|
|
年末なので、「年越しそば」ならぬ、お歳暮でいただいた年越しうどんを食べてました。
今年はいろいろありましたが、様々な人々に支えられ、感謝にたえません。
来年はよい年になるといいですね。(。・ω・)ゞ
|
|
|
|
|
|
東福寺に行って来ました。
今年東福寺に4回ほど行ったですが、塔頭ばかりだったので、主要部には行っていませんでした。
久しぶりに主要部に行きましたが、なかなかいいものです。年末であるにもかかわらず、以外と人が多かったので驚かされました。
|
|
|
|
|
|
昨夜、京都シティホテル(京都市上京区堀川通り今出川上ル北船町857)にて忘年会がありました。
料理はしゃぶしゃぶかすき焼きを選ぶのですが、しゃぶしゃぶを選びました。肉は過度な霜ふりがなく、とても好印象でした。
|
|
|
|
|
|
クリスマス・イヴですが、夜の街中は思ったより静かなものです。
テレビはどのチャンネルもクリスマス一色なので、何か面白い番組はないかとNHK教育を視てみると、
「肥満と糖尿病」
う〜む、全世界が飽食にふけっているであろう日に、このテーマをぶつけてくるとは、さすがNHK教育というべきでしょう。
|
|
|
|
|
|
もうすぐクリスマスですが、まわり中がクリスマス一色となっています。アパートの前の住人の戸にはリースがかかげられていますし、道を歩いている時、首輪に小さいサンタがつけて散歩に連れられていたわんこをみました。スーパーにいたっては12月はじめからクリスマスソングを流しているのですから、気が早いものです。
「気が早い」といえば、とあることで母が早とちりして電話してきました。早とちりだということをいったのですが、母は妹にそのまま話をしたらしく、妹からもメールでそのことについて言及してきました。
母が早とちり、というかせっかちなのは昔からです。私は学生時代に浦沢直樹『MONSTER』全18巻うち11巻まで買って実家に帰ったのですが、母は私が持ち帰った11巻分全部読み終わったため、「続きが気になって夜も眠れな」くなってしまったそうです。そこで母はいきなり最終巻だけ買って、ご満悦したそうです…。間の6巻分の存在なぞ、どこ吹く風でした。
(・x・。)
|
|
|
|
|
|
アパートを見に不動産屋さんに行ってきました。
希望の場所・部屋条件にあう物件のなかで、他よりも2割ほど安い物件がありました。あまりに安いので、担当の業者さんと何故安いのか首をひねっていました。
私「人でも死んだんですかね?」
業者さん「いや、それはないですよ。そうだったらいいますし」
私「そういうところって、どのくらい安いんですか?」
業「半額ほどになる時もありますね」
私「そうですか」
業「でも好んでそういうところに住む人もいはるんですわ」
私「好んで、…ですか?」
業「この前も自殺者が出たところに、学生さんが見に来はりました」
私「決められたんですか?」
業「速断でした。一緒に来てはった親御さんもめっちゃ喜んではりました」
私「…」
あまり人が死んだ場所が気になるというわけではありませんが、さすがに好んで住もうとは思いませんね。ところで私ホラー映画がとても苦手です。映画「リング」を劇場で視た時、怖さのあまり腰がぬけて座席からずり落ちたほどです。(゚Д゚;)
|
|
|
|
|
|
パソコンをつけたままにしていると、突然消えてしまいました。再度つけ直すとまた突然消えてしまい、今度はつかなくなってしまいました。
「あぁ、パソコンがついにお亡くなりになられたのかぁ〜」と呆然としてしまい、また同時にデータを失った悲しさと、5年間使ってきた思い入れが交叉して、何やら複雑な気持ちになりました。
さて、このパソコンを処分しようかと、コンセントをみてみると、アダプターが繋がっていません。
パソコンが壊れたのではなく、単にアタプターが外れて電源が入らなくなっただけでした…。(;・д・A
|
|
|
|
|
|
夕方、京都府立図書館から家に戻るため自転車で丸太町通を移動していると、賀茂川に架かる橋の上にて、若い女の人が携帯電話を上にかかげて、上下左右に揺らしていました。
「携帯電話をWiiか何かと間違えてるのかなぁ〜」と思っていると、後ろにいた老夫婦もまた携帯電話を上に掲げてWiiのようにシャカシャカ動かしています。3人の携帯電話が同じ方向をむいていたので、「あぁ、何か撮影してるんだ」を思って上をみると何もなし。後ろを振り返ってみると虹が半円形の孤を描いて山々にまたがっていました。
携帯電話を上下左右に動かしていたのは、虹が大きすぎて写真に収まらないからでした。
|
|
|
|
|
|
「本朝寺塔記」のツリー構成を再編成しました。
まずは「京都十刹」を付け加えただけですが、最終的にはあと4つほど小トピックスをつくって、すべてが何らかの小トピックスに入るようにしようかと思っています。
|
|
|
|
|
|
ニュースにて、昨日(12日)午前4時40分頃、府指定文化財の清凉寺仁王門に酒酔いの乗用車が突っ込んで損壊させたとの報道がありました。
というわけで、朝に見に行ってみると、仁王門自体は影響はなさそうですが、門扉が毀れていました。お寺の関係者か府の教育委員会の人かわかりませんが、損害調査をしているようです。
京都新聞によると、車が正面から仁王門に突っ込んで扉を壊し、境内をUターンして出て行ったというそうですが、門の前の階段も車で登って行ったのでしょうか。写真ではわかりづらいのですが、門のみ破壊されており、柱に正面衝突しなかったのは不幸中の幸いでしょう。
仁王門は棟札によると天明3〜4年(1783〜1784)に西野五兵衛・飛田治兵衛によって再建されたものです。2層目の背が高い上に大きいので不安定な印象を受けますが(車が突っ込んでも大丈夫だったみたいですが…)、和様・禅宗様を巧みに折衷させ、技術的に高度なものとされています。
|
|
|
|
|
|
実家のピアノが売られてしまったため、中古ピアノを見に行ってみたことを前日に記しましたが、姉・妹もピアノが弾けるのです。私が実家に滞在中、妹が自分の娘(私からみたら姪)にピアノを習わせたいといっていました。
妹「ピアノが弾けたら音感良くなって、歌うまくなるからねぇ〜」
私「私は弾けるけど歌下手だよ」
妹「…」
母「あんた、お姉ちゃんの歌聞いたことあるの!?」
妹「なんで?」
母「ひどいよ」
妹「…」
妹は今月の初め頃、妹が新居に引っ越したのですが、旦那さんがピアノを買いしぶっている上(まぁ普通に考えればジャマですからねぇ〜)、実家のピアノが売却されたので、妹も当分ピアノが弾けないようです。
|
|
|
|
|
|
実家のピアノが売却されてしまった話を前にしましたが(10月16日条)、実家とはいえ無くなると欲しくなるもので、夜に中古ピアノ屋さんに行ってみました。
国内メーカーは「YAMAHA」と「KAWAI」位しか知らなかったのですが、他の国内メーカーもなかなかよいものを造ってるんですねぇ〜。ちぃと弾いてみるとピアノ屋さんがそのメーカーについて熱く語りかけてきました。10万ほどで普通のピアノにも消音装置をつけられるそうです。
もう一軒ピアノ屋さんに行ってみましたが、150万円のアップライトには仰天させられました。値段だけあって音が良いものです。弾いてるとピアノが本当に欲しくなります。
置き場所?お金?
そんなものはありませんが…。(´;ω;`)
|
|
|
|
|
|
今日は日曜日ということもあって、近所の父娘がバトミントンをやっていました。娘さんは楽しそうですが、お父さんの方はへばっていて、かなりしんどそうです。家族サービスも大変ですねぇ〜。
日曜日といえば、朝にテレビで「プリキュア」をやっていますが、「プリキュア」といえば上司の娘さん達もプリキュアが大好きで、上司の家に行くたびにプリキュアのカードを自慢されます。10月13日に上司の家に泊らせて貰った朝(14日)にも、寝ている私のお腹の上に乗ってきて「プリキュア視よ〜」といいながら飛跳ねていたくらいでした。
そのプリキュアを視ている時ですが、CMになるたびに上司の顔が真っ青になっているのです。そのCMとは玩具メーカーのプリキュア関連グッツの宣伝なのですが、上司は娘さんの「あれ欲しい〜」攻撃に戦々兢々としているのです。奥さんは馴れたもので、「あんまり欲しいほしい言ってると、サンタさんが何あげていいか困るでしょ」と娘さん達を牽制するのです。
なるほど「サンタさん」にはそのような活用方があったんですねぇ〜!
