何も役に立たない日々雑感を記していくことにしましょう。(←なんのこっちゃ)
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北野社に行って参りました。
この日は天神さんでしたので、やはり人は多かったです。
先日の弘法さんとは異なり、熱心な人は多いというわけではありません。拝殿には行列がありましたが、弘法さんのように堂宇・石碑・灯篭の一つ一つに拝んでいる人はいません。
しかし現在でも天神さんには熱心な信仰が行われている対象があります。
それが北野社のあちらこちらにみられる牛(写真)です。多くの人がさわるので、大抵の牛はテカテカ光輝いています。
天満宮に何故牛がいるのかということについては諸説あります。説得力があるものに、天神さんのことを「天満大自在天神」といい、大自在天とは摩醯首羅天(まけいしゅらてん)のことで、その像容は牛に乗っていることから、天満宮でも牛が信仰されたという説があります(竹内秀雄『天満宮〈日本歴史叢書〉』(吉川弘文館、1968年3月)3〜4頁)。菅公が丑年の生れというのはあまり関係ないそうです。
それにしても…、
写真のお姉さんは、牛に触りすぎですね。
よっぽど願い事にせっぱつまっていたのでしょうか?
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世界一臭いといわれているスウェーデン製の缶詰「シュールストレミング」です。
「一緒に食べましょう」
と十人以上に声をかけたのですが、ことごとく断られました。私って人望ないですね〜(;-;)
この缶詰について、詳しくは『ウィキペディア(Wikipedia)』の項目を参照して下さい。
今回は「DUVA&LULEA」のネット通販で購入しました。シュールストレミングは結構人気なようで、高級なものと、一般のものは売り切れておりました。価格は「シュールストレミング(Oskars大)」で3,780円です。一つの缶に、10〜12尾のシュールストレミングが入っているそうです。
さて、さまざまなサイト・ブログではネタとして扱われていますが、そもそも臭いだけだったら比較的高価な伝統食品が残るとは思えませんので、正しい食べ方をしたらおいしいのではないのでしょうか?
近日中に、開缶します。
ところで、購入の時、「ご購入商品の使い道をお教えください」という質問項目がありました。「食用に決まってるでしょ」と思いましたが、今まで食べもしなかった人が多かったからこのような質問があったのかもしれません。
それにしても怖ろしい缶詰です。
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旭屋書店でR.ホイベルガー/R.フェリンガー 著・天崎浩二訳『ブラームス回想録集2 ブラームスは語る』(音楽之友社、2004年05月、1.700円+税)をみかけました。『ブラームス回想録集』(全3巻)は2巻しか売ってなかってので、それを購入しましたが、直後、コーヒーが飲みたくなり、旭屋書店と同じ近鉄百貨店の五階にある「英國屋」でコーヒーを注文しました。コーヒーを待つ間、ヒマなので購入した本を読んでいました。
それが面白いのなんのって!
15分少々の予定が2時間近く、コーヒー二杯で粘ってしまいました。
ブラームス唯一の録音である蝋巻の録音風景(数年前に民放でやってた)を記したフェリンガー「素晴らしき調べ」もさることながら、ホイベルガー「ブラームスは語る」は必見です。「ブラームスは語る」は、ホイベルガーがブラームスの言行を記したメモで、当時、メモに書かれている人が多く生存していたため、未発表となっていた(当初はブラームスにも秘密でつけていた)そうです。このメモはまるで目の前にブラームスいるかのように、とても身近に感じられます。(ただしブラームス本人がいるわけではないので、ブラームスお得意の辛辣な皮肉を浴びなくてすみます。)
ところで、結構驚きのことが書いてありました。
ブラームスはワーグナーをとても尊敬していたんですね。ブラームスは何度もワーグナーに最大限の賛辞を送っているばかりか、「タンホイザー」の自筆スコアを所有しており、それを用いてホイベルガーに指導しています。
話せばきりがないのでそこらへんにしますが、これはブラームス・ファン必見の本です!
