2009年のだいあり〜(上半期)

6月9日
また某スーパーの「テンプラフライ」。







すいません。ネタがないんです。(-_-)



6月7日
夜寝ていると、午前1時20分頃、友人Oから電話がかかってきました。

何と3年ぶりでしたが、高校の友人達が男女問わず集まって呑んでいたようでした。

また電話の廻し合いで、
酔っぱらい大勢vs寝ぼけた一人
の対決(?)となりましたが、懐かしいものです。

みんな声だけは高校生の時のままでした。(^^;)



6月4日
自転車が戻ってきました。│。・_・。)ノ

交番から連絡があって、自転車が発見されたそうです。
届け出して一週間かかっていなかったので、喜ばしい限りです。

交番が「十二坊交番」といっていたので、十◎神将や女子十二◎坊の類かと思いましたが、上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)の近くにある交番のことで、同寺の別名から来ています。このお寺の子院はかつて12ヵ所あったことから十二坊と称されましたが、今では真言院・宝泉院・大意院があるだけです。

鍵がかかったまま戻ってきたのですが、鍵がない。そこで駐在さんがピッキングみたいにして開けてくれました(→壊した…)が、お巡りさん退職してからも泥棒で食っていけるのではないかというような、なかなかな腕前でした。



6月2日
5月30日は母の誕生日なので、母の携帯に電話してみましたが、出ません。

家の電話に電話しても出ず、携帯にメールを送ってみましたが、返信なし。

心配になって妹に母の所在についてメールしてみると、
「プレゼント渡しに行ったら、元気だったよ。」
とあり、返信し忘れているのでは?とのこと。


妹情報によると、母は今週九州旅行に行くので忙しいそうです。


…子どもよりも九州旅行か〜!!( ̄∇ ̄;)



5月28日
朝起きて、自転車に乗って出かけようと駐輪場へ。

(°°)(。。)あれ(°°)(。。)あれあれ

自転車盗まれた〜( ̄∇ ̄;)

4月19日に購入したばかりなのでかなりショックです。
まずは盗難届っと。

…今のところ職場の自転車を借りてます(^o^)



5月25日
久しぶりに「だいあり〜」のみ更新しました。

3月3日、突然パソコンをつけてみると、画面真っ黒!

数日してから「起動時にF10ボタンを連打するといいかも」といわれ、その通り連打し、以前の更新状態に戻ってみると、今度はマウスが動かない。

今度は4月になってから、「キーボードのAltキーやTabキーを駆使すれば、マウスがなくてもそれほど不便ではない」といわれたので、そうしてみると、動きはするけれど、やっぱり不便。

コントロールパネルをいじってから、マウスをUSBのにつけかえると、ようやく以前のように復帰したという次第なのです。


その間は携帯でネットみていたので、パケ料がかかりすぎてびっくり!
(いうほどはかかっていないけど…)

どこものお姉さんに「ネットなんてパソコンでみますよ」と豪語していただけに、少し恥ずかしいかも…。



5月24日
職場の人達とバーベキュー大会をしました。

某右京区の旧丹波国の河川敷で行なわれたのですが、私は夕方からの参加でした。

「肉とか残しといて」

といったので、肉は残っていましたが、野菜は一切れたりとも残っておらず、ひたすら肉ばかり食べるはめに…。

「何故焼き肉では野菜を食べなければならないか」という命題は、この日はじめてとけたのでした。(^_^;)