また玩具のように、子どもが欲しがりながらも親はあまり買いたくないものの購入時期をクリスマスのみに一本化し、かつ「サンタさんに教えてあげなさい」と欲しいものを表明させた上で、それがはずれてしまった時には責任の所在をサンタさんに押しつけてしまうという意味では、クリスマスというの親にとっては便利な極めて巧妙なシステムといえるでしょう。
責任の所在を「サンタさん」に押しつけるという意味では「サンタさん」というのは子どものためにあるのではなく、子をもつ親御さんのためにあるのかもしれません。
サンタさん、何て偉大なのでしょう!
(↑何のこっちゃ)
|
|
|
|
|
|
管賀江留郎『戦前の少年犯罪』 (築地書館、2007年10月。294+33頁、2,100円)をアマゾンで購入しました。実家にいる時、新聞の広告をみて知った(最初はどっかの大学の先生が書いた研究書か何かだと思っていた)ので、京都に戻ってから注文・購入しました。
本書は戦前の少年犯罪が、現代に比べて如何に凶悪であったかを余すところ無く記しています。あまりの酷さに読んでいて絶句し、さらに読み進めると滑稽にすら感じられます。テレビなどの影響で「昔は少年犯罪が少なかった」と思っていたのですが、本書によってその既定観念を見事にひっくり返されただけではなく、戦前の少年教育をとりまく環境が我々が想像するよりもはるかに放任主義であったことを思い知らされました。
著者はウェブサイト「少年犯罪データベース」の主宰者で、同サイトの綿密な調査内容には驚かされますが、その綿密さ本書でも遺憾なく発揮されています。統計やグラフが必ずしも多くはないことは瑕瑾ではありますが、内容は平易で犯罪・トピックスごとに解説が付されており、読みやすいものとなっています。
|
|
|
|
|
|
京都府立総合資料館に行くため自転車を運転していると、大徳寺の西側にてイチョウの葉がまばゆいばかりの黄金色となっている情景が眼に映り、思わず自転車を停めて見入ってしまいました。
周囲にはカメラを構えた人が沢山いて、熱心にイチョウを撮影していました。三脚を用いたり、中腰でシャッターチャンスをうかがうような本格派ばかりで、雰囲気にのまれて私も何気なく撮影してみました。
その時は幻想的な写真が写っているに違いないと思っていたのですが、あとで写真を見てみると、幻想的な写真が撮れるに違いないという期待は見事に打ち砕かれ、道路・人・車などが一緒に写った生活臭あふれる写真となってしまいました。思ったようにはいかないものです。
|
|
|
|
|
|
ようやく京都に戻りました。
今回のフェリーでの船旅は時化(しけ)ることもなかったので、船酔いもせず無事に着きました。それでもやはり20時間というのは長いものです。
写真は越後沖に沈まんとする夕日。
青海原 風波なびき 行くさ来さ
つつむことなく 船は速けむ
(『万葉集』第4514番歌)
|
|
|
|
|
|
今日、北海道を離れて京都に戻るため、フェリーに乗りました。
来る時(15日)は時化(しけ)たので、帰る時の海が穏やかだといいのですが…。写真左は15日に来た時の船から撮影した海の写真。写真はまがっていますが、横揺れで船が傾斜しているからです。この直後に海は荒れたのです!
北海道ではカジカの肝あえ・ウニ・イクラ・筋子・カキ・アワビ・ホヤといった海の幸をたらふく食べました。たとえ実家でも北海道のものはおいしいですねぇ〜!
それに北海道滞在中は友人達との再会を楽しみました。とくに友人Rには様々な場所に連れて行って貰いました。ある時友人Rが深夜に「どこかいきたいとこある?」と聞いてきたので、私は冗談で「じゃあ支笏湖」というと、片道車で2時間の支笏湖に本当に連れて行かれました。暗いので何もみえませんでしたが…。
|
|
|
|
|
|
夜に友人Rの車で登別市港町1番地にある穴場の温泉、というよりは秘湯の「フンベ山温泉」に行ってきました。見てくれは戦後のバラックのようですが、内部は意外と整備されています。明かりがないのでお湯の色はわかりませんでしたが、なかなか気持ち良いものです。
海の上にそそり立つ絶壁上にあるのですが、そこに行くためには、徒歩でしか行くことのできない山の中を進まなくてはならず、しかも明かりは全くないので、夜に行くとほとんど肝試し状態となってしまいます。しかしながら闇夜の水平線に点在するイカ釣り漁船の灯火の美しい状景をみることができます。
入湯料無料ということもあり、秘湯でありながらも結構が来る人が多いのですが、この「フンベ山温泉」は地域の懇資によって支えられています。一応混浴らしいのですが、あまり広くないので2人くらいしか入れません。深夜に行ってみて先客がいたら怖いでしょうね。
|
|
|
|
|
|
(その6からの続き)
温泉に入って体が温まったので、友人Kの強い要望(強制?)のため、最後にアイスクリーム屋さんの「レークヒルファーム」(北海道虻田郡洞爺湖町花和127)に行き、340円のダブルアイスクリームを食べました。「Wクリーム」がまろやかな味わいでおいしいですよ。冬期でも17時まで営業しているそうです。
写真は「レークヒルファーム」付近の景色。周辺は牧場となっています。
|
|
|
|
|
|
(その5からの続き)
友人K推薦の穴場の温泉に行ってきました。洞爺湖温泉「憩いの湯」です。建物の外観は「昭和40〜50年代に建てられた公共建造物」(友人K談)のようであまり美しくないのですが、浴場からみる洞爺湖は絶景です。しかも入場料は390円。安い!
写真は付近の道路から撮影した洞爺湖。
|
|
|
|
|
|
(その4からの続き)
洞爺湖畔は来年の洞爺湖サミット開催に備えて盛んに工事を行っているようです。
私が生まれる前から放置され「出る」ホテル跡として有名だった通称「マザーホテル」も、サミット開催にともない、景観を損なう恐れがあることから解体されることになったそうです。
写真は通称「マザーホテル」。
|
|
|
|
|
|
(その3からの続き)
有珠山の噴火の痕跡をみてまわったので、洞爺湖ビジターセンター・火山科学館に行ってきました。入場料は600円。
洞爺湖ビジターセンター・火山科学館の裏手には噴火によって放棄されゴーストタウンとなった町が災害遺構として保存されています。写真は金毘羅火口災害遺構で、左は公衆浴場跡、右はアパート跡です。
|
|
|
|
|
|
(その2からの続き)
有珠山が平成12年(2000)3月に噴火した時、高低差150mの下り道だった国道270号線は逆に70mも盛り上がってしまい、また道路の手前も水がたまって沼になってしまいました。
写真でみえる沼は凍っており、道路の痕跡はみえませんが、上の標識が、そこがかつて道路であったことを示しています。また登り道のようにみえる奧の道路も、噴火前は下り道だったのです。盛り上った道路の向こう側には灰色の噴煙がみえます。
|
|
|
|
|
|
(その1からの続き)
次に洞爺湖畔に向かいました。すっかり冬景色でしたが、平成12年(2000)3月の有珠山噴火の爪痕は今も色濃く残っています。現在は冬季閉鎖中で中には入れませんが、展望台から噴火の跡をみることができます。
写真は西山火口の噴火口。前の雪が積もった部分と、地熱で雪が溶けて地肌がみえ、倒れた樹木が焦げているのがみえます。
|
|
|
|
|
|
友人R・友人K・私の三人で、伊達・洞爺湖へのドライブに行ってきました。運転は友人Rがしました。
まず最初に行ったのが伊達市善光寺。「蝦夷三官寺」の一つで、北海道における近世社寺建築の数少ない一例として有名です。春の桜の名勝として有名だそうですが(→帰ってきて母から聞いた)、冬の善光寺も、茅葺き屋根に冬化粧したところが、さりげない美しさをたたえてます。
そぉいえば、「牛にひかれて善光寺参り」という、偶然よい方に導かれるという意味で用いられる長野の善光寺に因んだことわざがありますが、私は昔、長野の善光寺を知らず、伊達の善光寺だと思いこんでいたので、「牛で津軽海峡は渡れないんじゃないの?」と勝手に想像して、このことわざを「不可能な物事をいうたとえ」だと思いこんでいました。おバカですねぇ〜。
|
|
|
|
|
|
高校時代の友人6人で焼鳥屋「一平 若草店」(登別市若草町2丁目1-7。0143-86-4488)にて呑みました。
高校卒業以来会っていなかった友人もいたので、一瞬誰だかわからなかった人もいました。ふと歳月の残酷さを感じましたが、会ってしまうと年月をへても全員ほとんど昔と変わっていないかのようで、しゃべっているとまるで高校を卒業した翌日に再会したかのようでした。
|
|
|
|
|
|
最高気温がマイナス2.5度!!