こりゃ、全巻買っちゃうな〜v(^ ^;)。
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今日は東寺の弘法さんに行って参りました。
大勢の人がいました。天神さんにはよく行きますが、弘法さんは3月21日に来たのは始めてです。天神さんと違って、弘法大師信仰が根付いており、皆さん一生懸命に手をあわせてました。
ところで、御影堂の南に石碑(写真)があるのですが、大勢の人が台座の亀を撫でながらグルグルとまわっていました。何故まわっているのかわからなかったので、とりあえず並んでみました。
私の前にいたおばさん
「何でまわってん?」
その前にいたおばさん
「いやぁ〜、いっぱい並んでるから並んでみただけ」
(↑私と同じことをしていた)
私の後ろにいた子連れのお母さん
「亀さわったら、悪いところよくなるんやで」
とのことです。
この石碑は、碑文によると、嘉永六年(1853)十月に比叡山常楽院の願海が仏頂尊勝陀羅尼の功徳を顕彰するため北野廟(北野天満宮)に建立したもので、戊辰(1868)に左大寺(東寺)に移したとあります。石の表面に横に走る大きな亀裂があり、そのうち碑文は脱落するかもしれません。台座の亀はよく顕彰碑などの下にいる、亀趺石です。亀趺石について詳しくは平勢隆郎『亀の碑と正統-領域国家の正統主張と複数の東アジア冊封体制観- (白帝社アジア史選書)』(白帝社、2004年2月)をどうぞ。
亀趺石をさわったら悪いところよくなる功徳があるとは、亀も思いもよらなかったでしょう。東寺をお立ちよりの際には、この亀をなげてあげましょう。
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前日の話の続き。
無住寺ですが、曹洞宗であるため、そこには80歳の和尚さんが檀家のために毎週かよっていました。そのため調査では和尚さんに便宜を図って頂きました。檀家総代さんの民宿で、晩に和尚さんと私の担当教授が話をしていました。
教授「和尚は戦争に行かれたのですか?」
和尚さん「行きました。開戦の時にコタバルに上陸したんですよ。」
教授「それじゃ、いろいろなところに転戦したんですか?」
和尚さん「そうです。といってもずっと南方でしたが。インパールにも行きました。あそこはひどかった。食べる物はなかったし、病気でまわりじゅうがバタバタ死んでいくんですよ」
私「では今までで一番つらかったのはそれですか?」
和尚さん「いや。戦争が終わって永平寺の僧堂が一番つらかったよ」
和尚さんが仰るには戦後の永平寺は民主主義と伝統がごっちゃになって大変だったそうです。
それにしても、戦争よりもつらい永平寺の僧堂って一体…。
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最近ニュースでコーヒーが値上がりするといっていました。1パック30円ほどだそうですが、結構な出費になりそうです。ニュースのいうところでは、値上げの原因は産地の不作と、中国市場の需要拡大のため、全世界的に不足になる、ということです。
そういえば、3年前は野菜が高かったことがありました。私は学生だったので、毎日の食事に困ったものでした。その頃、担当教授とともに福井県のお寺に調査に行きました。普段は無住寺でしたが、そこは地域の檀家が力をあわせて守っていました。総代さんの家が民宿だったのでそこに泊めていただきました。「食事です」と案内されると、夕食がひらめのお造りだったので仰天しました。
私「ひらめなんて、こんな高いものを…」
檀家さん「いやぁ〜、すぐそこが海なので、とってくれば安上がりなんです。それよりも下の大根の方が高くついちゃって」
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ひな祭りです。
甘酒ならぬ発泡酒で祝いました。お金がないもので… 。(;-;)日。
実家では父の蔵書である『岩波講座基礎数学』(全24冊)が年に一回役に立つ日です。
畳にひな壇を直接おくとゆがむので、母がたくさんある『岩波講座基礎数学』をひな壇の下に引くのです。父は毎年哀しげな顔をしてひな壇を眺めてます。
ところで、昨年末っ子の妹が結婚しましたが、母はひな壇を手放す気がないようです。生まれてくる孫が女の子だったら手放してはいかがでしょうか。
私も父同様に母は怖いので、本人の前ではいえませんが…。
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民法テレビのニュースで、
大阪の町は外国でのイメージが悪いという報道がありました。
外国の観光用パンフレットによると、大阪の悪印象ばかり書かれていたというのです。そこで大阪の経済界の人たちが急遽会議をする、という映像が流れていましたが、後ろのお姉さんがコックリコックリとしていました。
テレビに映ってるのに寝ちゃあダメですね〜。(-_-)
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朝起きると、携帯に妹からメールが入っていました。
「今日は一つ、報告がありましてですねぇ。
10月に母親になることが判明しました!」
おめでたいことです。経済的に心配なので夏までは仕事するそうです。初産なので若干心配ですが…。
まぁ、旦那さんはいい人そうなので、あまり負担がかからないでしょう。
しかし10月って、
邪推な話ですが、クリスマス?
