2008年のだいあり〜(上半期)

6月29日(承前)
次に三重県津市の北畠神社に行きました。ここには北畠氏館跡庭園があり、「三大武将庭園」の一つだそうです。

山の中にあるので、日曜日にもかかわらず、観光客はゼロでした。( ;´・ω・`)

「三大武将庭園」というだけあって、なかなか豪壮なものでした。



6月29日
今日は社員旅行でした。バスで奈良県を縦断して三重県に抜け、京都まで日帰りで戻ってくるという計画です。

まずは柳生の里の芳徳寺に行ってきました。
開山は列堂義仙(1636〜1702)で、柳生宗矩の子です。「柳生列堂」といわれればピンとくるのかもしれません。映画などでは裏柳生を率いる悪役ですが、史実はただのお坊さんなのです。

見所はというと…、柳生一族の墓とかなのでしょうか。



6月26日
最近、高橋博訳『ベーダ英国民教会史』 (講談社学術文庫、2008年2月。1,208円)を購入したのですが、その中に『フランク史』の説明もあったので、トゥールのグレゴリウス著/杉本正俊訳『一〇巻の歴史 フランク史』(新評論、2007年9月。6,500円+税)を購入いたしました。

「訳者前書」中に、本書を『古事記』『日本書紀』と対比させていたので、「○△×国における『古事記』『日本書紀』」という言葉に弱い私は、即購入してしまったのです。そのうち「スリランカの『古事記』『日本書紀』」といわれる『島史』『大史』(南伝大蔵経)も買ってしまうかもしれません。おそろしや。ヽ(ヽ゚ロ゚)


中身について語れるほど含蓄を持ち合わせていないのですが、本書(『フランク史』)や『ベーダ英国民教会史』・『原初年代記』といった西洋年代記ものは、日本の典籍にあてはめるとすれば、官撰史書の『古事記』『日本書紀』よりは、お坊さんが書いた年代記という点は『扶桑略記』の方がより近いのかもしれません。ということは朝鮮半島の『古事記』といわれる『三国遺事』も、「朝鮮半島における『扶桑略記』」といった方がよいのかもしれません。



6月23日
3月9日以来、3ヶ月半ぶりの更新です。

京都市北区に引っ越したので、ネット接続するのが面倒で(正しくいえば接続手続きの書類を読むのが面倒)、しばらくほったらかしにしていたのですが、ネットがないと現代社会では非常に不便なので、つなぎなおしたのです。

ところが、パソコン内のホームページ関係のデータが飛んでしまったので、アップしてあるデータから再構成するはめになり、これだけで2週間ほど時間がかかってしまいました。



6月5日
ケインズ著/間宮陽介訳『雇用,利子および貨幣の一般理論』下(岩波書店、2008年3月。735円)を購入しました。

ケインズの代表作が文庫になるのを待ち望んでいたので、下冊が発売されてから上冊と一緒に購入したのです。今のところ3章でつまずいています。かなり難解ですね〜。

ところで最近岩波文庫の装幀がずいぶん格好良くなりました。シエサ・デ・レオン著/増田義朗訳『インカ帝国史』(岩波文庫、2006年1月。940円)なんかは装幀だけで買ってしまいました。



5月31日
京都市上京区の興聖寺は、普段拝観謝絶しているのですが、門の前に立看板がありました。何かと覗いてみると、涅槃堂にてMASKO ISOさんの個展が開催されているようです。

そこでお昼にみてみると、ご本人がいて、作品を説明してくれました。陰影によって虚と実を表現する作品が多いようでした。

帰る間際に作品の絵葉書(左)をいただきました。



5月17日
楽美術館の特別展「楽家の系譜 歴代の名品」展に行ってきました。

初代長次郎から当代吉左衛門までの作品が一同に展示された展覧会です。1階の茶碗は展示方法もよかったこともあり、極めてよい印象を受けました。とはいえ今回の展覧会で最も強い印象を受けたのが茶碗ではなく、「宗入文書」と称される覚書と系図で、学芸員の人に聞いてみると、楽家歴代は必ずしも平坦な道程を辿ってきたわけではないということがわかりました。



5月11日
妙光寺が特別に拝観できるということで、行ってきました。方丈の中に入ってお茶をいただきました。



5月6日
最近、忙しいので寝不足が続き、「じっくり休みたいな〜」と思っていたのですが、幸いなことにGWに休めることになりました。さらにGW中は風邪ひいて寝込んでいたので、ゆっくり休むことができました。(´;ω;`)