寒くて寝られません。
あまりに寒いので眠るのを諦めて、ストーブで暖まろうとすると、猫のかげまるくんがストーブの横でお腹を上にして爆睡中でした。
最近かげまるくんも姪に主役の座を奪われて、実家ではやや影が薄くなってしまいました。しかも姪にお腹をむんずと捕まれたり、尻尾を踏まれたりと受難に遭っているとのこと。そのストレスのためか、かげまる君に十円ハゲができてしまったそうです。一応治癒したみたいですが…。
写真は姪から隠れるためテーブルの下に身を潜めるかげまるくん。
|
|
|
|
|
|
隣町に住んでいる妹が姪を連れて実家に遊びに来ました。
先週も来ていたのですが、妹に「知らない人が近付くと泣くよ」と脅されたので、近寄らないようおっかなびっくりしていましたが、今日はもう慣れたようです。まだ1歳児なので、遊ぶといえば物を人に手渡したり、ウレタンの棒を持ってはしゃいだりするくらいなのですが、なぜか私には頭突きをするのが好きなようです。走り回ったり踊ったりしているので、写真を撮ろうとしてもブレてなかなか撮れません。
写真はNHK教育「いないいないばぁー」を視ながら躍る姪。
|
|
|
|
|
|
ピアノがないので、実家ではピアノを弾くことができません。仕方がないので、ブラームスのインテルメッツォ(間奏曲)作品118-2の楽譜(井口基成編『ブラームス集2』〈春秋社、1951年1月初版、2007年8月第51版。2,100円〉)をみてました。
この曲は演奏時間はわずか5分程度の小曲ですが、ブラームスの作曲技巧を示す上で有名です。最初に出てくる動機は、31小節で対位法となり、35小節で転回。中央部で嬰ヘ短調になってから出てくる動機(50〜51小節)は、そこではカノンとなり、嬰ヘ長調へ転調してからも再度カノン、嬰ヘ長調に戻ってからも出てくるのです。
みていて気づいたのですが、中央部の動機が嬰ヘ短調に入る前の第2主題が戻ってくるところで、右手の低声部に一部現れる(39〜43小節)ようです。次の動機がさりげなく出てくるあたり、さすがブラームスと思った次第です。
ブラームスのインテルメッツォ(間奏曲)作品118-2は、ブラームスが作曲の筆を絶ち、遺書を書き、遺品を整理してから書かれた曲です。
ブラームス晩年の作品は珠玉の名品ばかりで、技巧的のみならず、孤独・寂寥・諦観に満ち情感的でとても美しく、晩年のブラームスの心情を代弁しているかのようです。ブラームスは生涯独身でしたが、友人は決して少ないというわけではありませんでした。しかし晩年になると友人が次々と死んでいき、孤独になっていきます。さらに若い頃から思慕していたクララ・シューマンが亡くなった翌年、あとを追うかのように没しています。
このインテルメッツォ(間奏曲)作品118-2もそのような背景で書かれた曲です。曲の中央部を挟んで第一主題に戻ってからの部分は、ほとんど前半部と同じであるにもかかわらず、過ぎ去った日々の思い出のように聞こえ、弾いていて涙が出てきます。
それにしても素晴らしい曲です。
|
|
|
|
|
|
昼食時、お食事処「あおば」での味噌ラーメンを食べました。
このお食事処「あおば」(0143-88-0760)は登別市青葉町1-19にある料理屋さんで、道道782号線沿に位置しています。塩・醤油ラーメン550円、味噌ラーメン600円。ほか定食など多数のメニューをそろえています。とくにしょうが焼き定食が人気だそうです。定休日は火曜日。
|
|
|
|
|
|
姉が札幌から深夜実家に車でやってきたのですが、帰ってくると母には言っていたものの深夜に帰ってきたため、家の人は誰も姉が帰ってきたことに気づきませんでした。
朝、母の絶叫する声に呼ばれて家の前に行ってみると、姉の車の前タイヤとバンパーがない!
高速道路の路面が凍っていてスリップしたようです。そぉいえば私も友人の車に乗っていた時、友人の車が氷でスリップして一回転してたっけ…。
車は大破していますが、姉は奇跡的に無傷でした。
「シートベルトはしとくもんだねぇ」というのは姉の弁。
JAFが大破した姉の車を運んできたようですが、姉は自損事故を起こしたにもかかわらず、何事もなかったかのようにそのまま家で爆睡してました。ちなみに前タイヤはお巡りさんが懸命に探していたようですが、見つからなかったそうです。
|
|
|
|
|
|
登別も15日には初雪が降っており、私も津軽海峡を通過するフェリー上で初雪をみました。
ここ数日にわたって再三雪が降ったので、あと少しで一面雪景色になりそうです。
写真は雪が降り続く幌別牧場。
|
|
|
|
|
|
登別市の実家に帰ってみました。
家に帰って一番びっくりしたこと
「ピアノがない〜」
実家にいる期間を利用してベートーヴェンのソナタかブラームスのインテルメッツォを弾こうかと考えていたのですが、ないのでピアノに触れることすらできません。
孫(私からみると姪)が遊んでいて危ないから母があっさりと売却してしまったようです。
ピアノは大学に入るため京都に遷るまで、手持ちぶさたになるとピアノの前に座って何か弾いていました。私にとって、もはや甘酸っぱいものとなってしまった思春期の思い出が実家のピアノに篭もっていたといっても過言ではなく、実家のピアノがなくなったことによって、もはや不可逆となってしまった過去の想い出を懐かしむ依代(よりしろ)を失ってしまったような気がしてなりません。
写真はかつてピアノがあった場所。今ではかげまるくんのトイレがあるだけで、何やら寂しくなったような気がするのは私だけでしょうか?
|
|
|
|
|
|
フェリーで舞鶴・苫小牧間の航海はおおよそ20時間かかるのですが、暇なこと暇なこと!
あまりに暇なので
ビール。(゜∀゜)日゛
↓
寝る○o。(-。-,,)~"
↓
ビール。(゜∀゜)日゛
↓
寝る○o。(-。-,,)~"
の繰り返しです。それではダメ人間街道まっしぐらなので、船内映画上映時間には心機一転映画をみてましたが、途中で時化(しけ)て、ローリング(横揺れ)がひどいこと。それでも意地になって視ていると、今度は船酔いにかかってしまいました。
夜8時頃に苫小牧東港に到着しました。本来だったら送迎バスが苫小牧東港まで来て、苫小牧駅まで乗客を運ぶはずなのですが、苫小牧駅まで行く乗客が2人しか乗っていなかったので、バスではなくてタクシーでした。でも料金はバスと同じ700円。賃走だと5,800円かかるんですが、タクシーのおじさんの話によると、不足分はフェリー会社によって補われるようです。
写真はフェリーの2等船室。私だけの独り占めでした。
|
|
|
|
|
|
北海道の実家に行くため、敦賀港からフェリーに乗って北海道に行きました。
飛行機だと25,000円以上かかるのでなかなか帰省は出来ません。電車は京都から函館までしか行ったことなのですが、それでも20,000円近くかかったと記憶しています。
しかしフェリーだと舞鶴・苫小牧間で8,800円なんですねぇ〜。安い!
|
|
|
|
|
|
音楽之友社から刊行された『最新名曲解説全集』は、収録曲が多く、小品も掲載されているので、何か小曲について概略的に知りたいときには、この本をみると便利なのです。そのため私も何度も図書館から借りては読んでいたのですが、頻繁にみるので大作曲家だけ再編集した『作曲家別名曲解説ライブラリー ブラームス』(音楽之友社、1993年6月初版。484頁。4,800円)を購入してみました。
同書の「まえがき」に「解説は「全集」版を基本としているが、執筆者各位に加筆訂正を願い、」とあるので、『作曲家別名曲解説ライブラリー ブラームス』の方が『最新名曲解説全集』より解説が丁寧になっているのかなぁ〜、と思っていたのですが、小曲ではむしろ減っている傾向にあるようです。例えば作品118-2は『最新名曲解説全集』版では譜例が5つあるのに、『作曲家別名曲解説ライブラリー』では1つ。解説は前者は12〜13行なのに対して、後者は8行といった具合です。
この違いは前者がお父さんが、後者がその娘さんが書いているからのようです。譜例は少ないのは残念ですが、後者の方が文章に重複がなくすっきりしている場合があり、また作品117-2のように全く別稿というべきものもあるので、良し悪しは一概にはいえないようです…。
|
|
|
|
|
|
半月ぶりに更新しました。
更新が遅れたのは、かなり忙しいだとか、精神的に参っているだとか、パソコンがクラッシュしたとかというわけではなく、単なる私の怠惰のためです。
|
|
|
|
|
|
奈良国立博物館の特別展「第五十九回正倉院展」に行ってきました。
国立博物館は特別展に限って毎週金曜日は夜7時まで夜間拝観可能なので、人がいないだろうと高を括って行ってみたのですが、その予想は大ハズレ!