5月11日
昨日夕方頃、突然電話がかかってきました。

大学の時の後輩(他大学)の結婚式があったらしいのですが、その世代の後輩達が酔っぱらった勢いで私に電話をかけてきたのでした。

その世代の後輩達が交替で電話に出たので、近況などが聞けて面白かったのですが、みんな酔っぱらっているので、しゃべる内容は支離滅裂でした…。

結婚した後輩は私の家の近所に新居を構えるといっていました。
「遊びに来て下さい」とは言っていましたが、新婚夫婦の新居に行く度胸なんぞはありません。




5月10日(その2)
そぉいえば「間奏曲 変ホ短調 作品118-6」は、何度も泣ける曲ではないかと想っています。

@何度も聴いて、曲の美しさと諦観・寂寥さに泣ける

A弾いてみて、指が届かなくて泣ける

B弾き慣れてみても、曲が意味不明で泣ける

Cようやく弾きこなせて、その曲の美しさと深遠さのため、さらに泣ける

D人に聴かせてみて、その人が「ポカーン」とした顔をしているのを見て泣ける

この曲は弾きこなせるようになるのに半年かかりましたが、苦労したのは、楽譜が読みにくい導入部でも、技術的に少しだけ難しい中間部でもなく、終盤のところでした。弾いてみてもよくわからないまま半年が経過し、内声が重要だと気付くまで随分かかりました。

左は終盤部分の一部です(変ホ短調なので♭がシミラレソドファの6箇所つきます)。ただ弾いただけでは意味不明な上に、左手が殺人的に広げる必要があるのですが、この曲の最も美しい部分の一つではないでしょうか?



5月10日(その1)
アメリカヤ楽器店でピアノのスタジオを借りてグランドピアノを弾きました。

ブラームス「三つの間奏曲 作品117」と「六つの小品 作品118」から何曲か弾いていたのですが、、「間奏曲 イ長調 作品118-2」のあとに「間奏曲 変ホ短調 作品118-6」を弾いていると、隣の部屋からピアノの音が聞えていたのですが、気にせず弾いていました。

「間奏曲 変ホ短調 作品118-6」を弾いた後に、隣で弾いている曲がどこかで聞いたような…。
そうだ、さっき私が弾いてた「間奏曲 イ長調 作品118-2」だ!

同じ曲を弾かれとる〜!!(◎◎;)


カラオケで自分が歌った後に、次の人がわざわざ同じ曲を選曲してぶつけてくるようで、ある意味挑戦とも受け取れるのですが…。


そぉいえば、「間奏曲 変ホ短調 作品118-6」は、左手がよく動き、かなり手が大きくないと厳しいところがありました。左の楽譜(中間部)をみるとわかるように、手をめいいっぱい広げる必要があるのです。



5月6日
世間はゴールデンウィークですが、今日は仕事です。

ついでに、4月29日と30日は名古屋に出張、5月1日・2日は出勤して、5日も呼び出されたので、結局ゴールデンウィークは2日しか休めませんでした。(;_;)v


写真は名古屋市内。
携帯で市街地撮影は、田舎者の所行にてご容赦あれ。



3月3日
パソコンとんだ…
(; ゚∀ ゚ )アハハハハ/ \ / \



3月1日
昨日、勤め先で「あまっているビールあげる」と、ダンボール2箱分にもおよぶ大量のビールと発泡酒を貰って帰りました。(*´∀`人) 

ホクホク顔で家に戻り、さっそく呑んでみると、ちと味が変。
ホップとアルコールの味が分離している…。

缶をひっくり返して見てみると、

「賞味期限 2008,03」

って、賞味期限が一年も過ぎてる〜!

だからくれたんですね〜。


でも呑んでやるさ。ビールには違いはなかろうε=(゜∀゜ )



2月27日
暖房器具が壊れてしまいましたが、今年の冬は以外と暖かいものです。
夜でも暖房がいらないような日が三日続きました。

このまま春になるとよいですね。花粉抜きで!!