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今日、クロード・ロスタン著/森健二訳『ブラームスの生涯』(上下二冊、青山社)を購入しようと旭屋書店に行きましたが、休日でした。旭屋書店に売っていたのを前に見たので、他の大きい本屋ならあるだろうなとブック・ファースト河原町店に行きましたが、これまた店舗移転のためお休み。ジュンク堂も新装開店(翌日オープン)のためお休み。大きい本屋さんがことごとくお休みでした。
丸善河原町店は昨年夏に潰れているので、このように一斉にお休みにされると困りますね。
帰りに二条の大垣書店に行きました。結局ベネット・アラン・ワインバーグ/ボニー・K・ビーラー著、別宮貞徳監訳『カフェイン大全』(八坂書房、2006年2月、4.800円)という本を買いました。私はとくにカフェイン摂取量は多いわけではないと思いますが(一人でインスタントのコーヒー1袋が半月でなくなる位)、カフェイン中毒に関する項目もあったので、この際総合的に見てみるのもいいかな、というつまらない動機で購入しました。
まだ詳しくは読んでいませんが(もちろん「査読」みたいなことはしません)、第9章に「カフェインの島々(1)日本−茶の伝統とコーヒーの目新しさ」という項目があります。そこでは闘茶や会所での茶会に関する記述がすっぽり抜け落ちています。面白いのが現在における裏千家に関する記述と、日本におけるコーヒー社会の展開に関する記述で、スタバが海外進出第1号に日本を選んだということは、知りませんでした。カナダ人の知人は常々「日本人は信じられない!世界で一番マズいアメリカン・コーヒーを飲むために(スタバで)並んでるんだよ!」といっていますが、この本を読みながらその言葉を思い出し、思わず吹き出してしまいました。
ところで、4.800円だと思ってレジに並ぶと、5.000円を超えていました。裏表紙に「定価4.800円+税」とあって、消費税を考えるのを忘れていたからですが、最近出版されたばかりなのに、このような表示はどうなのでしょう。きちんと税込みで表示してもらいたいものです。
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昨日、夜の三時頃に近所のコンビニ老村に行くと、
酔った学生と思われる五〜六人の集団が食べ物を購入してました。
全員やたら大声で会話していたので、酔っぱらいかな?と思うと、
案の定、かなり酒くさくった。
集団の一人が彼女らしき女性と一緒にレジに並んでましたが、
知り合いとおぼしき年配の人が彼に声をかけてました。
「あれ、こんなトコで何してんの?」
「これから麻雀なんっすよ!酔っぱらってて勝てるかどうか全然わかんないっすよ!」
その後、二・三の会話の後、レジで会計をすまして出て行った。
その後、彼は彼女を原チャの後ろに乗せて、
麻雀の会場らしきところにむけて出発していきました。
おい! 酒気帯び運転だぞ! 麻雀の心配するよりそっちを心配しろ!