平日夕方なのに入館5分待を喰らわされてしまいました。
かつて大阪市立美術館の特別展「円山応挙展」(2003年)でえらく待たされたことがあったので、展覧会の混雑具合には細心の注意を払ってきたつもりだったのですが、油断しました。
しかし過去の正倉院展でこんなに混雑していたことはなかったと思うのですが…。周りにいた老夫婦が「正倉院展でこんなに人が多いのははじめてやなぁ〜」といったくらいですし…。
|
|
|
|
|
|
NHKの近畿地方のニュースを視ていたら驚きのニュースが…。
新潟県妙高市下町にある新井別院の鐘が260年ぶりに本堂へというニュース。最初は妙満寺にある道成寺の鐘みたいに、どこかに移されていた鐘が親睦イベントで戻ってきたというニュースだと思っていたのですが、江戸時代中期に水害で流されて行方不明になっていた鐘が、寺から約400メートル離れた工事現場より発見されて戻ったというものでした。
発掘調査ではなく、工事現場からたまたま見つかったというのも驚きですが、新井別院に伝わっていた「鐘が水害で流失した」という口伝と合致した(発見された鐘には銘があったそうな)というのもさらに驚かされました。
近世につくられた鐘だそうですが、もし流されてなかったら戦時中に供出されていたのかもしれません。
|
|
|
|
|
|
大谷大学博物館の特別展「法隆寺一切経と聖徳太子信仰」に行ってきました。
宣伝がそれほど広範囲になされていないので、あまり知られていない展覧会かもしれませんが、大谷大学の所蔵品だけではなく、他機関・寺院から借り出して行なっているという点で、大学博物館の展覧会にしては気合が入っているようです。でも拝観料を500円もとるんですよねぇ〜。
展覧会のタイトルが「法隆寺一切経と聖徳太子信仰」といいながら、実際には「法隆寺一切経展(客よせで聖徳太子信仰も)」みたいな感じで、一応絵画作品も数点出ているのですが、「法隆寺一切経」というだけあって、出品の大半は経典、しかも経録(開元釈教録・貞元録・大唐内典録)が多いという、とんでもなくマニアックな展覧会となっています。かつて京都国立博物館で行なわれた「古写経展」に切迫しているかもしれません。
|
|
|
|
|
|
タイトルで買ってしまった…。
ロバート・ダーントン著/海保眞夫・鷲見洋一訳『猫の大虐殺』(岩波現代文庫、2007年10月。1,200円)です。18世紀フランス社会史の本ですが、すんごいタイトルです。
内容は、民話が各国の社会状況を反映しているという「農民は民話をとおして告げ口する」、製本労働者が猫の大虐殺という儀式を通じて階層諷刺を行なったという「労働者の叛乱」、危険思想の把握のためある警部がフランス中の作家の身上書類を整理して把握するという「作家の身上書類を整理する一警部」、フランス西部の商人ランソンの購入書籍を身上書類からみた上で、ルソーが『新エロイーズ』で牽引した読書革命について論じた「読者がルソーに応える」の4篇が収録されています。
内容の濃い本ですが、結構読みやすく、また読者を引き込んでいく独特の魅力があります。とくに「読者がルソーに応える」の中で紳士淑女達が『新エロイーズ』を読んで号泣する描写は笑えます。
|
|
|
|
|
|
京都国立博物館の特別展「狩野永徳」展に行ってきました。京都国立博物館は特別展のみ金曜日に夜間拝観ができるのです。
この日は平日で、しかも昼にすごい雨だったにもかかわらず、人が多かったのです。土・日曜日など人の混雑が予想される日に用いるためなのか、入場待ちの立看板が用意してありました。
狩野永徳といえば社会科や歴史の教科書にも書いてあるくらいですからかなり有名なのですが、その知名度のわりには実態が世間に認知されていない絵師のようです。そのようなこともあってか周囲の人も「狩野永徳って教科書に書いてあるけどよぉ知らんから、とりあえず来てみたわぁ〜」という会話が聞こえてきたのですが、今回の展覧会に来ている人はそんな人が多いのかもしれません(→私もその一人)。でも永徳より常設で出ていた狩野元信とかの方がうまいと思うのは私だけでしょうか?
ところで私のパソコンの壁紙を永徳「松図」にしてみました。これで私のパソコンも「怪々奇々」?
|
|
|
|
|
|
夜、突然天井の方から「バキバキ」と音がしたので、おどろいて上も見ずにあわてて横に退避しました。退避したとたん、電灯の蓋が落下してきました。何故突然落下してきたのか原因はわかりません。
怪我はありませんでした。まぁプラスチック(か樹脂)製なので、直撃してもたいした被害にはならないのですが…。
写真は落っこちてきた蓋を片方だけつけた状態。
|
|
|
|
|
|
京都コンサートホールでの「京都府立医科大学交響楽団 第83回定期演奏会」に行ってきました。
実は19日の「大阪センチュリー交響楽団 京都特別演奏会」にてブラームス交響曲第4番が演奏されるので、本当はそちらに行こうと思っていたのですが、19日に呑んでしまいましたし、京都府立医科大学交響楽団の定期公演にほぼ毎年行っている(去年は行き忘れた)ので、こちらに行くことにしたのです。
指揮者は井村誠貴さん。演奏曲目はベートーヴェンのバレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲、シューベルトの「アルフォンソとエストレッラ」序曲、ラフマニノフの交響曲第2番でした。今回の演奏曲目はほとんど聴いたことがない曲ばかりで、とくにシューベルトの「アルフォンソとエストレッラ」序曲にいたっては、「シューベルトってオペラ書いてたの!」と驚いたくらいでした。(-Д-;)
ラフマニノフの交響曲第2番は第2楽章がドラマの挿入曲になっていたことがありましたが、大失敗で有名な第1番、演奏機会の多い第3番と比べればやっぱりマイナー曲となってしまうのでないでしょうか?
こんなにマニアックな曲目なのに結構観客が多くて驚きました。昔はこんなにいたのかなぁと思ったくらいです。やっぱり「のだめ効果」なのでしょうか?
|
|
|
|
|
|
前のプチ出張の続きで、今日も美山町に行って来ました。写真左は南丹市役所美山支所。
夜は上司・同僚の3人で呑みとなりました。まず園部町の「喜楽」で一次会。京都市内の木屋町周辺で二次会・三次会でした。
三次会が終わった後、3人で木屋町のとあるラーメン屋さんに入ったのですが、京都のラーメンにしてはあっさりしていて、酔っぱらっている私にはとてもおいしく感じたのですが、トッピングのチャーシューがやはり酔っているせいなのかあまりおいしいとは感じられず、「ラーメンはおいしいのになぁ〜」と残念に思いました。
そのため帰りのタクシーで運ちゃんに京都市内のラーメン屋さんはどこがおいしいのか聞いてみたのですが、やっぱり運ちゃんだけあって、定番の場所からマイナーな店、果てはチェーン店でもどこがおいしいのか詳しく教えてくれました。3人ともしきりに感心していたのですが、このうち何人が教えて貰ったラーメン屋さんを朝まで覚えているでしょうか?