2月22日
京都市上京区の妙顕寺の小門が修復のため、解体工事中です。

トラックが突っ込んで大破したらしく、一時は門が完全に解体されて、もう二度とその勇姿(小っちゃいけど…)をみることがないのかと懸念されましたが、何とか修理の道筋がついたようです。



2月21日
友人N・友人Y・後輩Mの三人で、おなじみ京都市下京区綾小路高倉西入ルの居酒屋「味どころ しん」(075-351-5547)にて呑みました。

今回はおばさんがアンコウが入ったということで、身とキモの刺身にしてくれました。写真はアンコウの身です。全くクセがないので、とても美味でした。

友人Yが結婚することになり、11月に京都で挙式するということです。(^o^)



2月17日
15日にはとても暖かかった京都。今日は急に冷え込み、雪が降っていました。

寒いので、家で電気ヒーターで暖まろうとスイッチをひねってみると、

こっ、壊れとる〜!!( ̄□ ̄;)!!

このシベリアのツンドラ並の寒さ(大嘘)を、どぉ過ごせばよいのでしょうか!?

そぉいやこの電気ヒーター、私が京都に来た年に買ったものなので、今年で十年目。よくぞ今までもったものです。夏に壊れた扇風機もちょうど十年目に壊れたのです。さすが日本製!と

いいたいところですが、ちょうど十年目に壊れると我がニッポンが誇るソニータイマー(SONY製でないけど…)が内蔵されているのではないかと勘ぐりたくなります。

って、裏ひっくり返したら「Made in Korea」て書いてある。



2月16日
近くのコンビニ老村に行くと、「室蘭風やきとり弁当」なるものが売っていました。

私の生まれは室蘭市なので、「どれどれ室蘭風とは」と思い買ってみました。

ところでパッケージには

一、室蘭では、やきとりは主に鶏肉ではなく豚肉す。
二、ねぎは玉ねぎを使用します。
三、洋からしをつけていただきます。

とあるのですが、一と三に関しては確かにそうだったのですが、二についてはそうであったかどうか記憶していません。

さて早速食べてみると…。


妹は「まぁ、あくまでも室蘭風だからね(笑)」といってました。



2月15日
京都市の「京の冬の旅」で妙心寺の三門内部が特別公開されているので行ってきました。

南禅寺の三門のように内部の彩色が非常によく残っており、必見です。

天気も良く暖かかったので、よい休日になりました。ほかにも妙心寺の衡梅院も「京の冬の旅」で特別公開されているので行ってきました。

写真は三門の上から撮った妙心寺の仏殿。



2月10日
山本兼一『利休にたずねよ』(PHP研究所、2008年11月)ですが、直木賞を受賞したことで、売れに売れているそうです。近所の本屋でも宣伝の垂れ幕がかかっていましたが、売り文句が「北区在住の作家(だったかな?)」というもので、本自体の宣伝には全く寄与していなかったので、逆にインパクトが強かったものです。

勤め先でこの本を読み終わった人が、私に「1,600円で買わない」といってきたのですが、定価1,800円の本なので、「1,000円なら」というと、「じゃあ1,300円で」と値を下げてきたのです。揺さぶりをかければ1,000円で買えると踏んだので、「ならいりません」というと、あっさり1,000円で売ってくれました。もう少し粘ればさらに下がったのかもしれませんが…。

この本は利休の切腹からはじまって、一話ごとに時代が上っていくという形式になっています。読んだ人は、「時代が上ってくのは読んでてしんどい」といっていましたが、私はむしろ面白いと感じました。ただ、必ずしも全体を通した時に必要のないパラグラフもあるので、そのようなパラグラフを読んだときは、確かにしんどいのかもしれません。

ただしこの本、文句なしに面白いです。
(↑散々文句言ったけど…)



2月9日
実家から荷物が送られてきました。

お礼の電話をすると、母が「何か欲しい物ないの?」といってきたのですが、その時には何も想い浮ばず、電話を切ったあとに「サッポロクラシック(北海道限定!)が呑みたい」と思い、メールでそのことを伝えると「了解OK」との短い返事。翌々日にはサッポロクラシックを送ってくれました。