4月19日
茶道資料館の特別展「裏千家所蔵絵画展 -屏風を中心に-」展に行ってきました。

裏千家の成立が江戸時代の初・中期であるので、自然作品もそれ以降のものが大半なのですが、狩野探幽の「飲中八仙図屏風」がありました。キャプションによると、探幽が宗旦の屋敷の絵を描かせてもらいたかったけど、断られちゃったので留守中にこっそりと描いたものというそうです。

幕府御用絵師狩野家の総帥の探幽と、宗旦がどちらが偉いのかはわかりませんが、いかにも後世につくられた説話っぽいですね〜。



4月18日
大坂歴史博物館の特別展「天璋院篤姫展」のレセプションに行って来ました。

レセプションの開会式で、司会者(NHKのアナウンサーの人でした)が、「本日は特別なものを用意しています」というので、心うちで「おぉ〜、ヒロインが出てくるのかな〜?」と思っていましたが、篤姫の生涯を描いたビデオ映像でした。

展覧会自体の感想としては、篤姫ゆかりの品が展示されていることはされているのですが、古文書が多く、大河ドラマをみてやってきた人には一体何のことだかわからないのではないのでしょうか?



4月13日(その2)
雨の中、京都府立総合資料館から自宅まで自転車で帰る途中、何やらにぎやか音が聞こえてきました。みてみると、どうやら「やすらい祭」のようです。

昨年はみることができなかったで、「来年こそはみるぞぉ」と意気込んでいたのですが、すっかり忘れていました。写真を撮ろうとうろちょろしていると、おばあさんに呼び止められ、「そこよりもこっちの方がよぉ撮れんでぇ」といわれたり、おじいさんに「こっちならよく見える」と、「どちらがよりお祭りをみるのによいところを知っているか」の競い合いをしていました。

ところでこのお祭り、車が普通に通過する場所でやっているので、踊りの最中に「車来たでぇ〜」の一声で祭りが中断、ということが何度かありました。警察に申請すれば交通規制してもらえるかもしれないのですが…。



4月13日(その1)
京都府立総合資料館に調べ物をするために行ってきたのですが、資料館内の展示室で特別陳列「地域をむすぶ 京都府の交通史」展がやっていました。ポスターをみましたが、あまり面白くなさそうだったので、会期中に資料館に行くことはあっても立ち寄らなかったのですが、最終日でまた無料なので寄ってみました。

ところがなかなか充実した展示で、園部藩主の参勤交代の絵図など、あまりみたことがないものもあり、ものと説明が巧妙に組み合わさってテーマを構築しており、なかなか近年まれにみる展示だったのかもしれません。いかに展示がよくても、展覧会名やポスターがダメなら人が来ないという一例を見たような気がしました。



4月3日
今日の夜はお花見でした。地面にビニールをひいた、いかにも「花見」という雰囲気の花見でした。

ところで私の故郷北海道では、お花見に何故かジンギスカンを食べるという習慣(風習?)があるのです。例えば私が小学生の時にみた光景なのですが、函館五稜郭が桜の名所なので、ジンギスカンの集団が一斉に肉を食べて宴会をするという異様な光景が見られたのです。

今でも私は桜をみると何となくジンギスカンの臭いが鼻をかすめるような気がするのですが、小さい時の光景が頭に染みついているのでしょうね。



3月30日 
京都文化博物館の特別展「乾山の芸術と光琳」展に行ってきました。

乾山の本物は図録などでしかみたことがなかったのですが、図録などの写真をみるかぎりは、厚ぼったい作風なのかと思っていました。しかし今回実物をみることができ、実際にはかなり薄手で、かつ色絵は巧妙になされていることを知ることができました。色絵の焼物は「仁清風」「乾山風」にわけられますが、仁清とはまた違った味わいがあるものです。



3月29日 
宝鏡寺でひな人形を展示しているので行ってきました。作品にはどこの博物館も作品保護の観点から撮影はできないのですが(一部ではフラッシュ無しならいいけど)、ここでは撮影できる作品を用意してあり、記念に撮影することができるという趣向がなされていました。