私は忘れてしまいましたが…。(・3・)〜♪
|
|
|
|
|
|
ところで時間的に前後するのですが、摩気神社神幸祭の夜のお祭りから、日が明けてお祭りが再開されるまで時間があったので、南丹市日吉町の祭礼行事である「多治神社のかっこすり」を見てきました。
このお祭りは京都府指定無形民俗文化財となっている民俗芸能で、お稚児さんの周囲を「かっこ」と呼ばれる太鼓を持った人が笛や太鼓の音楽にあわせて踊り回るというものになっています。
多治神社を出発して、小多治神社やお旅所など周辺地域をめぐるのですが、終始厳格な祭儀を行なっていた摩気神社神幸祭とは異なって、にぎやかで華やいだお祭りとなっています。写真は小多治神社でのかっこすり。
私は12日が徹夜明けだった上、13日は深夜のお祭りのため徹夜。14日は日吉町にて「多治神社のかっこすり」をみたあと、園部町に戻って摩気神社の神幸祭を見物し、終了したのが17時半だったのでとても疲れました。
|
|
|
|
|
|
(その1からの続き)
日が明けて、14時45分からお祭りがお旅所で再開されます。まず神事が執り行われ、15時半から「お千度まいり」が行なわれ、お旅所の周囲をぐるぐると廻ります。この時人が牛の姿になって一緒に廻るのですが、見物していた子どもがとても怖がってました。
15時40分から仁江・船阪地区の流鏑馬が行なわれます。お稚児さんが軽トラック(馬に見立てている)から降りてお祓いをした後、木馬に乗り、的持ちが持つ的を弓で2度づつ射るのです。仁江・船阪両地区のお稚児さんは見事2度とも的を射ることに成功し、周囲から大きな喝采を浴びていました。写真左は船阪地区のお稚児さんが弓を射ようとするところ。
16時半にお旅所での神事が終了して、お神輿は行列を組んで摩気神社に向って巡行し、17時半に摩気神社に到着してお祭りは終了するのです。
|
|
|
|
|
|
(10月13日からの続き)
夜の2時からお旅所でお祭りは再開されます。まず神事が行なわれた後、2時半から沙汰人と竹井・半田地区の代表が「練(ね)り」という土俵でのドジョウすくいを行ないます。この時周囲の人が「そこにもおるでぇ〜」と囃し立て、厳粛な祭りが一瞬にぎやかなものとなります。
その後に船阪・仁江・竹井・宍人・大西地区の代表が角力(すもう)を行なうのですが、この時は片方がわざと負けるしきたりとなっており、沙汰人が「○○待角力(まちずもう)、○○出角力(でずもう)」と勝敗を指定します。
途中「船阪半角力(はんずもう)」が行なわれます(写真左)。これは一人相撲で、神様と闘っていると想定して、大げさにわざと負けます。
1時間ほどの行事でしたが、この日の気温は12度でかなり冷え込み、とても寒かったのです。角力する人達はふんどし一丁だったので、大変だったと思います。
(その2へ続く)
|
|
|
|
|
|
昨日夜に突然見物のお誘いの電話があったので、南丹市園部町竹井に鎮座する摩気神社の神幸祭に行ってきました。摩気神社は式内社の一つで、少なくとも奈良時代から存在したお宮だそうです。
その摩気神社の神幸祭は、お神輿がお旅所まで移動して、お旅所で神事を行なうという祭りなのですが、2日間にわたって行なわれる上に、多くの地域が参加するという規模の大きいお祭りです。かつては11ヶ村も参加したといいます。
10時から神事がはじまり、14時にお神輿が摩気神社を出て近隣の村々を巡行します(写真は摩気神社を出発するお神輿)。途中、蛭子神社にて立ち寄り、蛭子神社のミタマをお神輿に遷し、16時にお旅所に到着します。ここで一旦解散となります。
(10月14日その1に続く)
|
|
|
|
|
|
兵庫県篠山市に行ってきました。徹夜明けでちとしんどかったのですが…。
写真は国指定天然記念物となっている磯宮八幡神社の裸榧(はだかかや)。
|
|
|
|
|
|
私が大学時代所属した部活には、試合運営のため各大学の代表が集まる連盟がありました。私はそこの幹事だったのですが、私の代の幹事長Nが上洛することとなったので、昨日7日にその代の幹事を集めて呑み会となりました。
京都市中京区河原町通四条上ル一筋目東入ルのミュンヘン(写真左。075-221-3917)にて呑み会となったのですが、前々日まで幹事長Nより「○○が参戦!」というメールが続々と到着しており、「参戦って、今回の呑み会はいくさかい!?」と戦慄したものです。
参加者のなかには大学を卒業して以来会った人も多く、また我々の次代の幹事長と事務局長も参加しましたので、思い出話に花が咲きました。友人Yは仕事の都合で来られなかったのですが、幹事長Nは友人Y達と「前夜祭」をしていたようです。
|
|
|
|
|
|
夜が寒くなってきました。季節はようやく秋らしくなってきたようです。
私は体調を崩してしまいましたが…。
|
|
|
|
|
|
日本の古本屋を通して、黒川真頼著/前田泰次校訂『増訂工芸志料(東洋文庫254)』(平凡社、1974年6月。396頁)を購入しました。『工芸志料』は明治11年(1878)に黒川真頼(1828〜1906)が著した日本における最初の総体的な工芸史です。明治11年(1878)にフランス万国博覧会が開催され、日本も参加することになっていたのですが、本書の出版は博覧会の参加にあたって日本の工芸の歴史を内外に知らしめることを目的としていたようです。記述は項目ごとに分類され、出典は明示されていないものの『古事記』『日本書紀』といった伝承を含む史料も用いられています。
この本は郵送で届いたのですが、何も考えずに真ん中から包紙を破いて本を取り出しました。しばらくして包紙をみていると、一面に記念切手が大量に貼られていたのです。(・°∇°)
まさか記念切手が貼られているとは思わなかったので破いてしまいましたが、今度からは注意深く取り出すことにしましょう。
|
|
|
|
|
|
「だいあり〜」を上半期と下半期に分割しました。
画像が重いからです。
|
|
|
|
|
|
午前中に京都府立総合資料館に行って来ましたが、2F展示室で「第22回 国宝東寺百合文書展」を開催していました。
入場料は無料で、開催期間は9月29日(土)から10月28日(日)までとなっています。
さすがは東寺百合文書だけあって、展示内容も多彩なものですが、案文が多いのがちょっと気になったところです。正文は東寺文書(成巻)になっているのですから、東寺百合文書の方は案文が多いのは当然ではあるのですが…。あと歴代天皇の綸旨案が掛幅装となっていました。掛幅装した時期はわかりませんが、正文ならともかくとして案文が掛幅装にされているのをみると、「そこまでするほどのものなのかなぁ〜」と思ってしまいます。保護にはいいのかもしれませんが…。
まぁ文書なので、きれいなものをみたい人には全く無関係な展覧会ですが、なかなか面白い展覧会です。
|
|
|
|
|
|
休日でしたが、所用のため羽曳野市の四天王寺国際仏教大学図書館に行って来ました。恩頼堂文庫研究会編『四天王寺国際仏教大学所蔵恩頼堂文庫分類目録』(四天王寺国際仏教大学図書館、2003年3月、非売品)をいただきました。
この四天王寺国際仏教大学は四月から「四天王寺大学」と名称を変更するそうです。HPでは気がはやいのかもう変ってましたが…。
それにしても京都からだと四天王寺国際仏教大学までは遠いものですね。大学時代(一回生)に部活の試合で行ったことはあったのですが、こんなに遠かった記憶はありませんでした。( -。-) =3
|
|
|
|
|
|
南丹市園部町上本町南の寿司割鮮「うを亀 本店」(0771-62-4428)に上司・同僚の三人で行ってきました。
上司は当初食事だけにするつもりだったようですが、何だかんだいって、結局呑んでしまいました。会話は共通の知人Wさん(私の先輩にあたるのです)が結婚することについての邪推、じゃなくて祝福についての話題で盛り上がりました。
二次会は上司宅で缶ビールでした。(゜∀゜)日゛
|
|
|
|
|
|
私は小さい頃、絵を描くのがとても好きだったのですが、悲しいかな、好きと才能は別物なのか全く上達しませんでした。
昔、法事か何かの時、親戚一同が集まっている中で、酔っぱらった母が叔父(母の兄)にむかって大声で、「ウチの子(私)は天才だ!」といっていました。
叔父がどういうところが天才なのか聞いたので、母いわく、
「毎日のように絵を描いているのに、これでもかという位に下手クソだ!」
これを聞いた私は赤面して二度と絵を描かなくなったとさ。(→実話)
ところで、その話を昨年度に同僚に話したところ、「じゃあ描いてみて」といわれたので、窓からみえるイヌをモデルに描いてみたのが左。
「イラストにしてはマシじゃない」といわれたのですが、イラスト風や漫画風に描いたつもりは全くなく、あくまで写実的に描いたつもりだったのですが…。(´・ω・`)ショボーン
(↑脚に筋肉とかも一応あるし…)
|
|
|
|
|
|
またまた美山町へプチ出張でした。お昼休み頃に重要文化財石田家住宅に行って来ました。