翌日に何かお礼をしようと思ったのですが、何も思い浮かばなかったので、たまたま通りかかった俵屋吉富のお菓子を送りました。



2月8日
京都駅に「スタンウェイのグランドピアノをお好きな時間に弾いてみませんか」というポスターが貼ってありました。以前にY氏がスタンウェイのグランドピアノが弾ける場所が京都にあるといっていたので、「あぁ、前にY氏が言っていたのはこれか〜」と想い出し、行ってみることにしました。

ポスターに住所と地図が載っていたので、ポスターを携帯カメラで撮影しておけば、いくら方向オンチの私でも迷わない!(´▽`ノ)ノ゛

…のはずだったのですが、住所である京都市下京区綾小路通室町西入の住所と地図を手がかりにしても、それらしきものは一向に見あたらず。

「ここのはず」と同じ所を5・6回ウロウロして、ようやく京都駅に貼ってあるポスターと同じポスターを発見。この写真のところの奥なのですが、本当にわかりにくいところでした。

そのスタンウェイのグランドピアノを弾けるのは「翠風ブリランテ ピアノサロン」というところで、1時間一人1500円です。電話番号は075-343-1370。



2月1日
林語堂著/合山究訳『蘇東坡』上・下(講談社学術文庫)を購入しました。

最近、『宋名臣言行録』を読んだので、何となく気になって読んでみました。蘇東坡こと蘇軾(1036〜1101)は北宋の官僚・詩人ですが、激しい党派間の政争の渦中で幾度にもわたる左遷・流刑の憂き目を見、許されて都に戻る途中で没した人物です。本書は彼の伝記で、林語堂(1895〜1976)がもと英文で書いたものを日本語訳したものです。

林語堂が描く蘇東坡像は非常に素晴らしいもので、本も読みやすく、上下2冊本でしたが1日で読み終わってしまいました。配流につぐ配流で、だんだん流刑地の環境が厳しくなっていくにもかかわらず、ポジティブでユーモアを忘れない蘇東坡には心から感動しました。



1月30日
出張で名古屋に行って来ました。

早朝から行って仕事、日が暮れた時に出張目的が終了したので、その日のうちに京都に戻ってきました。

というわけで、とくにのべるべきこともなく…。

写真はJR名古屋駅から撮ったもの。こんなものを撮る時間しかなかったので…。



1月28日
だんだん敵が強くなるロープレと違って、シミュレーションゲームは、よっぽど巨大勢力でない限り、敵の主力を殲滅すれば、大抵その勢力は一気に弱体化します。「信長の野望」だとか「三国志」だとかも、武将をコマンドとして動かす性質上、一度の会戦で勝敗を決して、勝った後に敵の武将を解放せず登用、無理だったら皆殺し(!)にすると、どんなに強い勢力でも大抵は弱っちくなります。

ところで、いとこ(父の妹の子)は最近知ったのですが、徳川家の武将の子孫だそうです。

私「何て人の子孫?」
いとこ「酒井忠次って人」
私「(どこかで聞いたな〜)、あッ、「信長の野望」で敵だった人だ!」

いとこの先祖を斬首しちゃったよ〜(ノ∀`) 

いとこは酒井忠次の末っ子の子孫だそうで、もし私がプレイした「信長の野望」が史実通りになったとしたら、いとこはこの世に存在していないことになってしまったのです。

そ〜いえば、学生時代のバイト先の社長の先祖も斬首しちゃったっけ…。



1月27日
妹と二人で結託し、親に隠れてゲーム機を買うというのは、その後もスーファミ、プレステと続いたのですが、妹とゲームを一緒にしても、格闘ゲームなどでは妹にボコボコにされる(/_;)/~~ので、自然一人でするゲームに移行していきました。

そのためロープレも結構していたのですが、ロープレは終盤に近付くほど敵が強くなっていくので、中盤あたりで「帝国」とかの国家との戦闘よりも、終盤のザコモンスターとかの方が、当たり前のように強いのです。…どんなに弱いんでしょうか、その「帝国」。

それにゲームが進むにつれ、モンスターを倒した時の獲得金額が多くなるのですが、序盤と終盤では獲得金額に天文学的な開きがあります。ゲーム中の世界ではハイパーインフレがおきているに違いありません!
あっ、中盤で「帝国」を滅ぼしちゃったからかな?