宝鏡寺の学芸員の方に解説していただきました。



3月25日 
レンタカーを借りて姫路まで行って来ました。

まずは書写山円教寺に行ってきました。古代からの霊山で、かつ中世天台寺院建築がまとまって残っているので、昔から行きたかった場所でした。

次に兵庫県立歴史博物館に行ってみたのですが、休館だったので、しかたなく姫路城に行って来ました。

周囲に日本人はほとんどおらず、外国人の方が多かったようです。



3月17日
北海道に住んでいる友人Kから突然の電話。

高校の時の同級生が結婚するので、それにともなってクラス会をするとのこと。

友人K「3月29日に予定してるんだけど、来れる?」

突然いわれて行けるわけがございません。京都から北海道じゃねぇ〜。



3月16日
11月に北海道の実家に戻っていたので、「今年は暖かいなぁ」と思っていたのですが、それは北海道の苛酷な冷気に慣れただけのことで、今年はかなり寒かったようです。気持ちは寒くないと思っていても、手が霜焼けになってしまい、手から水分が奪われてカサカサの手になってしまいました。



3月14日 
引っ越しをしたので、新しく引っ越したアパートの隣の住人にさっそく挨拶を…。

と思っていたのですが、隣に住んでいるカップルが、私の部屋まで聞こえてくるほどの修羅場となっています。泣声や怒鳴り声がひっきりなしに聞こえてきます。

…こわい。 



3月9日
昨日、後輩Sから本を返してもらいました。
(↑私も借りてたけど…)

後輩Sが地元に帰るからでした。待ち合わせ場所が、後輩Sの家の近所だという銭湯「昭和湯」だったのですが、私からこの「昭和湯」までの距離が150mしか離れていなかったので、後輩Sの家が近所だったことに仰天しました。

ところで昭和湯ですが、私が学生時代、同期の友人S・友人Aとともに日参した想い出の場所です。同期のみならず、友人Aの後輩も日参しており、熱いお風呂・ぬるいお風呂・サウナに分かれた「昭和湯」で幾度も語り合ったものでした。友人達が京都を離れて地元に帰る際にも、「昭和湯」で名残惜しんだものです。

昨日、私もおそらく最後になるであろう「昭和湯」での入浴に行きました。というのも、太秦に住んで7年、本日引っ越しして太秦を離れることになるからです。 



3月4日 
平日なのに呑み会がありました。

場所は河原町三条の「DEN-EN」でした。 



3月3日 
ドヴォルザークの歌曲に「我が母の教え給いし歌」という曲があります。その歌詞に「昔、年老いた母が私に歌を教えてくれた時、その目に涙を浮かべていた。今、私も親となり、その歌を子供に教えようと しているが、日焼けした頬に、いつのまにか同じように涙を流す」とあるそうです。

ところで今日は雛祭だったのですが、道を歩いていると、前から母親と手を繋いだ幼年の男の子と女の子の兄弟が笑顔で「ひなまつり」の歌を歌いながらやって来ました。

「あかりをつけたら消えちゃった〜、お花をあげたら枯れちゃった〜。五人囃子は…」

…あとは記すまい。この子達はこの歌を一体どこで習ったかと思っていたのですが、そのお母さんも一緒に替え歌を歌っていました。あんたが教えたんかいっ!

そぉいえば私も童謡「七つの子」は、姉に教えて貰った替え歌の「か〜ら〜す、何故鳴くの、からすの勝手でしょ。かぁかぁ」というのを今でも覚えているのですが、本当の歌詞は覚えていないのです。

さしずめ「その歌を子供に教えようと しているが、日焼けした頬に、いつのまにか同じように笑みがこぼれる」ということになるのかもしれません。 



3月2日 
ついにこのサイトの訪問者が1,000人を越えました。



2月28日 
日本の古本屋で宋応星撰/薮内清訳注『天工開物』(平凡社東洋文庫、1969年1月)を購入しました。

同書は中国では少ない総合的な技術解説書です。中国では紀元前から厖大な典籍が記され続けているにもかかわらず、前近代では技術書が極端に少ないという特徴があります。まぁインドでは中国とは逆に歴史書が少ないから、書籍の需要と供給にはそれぞれの国の特徴があるのでしょうが…。

内容は実利的な部分が多いのですが、中には眉唾ものの記述も多々見られます。



2月24日
今日は日本が国際連盟を脱退した日だったのですが、国際連盟脱退といえば、ピアノの先生を想い出します。

その昔、私はピアノを習っていたのですが、そのピアノの先生は30代の女性なのに絶妙な箴言をいう方でした。たまには無茶ぶりを発揮して、私が弾けないところがあると、「そういうところは弾き飛ばしてごまかせばいいのよ」といってました。無理!