民家としては室町時代に溯る箱木家住宅(兵庫県神戸市)や古井家住宅(兵庫県姫路市)の方が古いのですが、立看板によると慶安3年(1650)の墨書があり、建築年代がの明らかな民家としては現存最古なのだそうです(→広島県尾道市の吉原家住宅は寛永12年(1635)建築でこちらの方が古い)。土・日曜日は住宅内部が見学できるそうなのですが、平日である今日は見学ができませんでした。
石田家住宅は同じ美山町内で茅葺き民家で有名な美山北区とは逆方向にあります。それと、この石田家住宅は、写真を撮るのが難しく、ひきが足りないので全体が撮れず、かといって後ろにさがってみると、今度は屋根しか写らないのです。
そぉいえば、日本では寺院建築は古いものが多くありますが、民家は古いもの残っていることが少ないですね。韓国では寺院建築は古いものは日本ほど残っているわけではないのに、民家は普通に15世紀の、しかも建築の規模が大きいものがあったりするので驚かされます。
|
|
|
|
|
|
夜、上司と一緒に、南丹市園部町美園町7-2にある居酒屋「喜楽」(0771-63-5277)に行ってきました。若干所在地がわかりにくいところにありますが、園部美園交差点のすぐNTT前がその場所です。
名物はすじ煮ですが、だし巻も好評です。物知りのおっちゃん(自称)とやさしいおばちゃん(自称)のお店です。
|
|
|
|
|
|
プチ出張で南丹市美山町へ行って来ました。
美山町は丹波の山深いところにある山村で、かやぶき民家が現在でも多く残っていることで有名です。
写真左は美山町における山村の様子。霧が深いながらも、のどかな日本の原風景が示されているようです。
|
|
|
|
|
|
|
|
昨晩、友人Yが上洛してきたので、友人Nと三人で呑みました。
7時頃に烏丸四条で待ち合わせして、京都市下京区綾小路高倉西入ルの居酒屋「味どころ しん」(075-351-5547)に行ったのですが、「しん」は友人Nのなじみの店で、この三人が集まると「しん」に行くことが多いのです。「しん」は魚料理が中心で、しかも鮮度・質ともによく、日本酒も地酒中心となっています。
三人で呑むのは2月20日以来6ヶ月ぶりだったこともあり、話が盛り上がって、そのまま二次会へという流れになりました。
|
|
|
|
|
|
奈良国立博物館の特別展「美麗-院政期の絵画-」を観に行ってきました。この展覧会は9月1日(土)から9月30日(日)までの期間に開催していますが、開期期間のうち本日17日までは前期、19日からは後期と、分けて展示替えを行なっているようです。前期展示には私の好きな「応徳涅槃図」が出ているので、前期展示の期限ぎりぎりの今日に観に行ってきたのです。
展覧会場では院政期の絵画が惜しげもなく展示されています。院政期の仏教絵画がこれだけ一同に出そろうのは、京都国立博物館で1998年に開催された「王朝の仏画と儀礼」展以来のことかもしれません。ということは、あと10年は同様の展覧会は行なわれないの可能性があるのです。入場料は大人1,000円、図録は1,500円と、大規模展覧会の割には安価なのもなかなかあることではありません。
展示作品が多いのと、院政期仏画の特徴である精緻な切金模様を食い入るように観たので、非常に疲労感を覚えましたが、嬉しい悲鳴というべきなのかもしれません。美麗の絵画もさることながら、多くの線描画が出ていたことも喜ばしいものです。
後期展示でも松尾寺の普賢延命菩薩像・金棺釈迦図などなど、見逃せない作品がずらりと展示されるので、後期も行こうかどうか迷っているところです。(〃^∇^)ノ
|
|
|
|
|
|
昨日お知り合いから『園部城跡第3次発掘調査報告書』(南丹市教育委員会、2006年)を頂きました。
夜に上司・同僚の3人で呑みました。私も上司も二日酔いが残っていたのですが、同僚が数えたところによると、2人でビール18杯呑んでいたそうです(同僚は5杯)。
その後上司宅で缶ビールを買って呑んでいましたが、またまた二日酔いになってしまいました。
|
|
|
|
|
|
南丹市日吉町にF氏(推定50代後半)というおっちゃんがいます。
この人は郷土を愛するあまり、郷土日吉町を自虐ネタ使ってしまう人なのです。
ある時、丹波周辺の花火大会の話になった時、F氏は「日吉町の花火大会は2発しかあがらへんのや!」といっていたので、私は「日吉町の花火大会は2発しかあがらないのかぁ〜」と思っていましたが、日吉町の花火大会を観に行った人に聞いてみると真っ赤な大ウソで、「2発しかあがらないわけないでしょ〜」といわれていました。F氏にからかわれてしまったようです。
だまされた〜!
あとF氏は家の話をしている時にこんなことをいってました。
F氏「○○ホームてえぇでぇ〜」
私「そうなんですか?」
F氏「耐震性が抜群なんや」
私「すごいですね〜」
F氏「僕の家もそうなんや」
私「じゃあ地震がきても安全なんですね」
F氏「でも僕の家、ガケの真上にあるんや」
今度こそ本当でしょうか?
|
|
|
|
|
|
プチ出張で木津市に行ってきました。
時間があまり、日がまだ暮れていなかったので笠置寺に参詣しました。
ハイキングロードがあり、通常でしたら徒歩30〜40分でまわれるのですが、時間がなかったので走ってハイキングロードを廻りました。そのおかげで10分ほどで廻れましたが、アップダウンが激しいので体力的にしんどかったです。
写真左はハイキングロードの弥勒菩薩磨崖仏跡。
某アニメ映画の◎神兵みたいですね。( ・O・)
|
|
|
|
|
|
大学時代に住んでいたアパートを通りかかりましたが、アパートが取り壊されていました。
噫鳴、すぎし我が青春の日々よ!
(↑なんちゃって)
|
|
|
|
|
|
アフガニスタンでの韓国人人質解放のニュースが流れていたので、韓国の反応をみようと朝鮮日報の電子板をみてみると、「北朝鮮の博物館が国宝級文化財を処分(上)」という記事が。
それによると、平壌の朝鮮中央歴史博物館が彩篋を日本の放送関係者に70万ドル(約810万円)で売却してほしいと依頼していたとのこと。
同HPに彩篋について「1931年に朝鮮古跡研究会が平壌で発掘した彩篋塚(3世紀ごろ)から出土したものだ。精巧に編んだ竹の上に絵を描いた宝物箱で」と説明しており、どっかで聞いたような作品だなぁ〜と思ったら、これ。有名な竹細工なのです。
売却を持ちかけた理由がこれまたふるっているのですが、副館長が「貴重ではあるが、中国の漢代の遺物なので私たちには保存する意味がない」といっているそうです。3世紀の竹細工を売却なんて、凄い話です。もしかしたら副館長の個人的な横流しとかなのかもしれませんが…。
|
|
|
|
|
|
滋賀県立近代美術館で企画展「慈覚大師円仁とその名宝」展を9月24日まで開催しています。
栃木県立博物館・東北歴史博物館との巡回展のようですが、あまり宣伝していないようで、かくいう私もこの展覧会の開催を駅のホームにある観光案内パンフレットのごく小さな記事で知ったものです。
円仁に関する著作・伝記で引用される作品のほとんどを集めたのではないか、というくらいに多くの作品が陳列されていました。とくに図録の網羅っぷりには感服しました。ただし園城寺の「感夢記」・青蓮院の「前唐院見在書目録」・『天台霞標』などの円仁を語る上では外せない資料の出陳はありませんでしたが…。
全体の感想としては、図録に載せられているにもかかわらず、実際に出陳されていない作品がかなり多かったのがとても不満でした。立石寺の「慈覚大師頭部像」がとってもみたかったのですが…。まぁ巡回展だとこうなってしまうのは目に見えていますし、京都国立博物館で一昨年前に開催していた特別展「最澄と天台の国宝」展とかぶっていたのもあったので、やむを得ない部分があったのかもしれませんけど。
ちなみに展覧会場で偶然にも大学時代の恩師とその学生一行と会ったので、仰天しました。
|
|
|
|
|
|
今日も天気は雨でしたが、昨日の朝は雷がドカンドカン鳴っていて、いい目覚め(?)になりました。
雷といえば平安時代、宮中で雷が鳴った場合、近衛府の人たちが弓矢を持って南階に陣を敷き、天皇を護持したといいます(『新儀式』巻第5、臨時下、雷鳴陣事)。弓矢のみならず楯や矛も持っていたという説もあり、ともすれば熱伝導率の高い矛を天にかざして並び立つさまは、まさに雷に向って「ここに落としてね」といっているようなものです。今でも宮中ではこのような儀式を行なっているのでしょうか? まさかねぇ。
そぉいえば、私が大学時代に住んでいたアパートに雷が直撃したことがあります。いつも聞いている「ド〜ン、ゴロゴロ」という音ではなく、「バーン」という乾いた轟音がしたので、ガス爆発かと思ったくらいでした。私が雷だと気付かなかったように、同じアパートに住んでいた友人Aは誰かが酔っぱらってドアを蹴った音だと思っていたようです。直撃したにも関わらず、人的被害はおろか、電化製品にも損害はありませんでした(ただし友人Sの固定電話は壊れてしまったようですが…)。
|
|
|
|
|
|
8月24日に牧山の火祭に行ってきました。その時にノートに祭礼を記録していたのですが、ノートを再度確認してみると、あまりにも私の字が汚くて読めません!