でも、ワイマール体制下のドイツのような札束を山のように積み上げて一個のパンを買っている人をゲーム中でみたことがない上に、ゲーム中ではハイパーインフレ下でもまるでそれが当たり前であるかのよう生活しているのです。おそらくはゲームの中の世界では「帝国」滅亡後でも中央銀行が存続していて、ハイパーインフレに対応するため最高額面紙幣を乱発して、さらなるインフレを招いているのでしょう。序盤で「モンスターが出て大変なので倒して下さい」といっていた村人も、今ではモンスターよりもハイパーインフレに苦しんでいるに違いありません! モンスターなんかを倒している暇があったら、ゲームの世界の中央銀行にデノミネーション(通貨切り上げ)を迫って、この世界の住民達を救う方が重要だと思うのですが…。

でもゲーム中に突然デノミネーションがおこったら、ゲームのプレイヤーは
「うひょっΣ(゜д゜ノ)ノ、せっかく貯めたお金が100分の1になっちゃった!」
といって、みんな激怒するでしょうね〜。



1月26日
小学生の頃、親からファミコン(懐!!)を買ってもらえなかった私と妹は、二人で結託して、なけなしの貯めた小遣いから親に黙ってファミコンを買い(この瞬間が人生で一番興奮したなぁ)、隠して遊んでいました。

ところが母に見つかってしまい、その場で没収、と相成るはずでしたが、妹は「できもしないのにするなって、自分でもやってみればいいでしょ」といったので、負けず嫌い母はとりあえず「ドクターマリオ」をやってみることに…。

母、見事にはまるヽ( ゜▽゜)ノ☆

「ドクター・マリオ」は記憶ではたしかレヴェルは最高で24までしか上がらなかったと思うのですが、母はそのレヴェル24を毎夜永遠とやり続けていました。

ある日、母がゲーム中に「うがぁ〜」という声を出して息をゼエゼエさせていたので、どうしたのか聞いてみると、

「集中しすぎて呼吸するの忘れてたわぁ〜( ̄д ̄) 」

それ以来、母はゲームをやらなくなったとさ。



1月21日
「年金の未払いの月があります」という電話が私の携帯に突然かかってきました。国民年金の委託事業を行なっている会社だというのですが、仕事中だったので「とりあえず今から言う住所に納付書を送って下さい」といって電話を切りました。

しばらく考えて、「個人情報を含む国の仕事を民間に委託するなんてことありえるのかな?」と思い、着信記録で電話番号をみてみたのですが、「0222117290」とあってどうみても京都ではない。

そこで「0222117290」でぐぐってみたところ、「国が民間の会社に債権回収を委託するということはありえないと考えられます。 完全なオレオレ詐欺です」と書いてあったので、「危うく騙されるところだった(;´Д`)」と思っていたのですが…。

それから一週間ほどして、京都西社会保険事務所国民年金業務課からの電話で「委託事業を行なっている会社から連絡があって、登録してある住所と委託事業を行なっている会社におっしゃった住所が違うのですが…」という連絡が…。

オレオレ詐欺じゃなかった…(=ε=)

「何故仙台からかかってきたのですか」と聞いてみると、10月から納付書のお知らせ業務を外部委託することになったけど、落札した業者がたまたま仙台の業者だったからとのこと。京都西社会保険事務所国民年金業務課の方は着信履歴から番号を検索かけて社会保険庁のウェブページについたので、こちらの方は間違いはなさそうです。

