御願寺(ぎょがんじ、「ごがんじ」とも)は平安時代に盛行した、天皇・上皇・皇后の御願を修する寺院です。奈良時
代に盛行した南都七大寺をはじめとする官大寺とは異なって、あくまでその天皇一代の御願のみを修する寺院でし た。主に都があった京都近郊にありました。
御願の内容は、天皇降誕の際の護持、天皇在世中の安穏、身体の除災などであり、崩御後は追福のため周忌法
会が行われ、場合によって陵寺となりました。 御願寺は陵寺となった寺院(天安寺)を除いては、おおむね小堂などの前身寺院があったり、あるいは貴族などの 別業が寺院化するケースが大半でした。これらは僧侶・貴族が奏上によって御願寺に認定されていました。平安時 代前・中期の儀式書『新儀式』によると御願寺には4パターンの分類があり、 @天皇・皇后・太上皇の御願によって建立される場合 A貴族が建立した寺院に御願堂を建立することによって御願寺とする場合 B僧侶の奏請によるもの C貴族の私寺をもって奏請する場合 とあるように、天皇・皇后・太上皇の御願以外にも、僧侶・貴族が建立したものを御願寺に認定した場合の方が多か ったことを示しています。
御願寺となると、定額寺として一定の寺料・所領が給付されるとともに、貴族建立の寺院が母体であった場合は、
貴族からの寄進が所領の中核である場合もありました。多くは僧綱からの統制から抜け出た「僧綱不摂領」の寺院 となり、しかも官大寺にかわって天皇崩後の七七斎会・周忌法会の中心となり、平安時代前期には朝廷における国 家仏教の中心となりました。 しかし天皇一代の御願を修するという性格のため、天皇が崩御すると自然に衰退し、陵寺は後に被葬者の子孫の 氏寺となる例がありましたが、門跡化した仁和寺・醍醐寺・勧修寺、また宗派などの位置付けが変更された禅林寺 などを除いて衰退し、江戸時代に再興された他は廃寺となりました。
御願寺は江戸時代までの長期間にわたって呼称されてきましたが、本コンテンツでは『新儀式』所載の御願寺を中
心に、平安時代初期から四円寺(円融寺・円教寺・円乗寺・円宗寺)以前の御願寺についてみていきます。
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