とくに写真左上の字はずいぶん考えてもわからなかったので、児玉幸多『くずし字解読辞典』(東京堂出版、1979年7月)を繙いてみました。すると「性」・「埋」字がこの字に近いようです。しかし「性」「埋」字をそこで書いた記憶がないので、周辺の記録を確認してみると、どうやら「境」字のようです。ちなみに「境」字のくずしは左字とは全く似ても似つかないもので、写真左下(児玉幸多『くずし字解読辞典』〈東京堂出版、1979年7月〉237頁より転載)が正しい「境」のくずし字なのです。
ところで世の中には悪筆が多くいるようで、ナポレオンは悪筆のあまり、彼の書いた文章を部下が地図と間違ったという話がありますが、悪筆の甚だしきはカーライルで、悪筆のあまり植字工が逃亡しただとか、自著『フランス革命史』の草稿を人に貸したところ、悪筆のあまり友人のメイドが『フランス革命史』を反古と間違って焼却処分にしてしまったというような、ものすんごい逸話の持ち主です。
悪筆の逸話といえば、『&M014266;書堂筆録』では『冷斎夜話』を引用して次の説話を載せています。
張丞相は草書が好きだった。ところがお世辞にも上手とは申しかねるので、当時の人々はみなあざけり笑っていた。けれども丞相は、いっこう平気なものだ。ある日のこと、丞相、ふっといい句を案じつかれ、さっそく筆を取ってさらさらと走り書きされたのが、例によってくねくねととぐろを巻いた竜蛇飛騰の図、紙一面に狭しとばかりに塗りたくられ、そうしてあとで甥に清書を命ぜられた。その甥こそとんだ迷惑、波の激しい個処へくると、ただもう茫然とするばかりで、どうにもこうにも手がつかぬ。とうとう丞相のところへ持っていって、
「この字は何という字でございましょうか」
と伺い立てた。すると丞相はややしばらくの間、と見こう見していられたが、さて、ご当人にも読めなんだ。挙句の果てに
「なぜもっと早く聞きにこないのだ。とうとう忘れてしもうたではないか」
と甥御を叱りつけられた云々。
(松波茂夫他訳『中国古典文学大系56 記録文学集』〈平凡社、1969年3月〉269頁)
まさに私は「張丞相」と同じく、自分で書いて判読できない人であったようですね。(;-o-)ノ
|
|
|
|
|
|
実家からなんと、かに∨(゜∀゜)∨が送られてきました!
さっそく実家に電話すると父が出ました。母がどこにいるか聞いてみると、
父「子供盆踊りの手伝いに行ってる」
私「ちゃ〜んこちゃ〜んこちゃんこ(音楽が流れるので注意)の?」
父「そう(笑)」
その日はいなかったので、後日、母に再度電話をかけてみると、
「たまには帰っておいで。クラシックが待ってるから〜」
とサッポロのクラシック(北海道限定ビール)で某発泡酒のCMの真似をしていました。
|
|
|
|
|
|
上司のお誘いで日吉町牧山の火祭りに行ってきました。
この火祭は毎年8月24日に南丹市日吉町中世木牧山の普門院にて行なわれる祭りで、高さ4mの大松明をはじめとして、5種類の松明に火をともす民俗行事です。地域の人の話によると、盂蘭盆会と愛宕信仰の二つの意味があるそうです。
19時45分から普門院の堂内にて読経が行なわれます。読経が終了するとともに男性3人が内陣に入り、本尊(観世音菩薩)厨子前の灯明から松明に火を移します。3人がそれぞれ火のついた松明をもって一緒に向拝まで降り、3人は向拝で松明を持って待ちかまえる6人の松明に火をうつし、それぞれが松明に火をともします(写真左)。
20時20分に護摩(この地域では「千度の箸」と称される)を千本配る「お千度」が行なわれ、20時55分に大松明を引き倒して祭りが終了します。
このお祭りは存続の危機にあるそうです。過疎化による深刻な後継者不足が原因なのです。この地域は60歳以下の人が少ないので、このままだと祭りはおろか牧山地域の生活自体がなくなっていまいます。
おじいさんが孫娘を抱きながら「お嫁に行っても牧山に帰ってくるんやでぇ」といっていましたが、本当に切実なものに聞こえました。
|
|
|
|
|
|
今日は諸葛武侯(諸葛亮)の命日だそうです。
諸葛亮を偲んで蜀に関係する『蜀碧』を読みました。
でも諸葛亮と『蜀碧』はほとんど関係ありません。!(゜◇゜)
『蜀碧』は蜀に侵入・支配した張献忠(1606〜46)の残虐行為について記されています。『蜀碧』は17世紀中国の明末清初の動乱の記録を集めた松枝茂夫訳『蜀碧・嘉定屠城紀略・揚州十日記』(平凡社東洋文庫、1965年2月。254頁)に収録されていますが、この本には揚州陥落(1645)後の清軍による揚州虐殺を揚州在住者の眼から記した『揚州十日記』が収録されています。
王秀楚『揚州十日記』は、揚州に住んでいた王秀楚が、揚州陥落時における清軍の凄惨な残虐行為を実際に体験した記録です。その中には逃げ隠れするも見つかって引き出され殺害される民衆、悲観・絶望して自殺しようとする王秀楚の妻、わずかな希望にたよって命乞いをしつつ殺害される兄など、わずか30頁ほどの文ですが、80万人が虐殺されたという揚州の凄惨な状況の描写は真に迫っており、以前読んだ『戦場のピアニスト』を髣髴とさせる本です。
|
|
|
|
|
|
先週何気なしに本屋に行った時、岩波文庫コーナーをみると坂口謹一郎『日本の酒』(岩波文庫、2007年8月)が新刊で出ていたので購入しました。他に何かないか探していると、絶版となった岩波文庫を無造作にカゴに入れた一角があり、その中に斉藤君子編訳『シベリア民話集』(岩波文庫、1988年12月)をみつけて購入しました。
シベリア民話なんて興味がなかったのですが、読んでみると以外に面白かったのです。
口承文芸は今までに南方系の民話を中心にいくつか読んだことはありましたが、ためになることはあっても、心から面白いと思ったことはありませんでした。今回北方系の民話を読んで面白いと思ったのは、私の出身が北海道であることと何か関係があるのかもしれません。さんさんとふりそそぐ太陽と海を連想するよりは、一面が真っ白で凍てつく寒さの大地の方がなれしたしんでいるのですから…。
他にこのようなものが日本語で読めないかと思っていると、『シベリア民話集』の編訳者による解説「シベリアの民話について」中に、かつて日本領であった南樺太の民族の伝承を集めたものとして、「南樺太から北海道に引揚げてきたウイルタ(オロッコ)から池上二良が民話を採録し、原文と対訳の形でまとめた『ウイルタ口頭文芸原文集』(北海道教育委員会、一九八四年)である」(342〜343頁)とあったので、早速「日本の古本屋」を通じて北海道教育委員庁社会教育部文化課編『ウイルタ口頭文芸原文集』(網走市北方民俗文化保存協会、1984年3月)を購入してみました。
合計で27編の収録されていますが、子を悪魔がさらっていく「廃物から化した悪魔」、『古事記』の因幡の白兎と類似した「きつね」や、アイヌとの抗争を説話化した「ウイルタとアイヌのたたかい」など、非常に興味深いものばかりです。
|
|
|
|
|
|
園部に行ったついでに南丹市立文化博物館に行って来ました。
同博物館では特別展「南丹市の遺跡」展を開催しています。
特別展ですが、大人300円という安さです!
|
|
|
|
|
|
京都国立博物館に行って来ました。
今京都国立博物館の常設展示2Fでは特別陳列「大覚寺の名宝」展を開催しています。
特別陳列「大覚寺の名宝」では、特別陳列であるにもかかわらず図録(写真左)が発行されています。平成4年(1992)発行の図録(京都国立博物館編『嵯峨天皇一一五〇年御忌 嵯峨御所 大覚寺の名宝』日本経済新聞社発行)から転載した写真・解説が多いようですが、それでも特別陳列で図録が発行されたのは一昨年の『宸翰 -文字に込められた思い-』(京都国立博物館、2005年3月)以来なので、喜ばしい限りです。
このように今後も特別陳列で図録が出続けることがあるとよいのではないのでしょうか?
|
|
|
|
|
|
知人が行きたいといったので、鹿王院(写真左)を自転車で案内して行ってきました。
鹿王院を見終わった知人の一言。
「鹿苑寺(金閣寺)がみたかったんだけど…」
私の聞き違いでした…。(ρ_-)o
というわけで、その後金閣寺にも行くはめに陥ってしまいました。
|
|
|
|
|
|
川田順造『無文字社会の歴史 -西アフリカ・モシ族の事例を中心に-』(岩波現代文庫、2001年7月、343頁。1976年刊の再刊)を購入しました。この本を買うのは4度目です。
最初に購入した本は、同期に貸したままで、返させるのを忘れて何年もたってしまったので、今更返してとはいえなくなってしまいました。そこで2冊目を購入したのですが、読み返してみるとやっぱり面白い!