小学生の時だったか、あるいは中学生の時だったのか、ピアノのレッスン中に先生が「そこは松岡洋右のように毅然として!」と仰ったので、「マツオカヨースケって誰ですか?」と質問すると、「あら知らないの? 国際連盟で席をたって退場した人よ」と仰っていました。

ピアノの先生が習っていた先生や音大では、「毅然として」に「松岡洋右」を冠していたのでしょか?

まさかねぇ〜。



2月20日
本をカラーボックスから取り出そうとすると、何故か取り出せません。

よ〜くみてみると、カラーボックスの天板が、上に1m以上積み重ねられた本の重みによって破壊され、カラーボックス内の本によってかろうじてささえられているという状態でした。 



2月18日 
等持院に行って来ました。
霊光殿(写真左)で足利将軍歴代の木像をみていると、ご住職さんに「そんなのより、ご本尊の方がいいんやけどなぁ〜」と声をかけられました。

ご住職さんによると、本尊は平安時代末期の地蔵菩薩で、よそから移ってきたものだそうです。

ご住職さんは最後に、「最近では仏像なんかは信仰の対象ではなく、美術品としてみられているみたいやね」と歎息していました。



2月17日
とある版本を日本の古本屋を通じて購入しようとすると、日本の古本屋を通じた取引先の本屋さんから電話があり、「ネット上では表示されていなかったのですが、書込みがあるので1,000円安くさせて下さい」という申し入れがありました。

安いのに越したことはないので承諾すると、数日して本が届きました。みてみると、その書込みというのは、この書込み自体がかなり古いもので、筆で記されていました。開版年代をそれほど降るものではないようで、また書込み自体がかなり有益な情報を含んでいるので、「いい買い物をしたもんだぁ〜」と嬉しくなりました。



2月16日 
本屋に行くと、中央公論社で発売されていた『世界の歴史』のなかの『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』が中公文庫になっていました。値段は1,600円と、もとの本より1,000円ほど安くなっていました。

この中央公論社『世界の歴史』シリーズは、読み安さ、バランスもさることながら、すべての写真がカラーとなっている点で、非常に素晴らしいシリーズでした。とくに「ルネサンスと地中海」・「隋唐帝国と古代朝鮮」(写真左)・「ビザンツとスラブ」はすばらしく、「ビザンツとスラブ」に掲載された写真選択の秀逸さ、章構成の巧みさによって、私の心はビザンツ帝国に惹き込まれたほどでした。私も『世界の歴史』シリーズを何冊か持っていたので、文庫化されたことは喜ぶとともに、もっている分が無駄になったのかとも思い、少し悔しい思いをしました。

で、手にとって中身みてみると、カラーではない。

中央公論社『世界の歴史』シリーズ最大のアピールポイントが減殺されてしまったことは残念ですが、名著が復刊され、より手が届きやすくなったことは喜ぶべきことなのかもしれません。



2月11日 
やふ〜のニュースをみていると、韓国ソウルの南大門が放火によって焼失したとのニュースがありました。むこうのネット新聞の方が写真などの点で詳しいようです。

ソウル、いや韓国の象徴ともいうべき建造物なので、その焼失は韓国国民にとってはかりしれない影響があるのではないのでしょうか。日本でも法隆寺や平等院が焼失したらと考えると、心中が思いやられます。

日本も人ごとではなく、神奈川仏教文化研究所のHPによると、人為的に破壊された指定文化財が5年間で45余件にのぼるそうです。また獣害による被害も深刻で、府の指定文化財となっているとある神社では、神社の柱に外来生物であるヌートリアが巣をつくったため、神社が倒壊する危険性があったそうです。



2月10日 
細見美術館で開催中の展覧会「芦屋釜の名品」展に行ってきました。

先輩の薦めで行ってきたのですが、重要文化財数点を含む室町時代の芦屋釜の名品がずらりと展示されており、なかなか良い展覧会でした。五島美術館との共同展覧会のようです。

印象深い展覧会でしたが、図録に参考文献リストがないこと、キャプションの人名の大半が号で記されていて、本名で記されていないことが不満だったくらいでしょうか。



2月9日 
京都は雪が降っています。車を運転していましたが、寒さで結露が発生し、前や後ろのフロントガラスはデフロスターで何とかみえる状態になるものの、左右の窓ガラスは曇ったままでサイドミラーがみえなかったので、やむを得ず左右の窓ガラスを全開にして運転していました。寒い〜!