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たまたま、近くを通りかかったため学生時代によく行っていた○太町通りのコンビニ家族市場に行こうと思ったら、潰れてました。向かいの老村はとっくの昔に潰れていたので、学生時代を思い起こし、時間の流れというものを久しぶりに意識したものです。
ところで、潰れた老村はよく夜中に友人とバカ話をしながら行ったものですが、そこのバイト店員は全く無気力でやる気が無く、不快感を通り越して愉快ですらありました。友人も「今日の店員もヤル気ないな〜」と、話題がなくなると話のネタにしていました。
今住んでいる近くの老村のバイトは、店員の教育を野放図にしているのか、そこに行くといつも不快感を感じるのですが、ところが最近、新しく入った老村のバイト店員がやたらに愛想がよかったのに驚きました。「遂に潰れるのに恐れをなしてバイト教育に力を入れたかな?」と思っていましたが、名札をみると、どうやら中国人か韓国人のバイトのようでした。この愛想の良さは本人の素質によるものということでしょうが、日本人店員の愛想は相も変わらず悪かったのでした。
それにしても、バイトとはいえ、日本で育ったはずの人間よりも、外国人のほうが愛想がよいというのはどういうことなのでしょうか。
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大分前の話ですが、
外祖母の一周忌のため母の実家のある函館に電車で行きました。
祖父も函館に来るというので、祖父の念願である我が家の先祖探しに協力しようと、昔祖父の住んでいたという青森県によることにしました。
弘前市立図書館で明治五年(1872)に津軽藩が家臣に作成させた『由緒書』にあたり、我が家の苗字と伝承の先祖名に一致する家をみつけて驚喜して筆写し、函館で祖父に報告しました。
すると祖父いわく、
「実はウチの苗字は昔は石川っていうんだって」
…全然違うぞ
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前日の話に関連して。
後輩と話をしていて、日本人であまりなったことがない職業はなにか?という話がでました。
新しく職業をつくればいくらでもあるので「昔からあるもの」と限定すると興味深いものがあることが判明しました。
それは「博士大臣」(勝手に造語)です。
昔は優秀な子どもがいると「末は博士か大臣か」といいましたが、今では宇宙飛行士の方がなるのは難しいのです。しかし博士と大臣を両方行うのは難しいものです。現在、日本では竹中大臣しかいません。竹中大臣はポスト小泉の一人(主要ではないけど)だそうで、もし大臣が首相になれば、博士と首相を併せ持つことになり、菅原道真以来千百年ぶり三人目になります。無理かな?
そのうち「末は博士か大臣か」ではなく、「末は博士も大臣も」という時代が来るかもしれませんね。
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テレビで子ども(幼稚園か保育所位)の「将来なりたいもの」という質問をしていました。
学生の時、「高校生が「将来の夢」をアンケートしたところ、「公務員」が一番であった」という結果が出ていましたが、その頃、友人達と店屋で呑んでいて「どうして小さい子が将来なりたいものというのは、男の子の方が高給取りで、女の子の所得が低いのか」という議論(酔っぱらっている)になりました。
男の子は「社長」「宇宙飛行士」「総理大臣」と高給取りでかつ実際にその職業に就くのは難しく、滅多にその人にはお目にはかかれません。宇宙飛行士に到っては、日本では十指に満たないのです。
それに対して、女の子は「お花屋さん」「ケーキ屋さん」といった男の子と比べると所得は低いものばかりです。「ケーキ屋さん」のなかにフラワーアティストやパティシエが念頭にあるとは思えませんし…。女の子の方がどちらかというと仕事内容は楽です。
そのようなことを議論していると、友人Sが
「女の子の将来なりたい職業のうち、仕事内容は苛酷で、無所得の仕事がある。」
というのです。
私がそれは何かと尋ねると、友人Sいわく、
「お嫁さんだよ」
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久しぶりに嵐山に行きました。
ここは日本でも有数の治安が悪いところで、毎週のように川には死体が浮いています。
また南禅寺境内を横切るレンガ造りのアーチ橋も治安が悪く、毎週のようにあやしい密談が行われたり、犯人が犯行の自白をしています。
サスペンスでの話だけど…
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昨日の話の続き。
母は友人達と九州に旅行に行くと話していました。
私「いいねぇ、旅行なんて。」
母「別にいいでしょ。北海道からでるのは結婚してから始めてなんだから」
ウソです! 母は私が幼稚園の時に東京に行っています!