恩師にこの本が面白い旨をいうと、「じゃあ頂戴なぁ〜」と仰ったので、その場で持って行かれました(もちろんお金はいただきましたが…)。
3冊目を購入して読んでいると上司が興味をもったので、本の内容についての説明と、恩師にもっていかれたという話をすると、「じゃあ僕もちょ〜だい」と仰ったので、またその場で持って行かれてしまいました(もちろんまたお金はいただきましたが…)。
というわけで、この本を買うのが4度となってしまったのです。(-"- )
「2度あることは何とやら」といいますが、5度目はないと思います。
|
|
|
|
|
|
6月26日条で「二度とおごってくれなさそう」といった上司ですが、なんとこりずに、いや親切にもまたおごってくれました。
上司は飲み過ぎを防止するため、お店で先にお金を出して「今日はこれしかないから、この範囲内でよろしく」と店員さんにいっていました。これだったら飲み過ぎることはなさそうです。
と思ってジョッキを1杯あげた私をみて上司いわく
「負けへん!」
前回飲み過ぎの原因は私ではなく、上司のようです。
|
|
|
|
|
|
京都国立近代美術館の特別展「麻田浩展」に行ってきました。
今春、南丹市立文化博物館で麻田浩の父である麻田辨次の展覧会をやっていたので、半年の間に父子の展覧会が同じ京都府内で行なわれたことになります。
麻田浩自身宗教的なものに興味関心を抱いていたからか、宗教的作品(とくに万物の始源的作品)が多かったのが印象的でした。またのこされた自筆メモも展示されていたので、極めて研究熱心であったようです。
自ら命を絶ってしまったことが惜しまれる画家です。
|
|
|
|
|
|
某所で些事のため手が汚れたので、洗う場所を探していました。すると近くに写真左の小川(?)が流れているのをみつけました。なかなかきれいそうだったので、さっそく洗おうとしましたが、地元の人2人に制止されました。
地元の人1「ここで洗っちゃ危ないで」
私「バイ菌か何かあるんですか?」
地1「いや、バイ菌はおらへんやろ」
地2「ここで生活排水流されてるしな」
地1「洗剤とかたれながしやし」
私「ちょっと怖いですねぇ」
地1「それに農業用の排水もたれながしなんや」
私「そうなんですか?」
地1「農薬のダイオキシンも流れてるかもしれん」
私「…」
地1「だからバイ菌がおらへんのや」
バイ菌がいないって… ガクガク(((( ;゚Д゚))))ブルブル
|
|
|
|
|
|
私は電車の中で本を読んでいるということを、過去に幾度か書いたと思いますが、今週は文庫ばかり読んでいました。
今週読んでいたのはレヴィ=ストロース著/川田順造訳『悲しき熱帯』T・U(中公クラシックス、2001年4月初版。2006年4月第9版、T1,300円〈写真左〉、U1,400円)と、中村徳三郎訳『オシァン』(岩波文庫、1971年4月初版。2002年7月第10刷、860円)と、マックス・ヴェーバー著/大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫、1989年1月初版。2006年5月第39刷、860円)と、三遊亭円朝作『真景累ヶ淵』(岩波文庫、2007年改訂第1刷、2007年6月第3刷、900円)と、リッケルト著/佐竹哲雄・豊川昇訳『文化科学と自然科学』(岩波文庫、1939年2月初版。2002年2月第22刷、660円)の6冊です。
それにしても見事なほど岩波文庫だらけです。
だって安いんだもん。v(・O・)w
その安さは『悲しき熱帯』(1,300〜1,400円)と『文化科学と自然科学』(660円)の値段の差をみていただければ一目瞭然ではないでしょうか!
そぉいえば、岩波のHPなどに、「読みやすくなっ」たという新版がよくでてます。たしかに『真景累ヶ淵』はとても読みやすかったのです。それに対して『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』はかなり読みづらかった(読み終わるのに2日かかった)のですが、もともとヴェーバーは難解なことで有名なので、実際にはとても読みやすくなっているのかも知れません。前読んだヴェーバーは100ページほどなのに1週間かかっていたくらいですから…。
|
|
|
|
|
|
休日なので出かけていましたが、途中のどが渇きました。
「そぉいえば、この付近に献血センターがあったなぁ〜」
とジュースを飲むために献血に行ってきました。
献血センターで献血すると、ジュースがただで飲めたり、帰りにタオルがもらえたりと、なかなか親切なのです。のどの渇きを癒すことが出来る上に、私の偽善を満足させることができ、さらにはタオルまでくれるという、とっても素敵な場所なのです。(-_-)
今日は受付の人から小さな箱を貰いました。
受付の人「献血十回目なので記念の品です」
私「なんですか?これ?」
受「小さなおちょこみたいなのですよ」
というわけで開封すると写真のおちょこが…。
造形作家の多田美波さんという人がつくられたようです。思い出してみると、大学の部活のS先輩が、献血10回記念の壷を集めるのを趣味にしてらっしゃいましたが、なるほど造形作家の人がつくるのでしたら、そりゃぁ趣味にもなりますねぇ〜。
|
|
|
|
|
|
朝、家の近所を通りかかると、本が大量に捨てられていました。
文庫本が大半でしたから、古本で出しても買いたたかれるだけなのでしょうけど、本を捨てられるのを見ると何やら哀しくなります。
どうせ捨てるンならと、読んだことのない本を4冊ほど失敬して参りました。
写真はドストエフスキー著/原卓也訳『カラマーゾフの兄弟』上(新潮文庫、1978年7月初版。2000年2月第46版)ですが、他にもバタイユなど、自分では購入しなさそうな本などばかりです。
読んでみるとなかなか面白いものです。
|
|
|
|
|
|
恩師・後輩S・K氏と今期打ち上げの食事会をしました。
恩師はお酒をお飲みにならず、酒好きの私はいつも恩師にたしなめられるのですが、最近若干ならば容認される傾向であるようです。今日もビール瓶1本おごってくれました。ヾ(´鼻`)日。
仏教で飲酒(おんじゅ)は過失・犯罪の原因となるとして、これを戒めており、「飲酒戒(不飲酒戒)」として五戒の一つに数えられています。たとえば釈迦は飲酒には「十過失」があるとして、以下を列挙しているのです(『四分律』巻16)。
@顔色悪し。
A力少なし。
B眼視不明。
C瞋恚(いかり)の相を現わす。
D田業資生(なりわい)の法を壊す。
E疾病を増致す。
Fますます闘諍(いさかい)す。
G名なくして悪名を称して流布す。(悪いウワサを流すということ)
H智恵減少す。
I身壊して命終え三悪道に堕つ。
中国における古今の酒に関する詩文を集めた『酒譜』(1084)でも、圧倒的に酒をいましめる文言が多いのですが、そういわれても呑みたいと思うのが人間というものです。実際、酒を知らなければ陶淵明、李白、アブー・ヌワース、オマル・ハイヤームといった酒仙達の詩の味わいが半減することは間違いありません。例えば唐詩人の孟郊(751〜814)の詩にも次のようにあります。
酒徳 孟郊 (『全唐詩』第374巻)
酒是古明鏡、 酒はこれ古の明鏡にして、
輾開小人心。 小人の心を輾開(てんかい)す。
酔見異挙止、 酔うて見れば挙止異なり、
酔聞異声音。 酔うて聞けば声音異なる。
酒功如此多、 酒の功かくのごとく多くして、
酒屈亦以深。 酒の屈もまた以て深し。
罪人免罪酒、 人を罪とし酒を罪とするを免る、
如此可為箴。 かくのごとく箴(いましめ)とすべし。
この孟郊の詩でも「人を罪とし酒を罪とするを免る」とあるように、にくむべきは酒ではなく人とすべきなのかもしれません。というわけで私は酒を呑むこととしましょう(→何のこっちゃ)
|
|
|
|
|
|
今週は雨ばかりです。C= (-。- )
とくに朝方は常にぐずついてます。何とか止まないものでしょうか?
|
|
|
|
|
|
児玉幸多氏が今月4日に亡くなられたそうです。97歳だったそうです。
氏は日本近世交通史・農村史を専門としていましたが、何といっても、『くずし字解読辞典』(近藤出版社、1970年。写真は東京堂出版、1979年7月普及版初版)や、『くずし字用例辞典』(近藤出版社、1980年。のち東京堂出版より再版)の著者として有名な方でした。
この2冊は、古文書関係の実習・講習・調査に携わる人なら必ず全員が持っている本です。かつて私は、机を囲んだ全員が同じ本(2冊)を持っているのをみて、「この本を書いた児玉幸多って人は一体どんだけ儲けたんだろ?」と少し下世話なことを思ったことがある位、普及している本です。
とはいえ、実際この本の恩恵をどれだけ受けたかわかりません。
氏の冥福を祈って、合掌。
|
|
|