この寒さと雪景色なので、さぞシベリウスの音楽が似合うだろうと思っていましたが、家に帰ってCDを聴いてもあまりしっくりときません。何故でしょう?

北海道だったら真冬にシベリウスの音楽は映えるのですが、京都では寒さが足りないのか、または京都らしい違う風情がジャマをするのか、よくはわかりません。

写真は宝鏡寺の門。 



2月8日 
パウル・カレル/ギュンター・ベデカー著、畔上司訳『捕虜―誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路』(学研M文庫、2007年9月。659頁、1,300円)を購入しました。

何気なしに購入してみましたが、冷静な筆致と惨劇にただただ圧倒され、600頁を越える大著であったにもかかわらず、あっという間に読み終わってしまいました。構成も極めてよく、捕虜の大脱走を描いてまるで冒険小説を読むような第1章や、西側の捕虜の扱いが苛酷であったことを示す第3章、ユーゴ側のあまりに残虐な捕虜の扱いを冷静に物語る第4章、ロシアにおけるドイツ軍捕虜を記す第5章と、読む側への配慮が巧妙に行なわれています。もっとも表紙カバーのセンスはいただけないですが…。

本書は第二次世界大戦において連合軍の捕虜となったドイツ軍捕虜1,100万人の末路を描いたノンフィクションで、西側・東側を問わず連合軍のドイツ軍捕虜に対する扱いが苛酷であったことを物語っています。第3章は人間の残虐性の記録として、『揚州十日記』・『思痛記』・『戦場のピアニスト』と並ぶほど極めて強い印象を残しました。

第5章ではロシアの捕虜の扱いについて取り上げられていますが、日本人が味わったシベリア抑留と極めて類似していることに驚かされます。本書では日本人のシベリア抑留について、「だが鉄条網の中には、団結と連帯の点で、群れなす捕虜から抜きんでたグループが二つあった。武装SSと、ロシアの捕虜になった日本兵である。」(498頁)と記すように、いくつか紙面を割いています。



2月5日 
茶道資料館の特別展「新春の遊び カルタ」展に行ってきました。

はじめて知ったのですが、「茶道資料館」の看板のローマ字表記が「CHADO」となっており、茶道資料館の「茶道」は「さどう」ではなく「ちゃどう」と読むようです。 



2月4日 
桑田忠親『本朝茶人伝』(中公文庫、1980年10月初版、2007年9月改版。408頁、1,429円)を購入しました。

桑田忠親(1902〜87)による日本史上の茶人145人の伝記ですが、「『○△』によると、」といった具合に豊富な文献が引用されていて、とても有益なのです。しかしもともと古い著作であるため、現在では偽書とみられることが多い『南方録』を幾度も引用しており、いかに『南方録』が当時重要視されていたのかをみることができて興味深いものです。

そぉいえば、とある古書屋に行ったとき、いかにもお茶をしてますという雰囲気をした若い和服姿の女性3〜4人がいて、そのうち2人が久松真一校訂解題『南方録』(淡交社、1975年1月)を購入していましたが、現在でも『南方録』の影響が強いことを物語っています。



2月3日
コンビニで恵方まるかじり用の太巻きが売っていましたが、恵方まるかじり用のロールケーキまで登場してしまいました。

考え方としては面白く、私もひとつネタとしてやってみようかと思いましたが、この「恵方まるかじり用ロールケーキ」が日本全国に定着してしまったら、これほど変てこりんな風習はないでしょう。外国では「日本では2月3日にロールケーキを無言で丸かじりする風習があるんだって。おバカだね」といわれるに違いありません。 



2月2日
先月31日、携帯でメールを送ったところ、「送信できませんでした」というメッセージがでました。「電波悪いな〜」と思いながら再送してみると、やはり同じメッセージが。携帯をみると電波が3本入っているので、送信できないはずはないのですが…。

翌日某方に電話をかけてみるとつながらず、電話から「お客様の電話は使われていない」云々のメッセージが流れていました。

その時は携帯が壊れたのかと思っていましたが、家に帰ってから念のため携帯の支払い伝票をみてみると、一月分を払っていたのに、昨年十二月分を払い忘れていました。

単に携帯が止められていただけだったようです。(゚ー゚;

お知り合いから「電話通じなかったけど、海外にでも行ってたの?」といわれてしまいました。



1月27日 
アメリカヤ楽器店の音楽教室にてピアノを弾いてきました!