まだちょっと疑っているので、納付書をみてから直接京都西社会保険事務所に行って確認してみようと思います。



1月19日
さまざまな本に景徳鎮の重要史料として引用されている『浮梁県志』(1673刻、1682増修刻)ですが、四庫全書にもなかったので、どこにあるのかと思っていると、平凡社の『陶磁大系45呉須赤絵・南京赤絵』(1976)のなかに、日本の内閣文庫(国立公文書館)のみにある天下の孤本で、江戸幕府の御文庫である紅葉山文庫の旧蔵であり、世界中にある『浮梁県志』は全部同本からのコピーみたいなことが書いてあったので、「東京に行ったときに内閣文庫に見に行ってみるか〜」と思っていました。

今日、母校に『咸淳臨安志』をコピーしに行ったとき、何気なく「浮梁県志」で検索してみたところ、中国科学院図書館選編『稀見中国地方志彙刊 第26冊』(中国書店、1992年12月)が引っかかったので、それをみてみると、やはり内閣文庫本を影印したものであるようです。景徳鎮関係のところは巻4陶政のところなので、コピーするとB4用紙4枚ほどになります。しかし字が潰れていて何が書いてあるかわからないところがあり、戦後にGHQの命令で教科書に墨を引いたみたいな状態になっています。結局いつかは内閣文庫に行って見なければならないということでしょうか。



1月18日
デューラー/前川誠郎訳『自伝と書簡』(岩波文庫、2009年1月)を購入しました(「じでんとしょかん」と手入力したら「寺田図書館」になった!)。これの姉妹編である『ネーデルラント旅日記』がこれでもか、というくらいに面白くなかったので、購入するかどうか迷っていたのですが、読んでみるとなかなかに面白い。

デューラーの家譜のなかに、「父はその妻、つまり私の母、とともに以下の子供たちを儲けた」(14頁)とあって、父親が書いた覚書に、その妻が生んだ子どもが一人一人丹念に記録されているのですが、5人すぎたあたりから、「ちょっと多いんでない?」と思いはじめ、10人すぎたあたりから「何人いるの?」となり、最終的に18人の子どもを産んだようです。しかし結局は3人しか成人しなかったようです。

父の没して2年後、デューラーの母はデューラーに引き取られることになりましたが、デューラー自身がその理由を「最早何ものも持たなかったからである」(28頁)と述べており、さらに寝たきりになって、息子デューラーに「老醜」ともいえる肖像を描かれており、1年後に死んでしまう描写を読むと、一抹の感慨を懐かずにはおれません。

あとこの本中には友人のピルクハイマー宛の書簡が納められていますが、この友情あふれた書簡がとても(・∀・)イイ!! 



1月17日
私の外祖父は今でも健在なのですが、残念ながら認知症となっており、今では肉親の顔をみても誰なのかが思いだせなくなっています。

私が小さい頃に外祖父の家に遊びに行ったとき、本棚に阿川弘之『井上成美』があって、「成美(しげよし)」を「なるみ」だと勘違いした私は、「この女の人、何かやらかして一冊の本になったのかな」と思って何気なく手にとった時、それを後ろからみていた外祖父は、「あぁ、立派な将官だ。是非にも読みなさい」といいました。井上成美の他にも今村均を尊敬していたようです。

その外祖父ですが、私の父が「おじいちゃんはノモンハンに行ってて、本にも書いてあるぞ」といっていたので、従姉妹の結婚式があって親類が外祖父の家に集まったとき、叔父(母の兄)にその話をして、その本がどこにあるか聞いてみると、叔父はしばらく考えてから、「…あの本棚の奥にある」といって指さした方向の本棚のかなり奥の方に隠されているかのようにしまわれていたのが、北海タイムズの『ノモンハンの死闘』でした。そこには外祖父の名前が砲兵隊の上等兵(か伍長)として記されており、ソ連軍の砲弾が外祖父の指揮する砲を直撃するも、不発弾のため砲が破壊されただけで生き残ったというようなことが書いてありました。その後どうしていたのか書いていなかったので、叔父に聞いてみましたが、「その戦争のことは、話したがらなかったから聞かなかった」といっていました。あるいはその後にソ連軍に浸透されて地獄をみたのでしょうか。