そのことをいうと、「アレは全国大会だからしょうがないでしょ」
母は剣道で全国大会に何度か出場しています。
男である父が表立って母に逆らわないのは、
まさにそこに理由があるのです。
だから夫婦円満なのかもしれません。
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実家の母と電話で話していると、確定申告の話がでた。
いくらか源泉徴収で戻ってくるという話をしていると、
母「たまにはお母さんにもチョーダイ」
私「それだったらかげまるに鮭買ってあげてよ」
そう、猫のかげまるは鮭が好きなのです。
母は「塩分高いからダメ!」というので
かげまるはあまり鮭を食べたことはありません。
いつか刺身用の鮭を焼いて食べさせてあげたいものです。
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妙心寺に行ってきました。
そのうち「本朝寺塔記」の方にアップできればいいな、
と思っています。
さて、昨年九月、妙心寺の曝涼に行きました。
そこで頂相の前で大学生と指導教員らしい一行の問答。
「これは妙心寺の開祖だが、誰だかわかるかな?」
「ムソウ国師です」
「それは他の宗派(管理人注、五山派の夢窓国師)だ!無相大師だろ!
まぁこの前みたいに「国士無双」というよりはマシか」
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休日なので、昼まで寝ていたら、外で子どもの声がしました。
(↑壁が薄いからね)
その声で起きたのですが、どうやら小学校低学年位の女の子2〜3人で遊んでいるようでした。
すると、「ワタシ王子さまねっ!」といい、それぞれで役を決めているとようです。どうやらいわゆる「お姫様ごっこ」をしているのでしょう。
そういえば、私もその位の年齢の時に○○ゴッコと称して、そのような類で遊んだ記憶があります。そのことを思い出して懐かしんでいたのですが、ふと、疑問に思いました。
「お姫さまゴッコの王子さまって一体何者?」
王子さまという位なのだから、王様の息子(西洋ならば)であることはわかるのですが、その立場は一体どのようになっているのでしょうか?
たいてい、「お姫さまゴッコ」は、西洋の中世あるいは近代の前期、せいぜい下っても19世紀前半でしょうし、インドや中国の姫でも、ましてや現代日本の「○○の宮様」というような類ではないことはわかります。また子どもの遊びにおける憧れの表現としての「王子様」「お姫様」であるわけですから、貴種・権力者・富裕を併せ持つ人間であるのだと思われます。
「お姫さまゴッコ」にはいくつかのシチュエーションがありますが主に、
@下層階級の若き女性が、王子さまにみそめられ、結婚して幸せになる。
Aお姫さまが、何らかの原因で不遇の身、あるいは困難な状態に陥った時、王子さまがそれより救出する。
B王子さまとお姫さまが、兄弟・あるいは婚約者など、身分の近い存在である。
の、3つが概ねあてはまると思います。童話でいうと@はシンデレラ、Aは白雪姫などがその際たるものでしょう。
しかしながら、この「お姫さまゴッコ」は、「王子さま」「お姫さま」という上層階級を演じることから、大人数でこの遊びを行う場合、不公平感の出ないよう子どもなりの配慮が加わるため、@やAのように、上層階級である主役二人を除いて、「侍女」・「家来(「臣下」と呼ばれていないことがミソ)」・「騎士(勇者?)」などのように身分的に下位にあるものか、「魔女」のような悪役以外に存在する余地がないため(まれに「王様」が出てくるが…)、結局王子さまお姫さまがウヨウヨするBのシチュエーションが多いのではないでしょうか。しかも「皇太子(王太子)さま」という王位継承権が第一位の人間を登場させるというのはあまり聞いたことありませんので、皇太子(王太子)空位のまま遊びは展開するのです。
それにしても、王位継承者が不在のまま貴種・権力者・富裕を併せ持っている「王子さま」「お姫様」がウヨウヨしている国は権力闘争が苛烈でしょうし、それによってその国の政情も不安定。官吏は王族の浪費に苦しめられ、民草にいたってはその労苦は察するにあまりあるのです。
とはいえ、お姫さまゴッコをする子どもたちがそのようなことを意識しているかどうかは別ではありますが…。
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本屋で大槻文彦著『言海』(ちくま学芸文庫、2004年4月、2.200円)を購入しました。
分厚いですね〜。
学術文庫系ではこれを凌ぐ厚さはないかもしれません。
ちくま学芸文庫は善本を文庫化しているので、私のお気に入りですが、若干値がはる(平凡社東洋文庫よりはマシだけど)のと、背表紙が白いのに表面加工をしていないようなので、手あかがついてしまうのが不満です。本棚に並べると、買ったばかりの本は白いのに、よく使う本は手あかで茶色の本になっています。
どうにかならないのでしょうか?