昨年、実家のピアノが売却され、ピアノを弾く機会が激減してしまったので、京都市でピアノを弾くことができるスタジオなどを探していたのですが、なかなか見つかりません。ところが先週、アメリカヤ楽器店(京都市北区小山上総町14-16)に行った時店員さんから、アメリカヤ楽器店では音楽教室を開いており、レッスンがない時間は1時間単位(1,000円)で教室をレンタルできる、と聞いたので本日予約して行ってみたのです。

予約を電話(075-441-2341)でして、楽器店に行って指定教室の確認をしました。教室は北大路VIVREの烏丸通をはさんだ東向かいのビルの3階でした。

指定された教室のピアノはディアパソンのグランドピアノでした。今日はブラームスの作品117と作品118を中心に弾いたのですが、久しぶりにグランドピアノを弾いたので、30分もすると大音量のため疲れてしまいました。しかし防音室なので他の人に気兼ねせずに弾くことができるのです。 



1月26日 
京都では三日間雪が降り続けていましたが、一向に積もる気配はありません。朝に車や屋根にうっすらとかかっている程度でしょうか。



1月20日 
昨晩は急遽呑み会があったので二日酔いになってしまいました。 



1月16日 
お知り合いからメールが来ましたが、それによると、滋賀県が財政難を理由として滋賀県立琵琶湖文化館に対して新年度(2008年4月)から休館とする方針を打ち出しているそうです。

このメールが来るまで、滋賀県立琵琶湖文化館が休館となることは知りませんでした。新聞などの報道はあるようですが、滋賀県外ではほとんど知られていないそうです。



1月15日
お尻に大きなかさぶたができていて、坐ったり寝っ転がったりすると、とても痛いのです。知らぬ間にできていて、何故こうなったのかわかりません。酔っぱらって擦ったという記憶もないですし、転んだ記憶もまたない。…となると、

お★りか▲り虫か!!



1月14日 
今日1月14日は、慈覚大師円仁(794〜864)の1144回目の命日です。

円仁は第3世天台座主ですが、入唐した時の日記『入唐求法巡礼行記』の著者として有名です。学生時代にたまたま深谷憲一訳『入唐求法巡礼行記』(中公文庫、1990年11月初版、2000年9月4版。731頁、1,300円。絶版)を購入して読んだことがあったのですが、描写の細やかさ、悲運や困難に遭遇しても冷静な記述をしていることなどに驚かされ、それまで全く興味がなかった仏教に対して関心を持つ契機となりました。

『入唐求法巡礼行記』は、玄奘三蔵『大唐西域記』、マルコ・ポーロ『東方見聞録』とならぶ東洋三大旅行記の一つとされ、誇張が多い『東方見聞録』や、日ごとに記されていない『大唐西域記』とはまた違った価値があるとされています。ただし日記であるため、やたらと長い上に公式文書まで転載するような気合の入った記述をする日があると思えば、「七日、雨ふる。」(開成4年5月7日条)のように極端に短い記述で終わっている日があるので、前2書と比べて散漫な印象があって、あまり面白い本であるとはいいがたいのです。しかし前二書が何となく上から物をみたような書き方をしているのに対して、円仁は自分の目でみたものをそのまま書いているので、簡略ながらもその記述には迫力があるのです。

中公文庫本は絶版となっているので、再版がのぞまれるところです。



1月13日 
自転車に乗っていると、西大路通りが封鎖されていました。みると沿道には沢山の人だかりが…。

みると女子駅伝があったようです。沿道の人達は選手が通過するたびに「がんばれ〜」と声援を送っていました。




1月12日 
竹貫元勝『宗峰妙超―大燈を挑げ起して(ミネルヴァ日本評伝選)』(ミネルヴァ書房、2007年12月。258頁、2,800円)を購入しました。これまで現代語でよめる宗峰妙超の伝記がなかったので、これからはこの本が宗峰妙超の入門書として、以降底本となるでしょう。

同書によって新たに得られた見解が多く、但馬の祐徳寺に関する記述、大徳寺の五山位指定に対する宗峰妙超の受け止め方の見解、宗峰妙超の徹翁義亨と関山慧玄観、宗峰妙超と尼寺、大徳寺に展開した禅文化を「紫野文化」とするなど、示唆するところが極めて大きいものとなっています。