外祖父が参加した戦争ということもあって、ノモンハンに関連する本は比較的集めていたのですが、岩波現代文庫からシーシキン他/田中克彦訳『ノモンハンの戦い』(岩波書店、2006年1月)を購入して読んでいると、シーモノフ「ハルハ河の回想」の後半部分に休戦後に仮埋葬していた日本兵を掘り起こして、荼毘にふすというシーンが描かれており、ソ連軍の砲弾が優秀であったならば、外祖父もこの列に加わっていた(そうするともちろん私は生まれてこなかったことになるわけですが…)を考えると、この戦争で上層部の無能さを知った外祖父が、井上成美のような良識派、今村均のような仁将を尊敬したという気持ちがわかるような気がしました。



1月12日
ようやく、京都も地面に雪が積もるようになりました。雪は以前から降っていましたが、積もってもせいぜい屋根や車にうっすらとだけ。

宝ヶ池では午前中に吹雪みたいになって、ようやく地面に積もるようになりました。

すぐ溶けちゃったけど…。



1月11日
仕事で宝ヶ池の国際会議場方面に行ったとき、道路が封鎖されていました。京都女子駅伝があったためなのですが、横断できなくては仕事にならないので、仕方なく見物(^o^)ウレシィ

長野県の選手が目の前を通過すると、長野県出身の上司は「長野がんばれ〜」と声援を送った後、北海道出身の私の方を振り向いて嬉しそうに一言、

「北海道には勝ってた!」

そう、駅伝は地方出身者のアイデンティティの発露の場なのです。

というわけで私も北海道の選手を応援。最初に通過した時はそんなに順位が上ではなかったのですが、折り返し地点を過ぎて戻ってくると順位がかなり上がっていたので、我が事であるかのようにとてもうれしかったのです。



1月4日
風邪が全く治りません。病院から貰った薬も全部飲んでしまいました。

明日は出勤日ですが、ど〜なることやら…。



1月3日
学生時代、とある史料をみていると、
「三秩以上服紫、牙笏、金魚。
とあって、
「何だそりゃ〜?金魚の干物でも身につけるんだろか?」
と思っていましたが、すぐ下に
「五秩以上服緋、牙笏、銀魚。
とあったので、金・銀で飾られた魚形の装身具らしいということは何気なくわかったのです。

この「金魚」「銀魚」というのは古代東アジアで使用された「魚符」のことです。ようするに官姓名がかかれた魚形した割り符のことで、今風に言えば首からぶら下げている従業員証みたいなものです。

ところで、この「魚符」にはそれを納める携帯用の容器が当時からあって官職名化していたのですが、その名称を最近再見して「こんなに変なネーミングだったか〜」と思ったのです。学生時代にはそれほど変とは思わなかったのですが、ここでは中国唐代の官職名が列記された荘厳な状態でお楽しみ下さい(モデルは厳修さん)。



刺史・朝散大夫・勅賜緋金魚袋・厳修 エヘン




…「金魚袋」だってさ、ださ〜( ´∀`)つ



1月2日
あけましておめでとうございます。

…といいたいところですが、昨年29日から風邪をひいてしまい、30日には39度近い熱が出ていました。そこで大晦日の31日には休日病院に行ったのですが、大繁盛していたので待ち時間が長く、余計に具合悪くなってしまいました。

医者「…風邪ですね」
私「… (そんなことわかってるんだけど!?)」
医者「熱は〜、37度5分。まぁ大丈夫ですね」
私「… (絶対、待ち時間30分の間に上がってる!)」

お医者さんはとんぷくを処方してくれました。薬が入っている袋の説明書に「寝る前に服用」とあるのですが、具合が悪くて1時間おきて3時間寝るを繰り返している私はどうすればいいのでしょうか?

でもこんなへっぽこ日記が書けるくらい、元気になったということかもしれません( >д<)、;'.・クシュッ






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