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本屋に行くと、アンドレイ V.ポルトフ著『ソ連ロシア原潜建造史』(海人社、平成17年11月、1.700円)という本が売っていました。最近「K−19」というソ連の原潜事故をテーマに描いた映画をみたので、「K−19」が載ってるかな?と思って頁をめくったのですが…。
「K−19」のその後が詳細に述べられていていましたが、「K−19」どころではないんですね…。ソ連の原潜事故って!あまりの多さと悲惨さに愕然としてしまいました。
技術者の労苦、硬直した体制、事故における対応、乗組員の勇気が綴られており、その場で購入してしまいました。
雑誌『世界の艦船』で連載されていたようですが、艦船のみならず、冷戦自体の認識に「原潜」というスポットを与えてくれる好著です。
ところで時代は変わりましたね。ロシアも。冷戦時代だったら資料が閲覧できず、このように詳細なことは書けなかったでしょう。
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昨日、正月なので友人Iに電話すると、
「Oが結婚したって知ってる?」
といわれました。式はあげず、籍だけ入れたということです。
全く知らなかった私はあわててOの携帯に電話しましたが、繋がりませんでした。
今日、Oより電話があり、何で結婚したのを教えてくれなかったのか聞くと、私の携帯が変わっていたから連絡がつかなかったといっていました。
失礼m(_ _)m
私「昨日(携帯に)出なかったけど、正月から仕事?」
O「いや〜、子ども生まれたんだよね」
ねらったわけではないといっていました。
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お正月です。
今年は実家の北海道に帰っていません。
というよりは帰りそびれました。
私は20回近く飛行機に乗っていますが、
乗るたびに飛行機が怖くてしかたがありません。
飛行機がイヤなので、昨年6月の外祖母の法事は電車で北海道に行きましたが、遠いですな〜。
新幹線だとあっという間ですが、八戸で新幹線が終わるので、そこからが遠いのです。
そりゃ〜、昔は「蝦夷」なんていわれますね。
あまり有益ではないとは思いますが、やっぱり北海道にも新幹線が欲しいですね〜。
飛行機に乗れば解決する話ですが…。
年越しは寝ていましたが、姉より電話で起されました。
姉は旦那さんと実家(姉の)に帰っていました。
姉は私だけではなく、寝ていた母も私との電話に出させるため、たたき起していました。母にそのような怖ろしいことが出来るのは姉と猫のかげまる位でしょう。父は正月から仕事だといっていました。
ところで、姉は結婚しても苗字は変わっていません。
姉はある日突然、彼氏(旦那さん)に、
「アンタ、ここに名前とハンコしてよ!」
と婚姻届に署名捺印させたのです。
さらに、苗字を変わりたくないとゴネて、二人でジャンケン三回勝負して勝った方の苗字を名乗るということにしました。姉は三回とも勝って旦那さんがウチの苗字を名乗る羽目になりました。
結婚式すら挙げていませんので、「結婚は家同士のものではない!」とかジェンダーの観点から夫婦別姓をいわれる方は姉の結婚を参考にされてはいかがでしょうか。
ちなみに、妹は普通に旦那さん側の苗字にしています。
ところで、私が実家に帰った時、姉は旦那さんに「ミカン取ってきて」といいましたが、旦那さんは「ジャンケンで決めよう」といい、姉にジャンケンで勝って、姉にミカンを取りに行かせました。
旦那さんは「あいつは最初に必ずチョキを出すんだよ」といっていました。
ということは、苗字を決める時に、旦那さんはワザと負けたのでしょうか?
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