ところで、巻末にミネルヴァ日本評伝選の出版予定と既刊一覧がありましたが、まだほとんど出版されていないんですね〜。これからの出版に期待されます。 



1月7日 
最近お茶を習っています。今日はそのお稽古でした。慣れていないのか、正座をすると足が痺れて起立できません。もはや痺れを通り越して感覚がないのです。

学生の時、正座のしすぎで感覚がなくなって動かなくなってしまい、起立しようと右足を前に出すと、足が地面を踏まずつま先だったままだったので、驚いて左足を踏み込んだ瞬間に、左足もつま先だったまま全体重がかかってしまい、左足を骨折してしまったことがあります。

その時は完全にポッキリというわけではなかったので、ギブスもせずに、1ヶ月後には試合に出てました。とはいえ、もう2度と折りたくはないので(実は一昨年に肋骨を骨折しているけど…)、正座になれて足を痺れないようにしたいものです。(ノω・、)  



1月6日
昨夜に新年会があったのですが、今日はその二日酔いになってしまいました。

しんどくて外にも出られないので、日本の古本屋を通じて購入したヴァールミーキ著/岩本裕訳『ラーマーヤナ』1・2(平凡社、1980年4月〜1985年1月)を読んでました。

このような古典は、まずテキスト性・文学的影響・歴史的背景を知るために後ろの方にある解説をから読んでいるのですが、この『ラーマーヤナ』は第1巻の解説が全350頁のうち125頁、第2巻は全355頁のうち解説が66頁あるのです。訳者の気合がこもってますねぇ〜。

平凡社東洋文庫では同じように、注がやたらと詳しくて、本文を食ってる感がある書籍がいくつかあります。魏収撰/塚本善隆訳注『魏書釈老志』(平凡社、1990年2月)や、今泉淑夫校注『一休和尚年譜』(平凡社、1998年9月〜1998年10月)あたりが代表的ですね。



1月4日 
法金剛院に行って来ました。去年も行ったのですが、近くに来たのでよってみたのです。

朗らかな小春日和で、草花の発色は必ずしもよくありませんが、これから暖かくなるにつれ色彩を取り戻すでしょう。残念ながら池苑の青女の滝の水が枯れてしまっています。 



1月3日 
正月三ヶ日、体調が優れなくて寝込んでいました。だから箱根駅伝も視られませんでした。本を読む集中力もないので、前に買っておいたオルトゥタイ編/徳永康元他編訳『ハンガリー民話集』(岩波文庫、1996年1月第1版、2004年7月第4版発行)を読んでました。短編ばかりなので読むのが楽なのです。

民話なのでハッピーエンドで終わる説話が多いのですが、ハッピーエンドになる過程がやや納得いかないところが多々ありました。とくに第26話「アラニュ・ジャーダ」は、「よりによって、何でそいつと結婚するの!?」というような理不尽な説話で、殺されてしまった2人の姉は一体何だったんでしょうか?
(↑ネタバレ)

ハンガリーの民話は、他国の民話の影響を受けたり与えたりしているらしく、聞いたことあるような民話も結構多かったのです。ロシアの作曲家ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」第9曲「鶏の足の上の小屋」のタイトルの意味が今まで全く不明でしたが、『ハンガリー民話集』の第1話「底なしの泉」に登場する“アヒルやらガチョウやら七面鳥やらの足の上で廻る城”のおかげで、何となくイメージがつかめたような気がします。

ところで実家に昨年11月に帰った時、朝日新聞があったので読んでみたのですが、その朝日新聞の天声人語で『ハンガリー民話集』が紹介されてました。それにしてもいつもは北海道新聞なのに、何故急に朝日新聞をとったのか謎でした。

私「どーしん(「道新」。北海道新聞の略)はどうしたの?」
母「たまには違う新聞を読んでみようかと思ってさ」
妹「違うでしょ。新聞の勧誘のお兄さんがイケメンだったからでしょ」
母「…っ!」
私「…」



1月1日
新年あけましておめでとうございます。

大晦日は呑んでしまったので、いつの間にか年が明けていました。姉の電話で叩き起こされて新年を迎えてしまったのです。そして昼まで寝ていたので、今年は「呑み正月寝正月」になってしまいました。(;´・ェ・)ノ

夕方に蚕ノ社に初詣に行って来ました。蚕ノ社の名物・三柱鳥居がライトアップされ、さらにはいつも枯れている池水が流れていました。神職や氏子さんが正月のために尽力したのでしょうか?





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